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辻褄合わせ

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 携帯電話などのように、液晶画面はあるが、画面には、数行しか出せず、相手に何かを伝える場合。定番である、決まった言葉であれば、数字の組み合わせなどで、言葉にして伝えるというものである。
 いわゆる、
「語呂合わせ」
 というようなもので、たとえはポケベルの場合と異なるであろうが、
「5963」
 などという言葉であれば、
「ごくろうさん」
 と読ませるなどというものである。
 ポケベルというものは、あくまでも数字の組み合わせなので、数字で相手に伝える。下手をすれば、
「乱数表のようなものを持っていないと、解読できなかったかも知れない」
 といえるだろう。
 そうなると、みんなが、どこまで知っているか、相手を選ばなければ話も通じない。
「この人だったら、これくらいは通じるだろう」
 というような感じである。
 ポケベルというものは、実は、ほとんど寿命は短かった。2年くらいのものだっただろう。
 元々、ポケベルの出現はセンセーショナルだった。
 当時まだ。パソコンというものはあっても、インターネットの普及すらされていなかった時期であり、いわゆる、
「パソコン通信」
 というものがあったくらいだ。
 回線も電話回線を使ったりして、回線使用料も、今のように一律の使い放題ではなかったのだ。
 つまり、
「長時間繋いでいれば、それだけ電気代も食う」
 というのだった。
 だから、使用しない時は、必ず回線を切っておかなければ、その間、どんどん使用料を引かれていくというわけである。
 それを考えると、携帯電話という発想自体が、まだまだ、
「近未来」
 の道具という世界であり、パソコンも、ワープロに毛が生えたほどという認識がぬぐえなかっただろう。
 特にパソコンというと、ネットという意識よりも、
「それまで、大型コンピューターでやっていたことを、パソコンのような小さなもので代用できる」
 というところが一番大きかったといえるだろう。
 会社の中でも、例えば、仕入売上などの計算など、手でやっていたり、大型コンピュータを使っていたものを、パソコンでできるのだ。
 昔のいわゆる、
「汎用機」
 と呼ばれるものは大きく、大容量だった。大きな会社であったり、銀行などの大量の顧客データや売上などを瞬時に計算したり、管理しなければいけなかったのだ。
 さすがに当時のパソコンは、本当に容量の小さなもので。とても、汎用機に追いつけるものではなかったが、2000年を超えた頃から、急激に発達してきた。それが、
「インターネットの普及」
 というものと、大容量を格納できるようになったということだろう。
 ケイタイの世界は、その少し前から、従来の電話を掛けるだけではなく、メール機能がついたことで、一気に役立つようになった。
 その頃から、電車に乗れば誰もが、ケイタイを開いて、器用に指でボタンを押している。人とメールのやり取りがほとんどだったのだろうが、しょせん、ガラケーの性能は、その足りまでだろうか? しょせんパソコンにかなうものではなかった。
 しかし、スマホが出てくると、
「スマホでパソコンの機能ができるようになった」
 ということで、今までのパソコンしかしてこなかった人が、
「仕事はパソコン、プライベートはスマホ」
 というように使い分けるようになってきた。
 スマホでも、結構な兵糧も入るし、ネットもパソコンに劣ることはない。何よりもゲームの機能がすごいようで、昔、メールをガラケーでやっていたように、電車の中などでスマホをいじっている人は、SNSを確認しているか、ゲームをしている人だといっても過言ではないだろう。
 それを思うと、ケイタイからスマホ、昔のパソコンが飛躍的に普及したのと同じようなものだろう。だから、今では自分の部屋にテレビもパソコンもない人が多い、もちろん、固定電話などもない。つまりは、
「スマホ一つあれば、それでいい」
 ということになるのだろう。
 そんな時代になると、今はスマホだけの機能で、過ごせる人が多いだろう。特に若い世代はそうで、マサツネはパソコンを持っていたが、生活の主流派スマホだった。
 マサツネは、ゲームをかつてはしていたが、最近ではゲームをしなくなった。
「卒業した」
 といってもいいだろう。
 ただ、面白くなくなったというのが、本音で、それよりも、今はSNS系が多くなったといってもいいだろう。
 ツイッターにインスタグラム、ユーチューブなどがその代表だろうが、基本的にはツイッターが主だった。
 別に動画を載せたり、
「インスタ映えするような写真を撮ったりしているわけでも、いつもおいしそうな外食をしているわけでもないので、ツイッターで十分だ」
 というところであろう。
「あくまでも、コミュニケーションが中心」
 ということなので、必要以上に、何かをしようという意識はなかった。
 ツイッターの機能の、ダイレクトメールであったり、音声でチャットのようなものができる機能であったりが、結構楽しく、嵌ってしまったというところであろうか?
 そんな音声チャットで、最近の話題は、SF的な、そこに、少しホラーチックな話で盛り上がることが多くなった。
 マサツネもそういう話は嫌いではないが、参加者が皆結構詳しいことにビックリさせられた。
 考えてみれば、なるほど、確かにそんな話が嫌いだったら、すぐに会話に参加することもないだろう。それでも参加し、負けじと論議を重ねるのだから、そちらもつわものだといってもいいだろう。
 ただ、会話をしていると、そんな中でも、
「違憲の合う人、会わない人」
 様々である。
 そんな中で話が合うのが、ずっと前から会話をしてきた、アツシだったのだ。
 最初こそ、
「近いうちに遭いたいな」
 と思っていたのだが、途中から、
「別に会う必要もないかな?」
 と思うようになってきたのだった。
 というのは、
「もし、会ってしまうと、せっかく仲が良かったのに、どこかで、せっかくの仲が壊れてしまうか、壊れないまでも、今までのような付き合いがうまくできなくなるかも知れないな」
 と感じることであった。
 それを考えると、
「ネットのコミュニケーションというのは、面白いな」
 と思うようになっていた。
 そもそも、普通に友達というものができないから、ネットのSNSに嵌ったのだ。
 というのも、自分の話題が、シュールであったり、会話がガチになってしまったりすることで、気が付けば、まわりの視線が怖くなり、四面楚歌の状況を、自らで味わわなければいけなくなるからだった。
 どうしても、リアルで、自分に対しての冷たい視線を感じると、委縮してしまって、二度とその場に戻ることができなくなる、
 だったら、最初から、つかず離れずで、変に会話の中心にならないようにすればいいだけだったが、マサツネというのは、性格的に、どこか、
「自分は人とは違う」
 というのを、皆に教えたくてたまらなくなるのだった。
 だが、リアルな仲だと、拗れてしまうと、なかなか修復は難しい。
 だからこその、SNSの発達なのかも知れない。
作品名:辻褄合わせ 作家名:森本晃次