辻褄合わせ
しかも、日本人にはできっこないことであろう。だから、そういう話の主人公は、ほとんどが、外人の名前だったりするではないか?
日本人ぽくても、基本は外人ではないだろうか?
そんなことを考えてみると、
「日本がどれほど平和ボケをしている国なのか?」
ということである。
「○○の拳」
などというアニメが、今でも人気であり、パチンコ屋パチスロでも、いまだに人気だというのは、あれがあくまでも、
「フィクションだ」
ということだからこそではないだろうか?
あれを、
「必ず起こるであろう、わが国、いや地球の未来だ」
ということになれば、どうなるというのか?
今の人気どころか、下手をすれば、発刊禁止になったり、放映中止になったりするだろう。
昔の日本であれば、
「作者の逮捕」
ともありかねない。
罪状は、世情を惑わした罪ということで、それこそ、
「後付けの犯罪をでっち上げることになるかも知れない」
それが、裁判で有罪になれば、そのまま判例として残り、
「法律がない以上、判例が法規に勝るものだ」
ということになるのではないだろうか?
そんなことを考えると、
「日本という国が、どれほどのぬるま湯なのかということが分かってくる」
というものだ。
「そんな極端な考えを持っているこの俺と友達になるようなやつは、さすがにいないだろう」
と思っていたが、ネットで知り合ったとはいえ、アツシも、似たような発想を持っているようだ。
「何度徹夜でこういう話を語り合ったことだろう」
と、二人とも、
「三度の飯より、こういう話が好きだ」
といっている二人だったのだ。
そんな、
「夜を徹した話をするのが、好きだったのが、大学時代だった」
その頃、大学時代の話を彷彿させるのが、アツシとの話だった。
アツシという男と話をしていると、結構楽しいものだった。
というのも、彼の話は、多岐にわたっていた。
しかも、最初は歴史の話をしていたかと思うと、今度はSFの話になっていて、いつの間にか宇宙の話になっているのだ。
そして、話が二転三転している間にいつの間にか最初の話に戻ってきている。それも違和感などなくである。
それを思うと、
「話の根幹さえ、違わずに、一本線さえ入っていれば、そこから伸びたものなので、きれいに元の場所に戻ってくるものだ。
ということであった。
そんな話をいつも一緒にしていたのだが、アツシだったのだ。
そんなアツシとは、スマホやパソコン、両方のソフトである、
「さじきトーク」
と、呼ばれるものであった。
きっと、
「気軽に、座ってからの井戸端会議的なところから、さじきトークという名がついたのだろう」
と言われているのだった。
そんなアツシ君と、知り合ってから、ここ半年くらい、毎日のように話をしていた。
仕事が終わってから帰宅して、ずっと会話に興じていたのである。
会話をしながら、
「いつかは、会って、実際に話をしてみたいな」
と思うようになっていたが、ただ、あくまでも、
「そのうちに」
なのであった。
というのも、
「今はあくまでも、気持ちを盛り上げる時期だ」
という意識があるのと、
「実際に遭ってしまうと、急に冷めてきた時に、どうすればいいのか?」
ということが分かっていないことが、怖かったのだ。
今の気持ちとしては、会いたいという感覚よりも、
「せっかくの会話の相手を失いたくない」
という思いが強いのだった。
何と言っても、
「今のところ、話の内容が合っているからいいのだが、これが合わなくなったらどうしようというのが確かにある」
といえるだろう。
そして考えられることとして、
「一度会ってしまうと、相手を知っているだけに、会話に膨らみが出てこない気がするのだ。相手のすべてを知らないから、知りたいと思う。だからこそ、自分を知ってもらいたいと思う」
ということが、会話の醍醐味であり、楽しみでもあるのだ。
だから、
「近づきすぎると、ぎこちなくなる」
というではないか。
何かをするにも、人に知られていないから、自分を表に出すことができる。だから、
「下手に、意識すると、普段はできていたことができなくなる」
ということになるのだ。
「気持ちを盛り上げるのは簡単だが、一度盛り上がった感情が、気の散り方によっては、元に戻らなくなることがあり、その間、瞬間的な記憶喪失になってしまうことだってあるのではないか?」
ということも言えるのではないだろうか?
だから、会いたいという気持ちをグッと堪えて、お互いにその話には触れないようにしていた。
「これが相手が女性だったら、どう思うのだろう?」
と考えてしまうことだろう。
時間の流れの違い
今の時代に女性とのトークだったり、絡み方を間違えると、
「セクハラ」
などと言われ、嫌われるだろう。
世間では、コンプライアンスというものを大きなものとして考えるので、話の持っていき方も難しいのだった。
ただ、ネットであれば、相手が誰かも分からない。それだけに話しやすいといえるだろう。
だが、逆に分からないからこそ、気を付けなければ、相手を傷つけてしまいかねないということを考えていた。
今までにも、大学時代にも、ゲームの関係で友達になった人がいた。いつも、学校から帰ってきて、同じ時間に、
「君が来ると思っていたから、待っていたんだよ」
ということを言いながら、待っていてくれる友達だった。
その人の名前が何だったのか。少し忘れていた。思い出そうとしてみたが、
「今はもう、友達でも何でもないんだから、思い出す必要なんかないんだ」
ともいえるが、何か気持ち悪い気がして、思い出そうとしたが、結果として、思い出すことはできなかった。
その友達もきっと、こちらの名前を覚えてることもないだろう。何と言っても、本名というわけでもなく、ハンドルネームだったのだ。
しかも、実は同じ時期にハンドルネームをいくつも持っていた。サイトによって変えていたといってもいい。
いわゆるSNSなどで、いわれる、通称、
「別垢」
正式名称で言えば、
「別アカウント」
ということである。
つまり、同じ人間であっても、ログイン、パスワードを変えることで、いくつでもアカウントを作れるのだ。
「一人、いくつまで」
といっても、本人確認をするわけではないので、いくらでも作れてしまう。
下手をすれば、
「犯罪に使われかねない」
とも言われかねないであろう。
それを思うと、いくらでも他人になりすませるし、一つのチャットや掲示板で、他人のふりをして、いくらでも、
「自作自演」
ができるのだ。
よく、
「自演乙」
などと書かれている。
昔でいう、変なやつがつくった、
「〇チャンネル」
という、丸の中に数字の入る掲示板などで、
「ネット言葉」
として言われていて、どこかおしゃれな感じがしていたものだ。
それを見た時、今の携帯電話、いわゆる、
「ガラケー」
というものが、出始める前に一時期流行った、
「ポケベル」
というものを思い出した人もいるかも知れない。