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辻褄合わせ

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「警察に何度も相談したのに、警察は何もしてくれなかった」
 などという話は、山のようにあるではないか、
 しかも、そのことは、それほどニュースにならない。どこかで大きな力が働いているとしか思えない。
 つまり警察というところは、
「確率でしか動かない」
 ということだ。
 自分たちが、捜査することで、市民から、
「まだ、何も起こっていないじゃないか? 警察は、何もしていない人を尋問したりするのか?」
 と言われるのと、事件が起こって、
「警察に何度も言っているのに」
 と言われるのと確率から考えると、前者の方が、圧倒的に多い。
 そうなると、
「警察は迂闊には動けない」
 ということになり、民間のトラブルは、まだ何も起こっていかねれば、
「介入してはいけない」
 ということになるのだろう。
 それを思うと、
「なるほど、警察は、何かが起こらないと、何もしないんだ」
 ということが、定着することがよく分かる。
 ただ、普段から、
「警察に介入されて、鬱陶しい」
 と言われることもあるだろう。
 しかし、問題は、
「人はウソをつく」
 ということだ。
 相談者の話を真に受けて、すべてを信じ、捜査に及ぶと、
「実は、逆だった」
 ということになりかねない。
 そうなってしまうと、警察は次第に民間人のいうことをまともに聞かなくなり、結果、
「オオカミ少年」
 のようになってしまうかも知れないと思うと、迂闊に手を出せないともいえるだろう。
 そうなると、
「誰もかれもが信用できず、警察すら信じられない」
 という無法地帯になりかねない。
 そういう意味で、警察の、
「民事不介入」
 あるいは、
「何かが起こらなければ警察は動かない」
 というのも、仕方のないところなのかも知れないが、
「こんな世の中にしてしまったのは、一体何が問題だったのか?」
 ということを、真剣に議論しないといけないということになるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「なるほど、ドラマで、刑事ものが、なくならないわけだ」
 ということだ。
 ドラマの話題にするような事件は、今のノンフィクションでも、十分にあるということであり、
「事実は小説よりも奇なり」
 とは、まさしくその通りであろう。
 そういうことからいけば、
「タバコの不始末」
 など、大したことはない。
 という人がいるかも知れないが、それは大間違いである。
 というのも、
「放火という罪は、殺人よりも重い」
 と言われていて、放火だけで、十分に殺人に匹敵するくらいのものであろう、
 砲火をして、誰かが死んだりすれば、
「よくても無期懲役」
 とも言われるくらいの非常に重い罪である。
 それはそうであろう。
 殺人であれば、愉快犯でもない限り、
「殺さなければいけない」
 というだけの理由があるのだ。
 しかし、放火の場合は、どんな理由があるというのか、下手をすれば、いや、下手をしなくとも、
「むしゃくしゃしたから、火をつけた」
 などという、
「理由にならない理由」
 で、簡単に火をつけるのだ。
 昔。ローマ帝国の皇帝ネロが、
「キレイだから」
 というような理由で、街に火をつけたというが、放火をする人間の精神状態は、それほど、皇帝ネロと違ったりはしないだろう。
 そんなことを考えていると、
「モラル違反にも、軽度のモノと重度のモノとの差がはげしい。許せるものと許せないものの判別をしっかりしていかなければいけない」
 ということを感じさせられるのだ。
 前述の医療ミスであったり、警察の立ち位置であったり、そんなことを考えていると、
「政府も、警察も、病院も、何も信じられないではないか?」
 といえるのではないだろうか?
 そういう意味で、
「何が社会に対して必要で、不要なものなのか?」
 ということの選別が、実に難しいということが分かる。
 そういえば、昔、ほんの少しであったが、今の政権が、野党に政権交代したことがあった。
 その時に、
「事業仕分け」
 などといって、いろいろな役所や政治体制の中で、
「経費の無駄遣い」
 というだけの基準で、その選別を行っていた。
「いやいや、その重要性を考慮に入れたうえで、検討に検討を重ねて」
 と、まるで、今の、バカソーリのような、
「けんとうし」
 と呼ばれる言い訳を並べていたが、結果はどうなったか?
 その時不要とされたものが、今の時代になって、
「どうして、そういう施設がないんだ?」
 と言われたのも多かった。
「未来で何が起こるか、分からない」
 ということ言い訳にするだろう。
 しかし、少なくとも、野党が政権を持っていた時代、世界的にも大きな災害が、この日本で起こったではないか。しかも、その対応に明らかに失敗し、それが原因で、またしても政権を戻すことになったということを忘れているのだろうか?
 今の政府は言い訳として、
「あれは、前の政府がやったこと」
 といって、まるで断捨離のように、必要な部署を、経費節減というだけの理由で、しかもその理由が、
「票を集めたい」
 という理由が表に出ているだけに、その露骨なあからさまに、国民もいい加減目を覚ましてほしいと思うのだが、かつての災害の時の野党の対応。さらに、今の、
「批判ばかりで、新しい政策を一切打ち出そうとしない」
 という野党に、結局何もできないとして、期待もできないので、
「しょうがないから」
 というだけの理由で、亡国の一途をたどる今の与党に票を入れるしかないことになるのだった。
「もうこの国は終わりだ」
 と、ずっと前から言っている人がいるが、本当に終わってしまうまでに、どれだけの国民が、そのことに気づくだろう。
 下手をすると、核ミサイルが発射されても、何も感じず、まわりが逃げているのを見て、
「どうしたんですか?」
 などというとち狂った人も、結構いるのではないだろうか?
 ただ、そんな人の方がある意味幸せなのかも知れない。
「どうせ、一人では、世界情勢を動かすことができないんだ」
 ということが分かれば、滅亡に瀕しているこの地球上で、全員といっていいほどの人間が死んでしまうのであれば、正直、じたばたしても、しょうがないというものだ。
「俺が、慌てたって、どうなるものでもない」
 というのも当たり前のことで、
 それだったら、滅亡することを知らずに、飛んできたミサイルを見上げているうちに、即死する方がいいだろう。
 それによく、核シェルターに潜って生き残りをかけるというのがあるが、日本にはそんなものは特殊な施設にでもない限り、ないのだ。ハッキリと核ミサイルが飛んでくれば、それで生き残る人は、政治家だったり、一部の金持ち、後は天皇とかだろうか?
 支配階級だけが生き残る世界で、後に何があるというのだろう?
 そう思うと、
「苦しまずに即死の方がまだマシだ」
 といえるのではないだろうか?
 昔から、
「核戦争の末の新たな世界で、逞しく生きる男の物語」
 などというのが、マンガや小説であるが、そんなものは、しょせん夢物語である。
作品名:辻褄合わせ 作家名:森本晃次