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辻褄合わせ

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 昨年の猫も杓子もワクチンに躍起だった時期でも、その一部では、
「俺は討たない」
 といっているやつもいた。
 それが、まるで伝染病のように、
「爆発的に蔓延した」
 というのは、実に皮肉なことだった。
 本来であれば、
「笑ってはいけない、シャレにならないこと」
 なのだろうが、もう、ここまで国民がバカの集まりのようになってしまうと、実際に笑いしかでてこないというのが、実情というものであろう。
 そんなことを考えていると、
「考えるだけ、時間と労力のムダなのだろうが、忘れてしまうと、他のバカな連中と同じだということになり、やはり忘れてはいけないことだ」
 という風にしか思えないのだった。

                 警察というもの

 そんなパンデミックの時代が、どれだけ続いたというのか?
 いや、実際にはまだ終わっていない。終わったと思うのは、他のバカな国民どもと同じ発想ではないか。それだけは、絶対に避けなければいけない。
 そんなことを考えているうちに、今までと違って、まわりの連中が、
「すべて敵なんだ」
 という発想になってきた。
 そこまで思い込むのは、正直危険であることは分かっているが、どうしても、あの医療崩壊があったことを、まったく忘れてしまったかのように見える連中を、許すことができないのだ。
「あんな連中のために、こっちが医療を受けられずに死ぬなんて、死んでも死にきれないことだろう」
 としかいえない。
「騒いだり、感染防止を怠った連中が治療を受けているので、自分が治療を受けられないなどと想像しただけで、許せない」
 と思う。
 確かにそうなのだ。
「あいつらは、自分は病気に罹らない。蔓延はしないと思っているから騒いだのであって、そんな連中の治療を最優先しているなど、許されることではない」
 といえる。
 確かに、医者の立場からすれば、
「病人は平等だ」
 というだろうが、果たしてそうだろうか?
 少し放っておいても、死なない人のそばで、今手術をしないと、死んでしまうというのが明らかな人がいれば、普通であれば、緊急手術という形でそっちを優先することになるだろう。
 しかも、もっといえば、
「ここで手術をしないといけない」
 という病人がいるのに、有名政治家などの権力と金を持った人が手術を要するといって回ってくれば、病院側は、今手術をしないといけない人を放っておいてでも、有名人というだけで、贔屓するに違いない。
「本当はそんなに医者はいらない」
 という状態でも、病院のメンツをかけてでも、その体制を、病院の理事長の権限で行うに違いない。
 結果、どうでもいい手術に有名人は成功するが、その代わり、本当に手術が必要だった人が亡くなるということになることだろう。
 病院側は、どうせ、一人誰かを人身御供にして、責任逃れ、その人身御供にされた医者は、
「医療ミスをした」
 と、誹謗中傷を受け、医学会から追放されるというような末路を描くことになるだろう。
 確かに、ドラマではよく見る設定で、ミステリーや、医療ドラマでよく扱われる設定だ。
 しかし、これだって
「火のないところに煙が立つというわけもない」
 ということで、日常的に行われていることだろう。
 マニュアル化されていることなのかも知れない。
 それを考えると、
「政府だけでなく、医者や病院すら信用できない」
 ということになり、その証明が、
「今回の世界的なパンデミックだ」
 ということになるのだろう。
 それを思うと、世の中というものが、
「どれほど私利私欲や、利権にまみれた世界であるか」
 ということと、
「権力を持ったものが強い」
 ということなのかの証明だといえるだろう。
 また一つこれも気になることであるが、喫煙マナーの問題である。
 重要文化財や、国宝に、
「落書きをするバカ者がいる」
 という話はよく聞く。
 実はその裏で、
「喫煙をしているというバカ者」
 がいるということも、重要だった。
 昔は、そういうバカ者を糾弾することはできなかったが、最近では、防犯カメラや、車のドライブレコーダーなどが発達していて、
「壁に耳あり障子に目あり」
 という言葉が、リアルになってきた。
 ただ、防犯カメラやドライブレコーダーなどがあっても、今の世の中は、それを証拠に相手を糾弾できるまでのものはない。
 下手をすれば、肖像権というものを盾に、言い訳をするやつもいるかも知れない。
 本当はそんなものは言い訳になどなるわけはないが、そういうイメージがあるので、せっかくの証拠があっても、それを警察に提示できないとか、下手をすれば、
「逆恨みされる」
 という懸念を抱いている人もいるだろう。
「マナーを守れないようなやつなんだから、何をするか分からない。下手をすると、平気で人を殺す輩かも知れない」
 と言えないだろうか?
「そんなバカなやつはいないだろう」
 と、果たして言えるだろうか?
 というのも、今の時代の犯罪の中には、
「誰でもいいから」
 という通り魔的な犯罪も多い。
 その理由として、
「警察に捕まりたかった」
 であったり、ひどいのになれば、
「死刑になりたい」
 という理由で、人を不特定多数で襲ったりするのだ。
「死刑になりたいのなら、誰も知らないところで、自殺でもすればいいじゃないか」
 と思うのだが、そいつの頭の中にはそんな理屈はないのだろう?
 警察は、まず、
「頭がおかしくなっていないか?」
 ということを調べるだろう。
 精神異常であれば、罪に問われないという理不尽な可能性があるからだ。
 だが、たいていこういう輩は、たいていの場合、責任能力を十部に問える。つまり、精神的に正常だということだ。
 となると、精神が悪いのではなく、思考能力が、あらぬ方向にいってしまっているのだろう。
 その男は、生まれつきなのか、それとも、まわりの環境で、そんな風になってしまったのか、それも、
「ある日突然、事件を起こす」
 というのである。
 そもそも鬱積したものがあったのだろうが、まさかこんなことになるなど、誰も思わないに違いない。それを思うと、
「人が人を殺すなどというのは、本当に一瞬のことであり、一瞬の判断の積み重ねなんだな」
 と思えてならなかった。
 だから、何かモラル違反であっても、許せないことであっても、迂闊に通報や、連絡はできないと思うのだろう。
 何といっても、日本の場合は、
「疑わしきは罰せず」
 という世界であり、よほどの動かぬ証拠があり、よほどの重大事件でもない限り、警察は何もしてくれない。
 それがよく分かるのは、ストーカーや、幼児虐待、苛めなどの問題であった。
 警察は、殺人事件などの、
「結果が出た」
 ことに対しては、捜査を行い、検挙に全力を注ぐが、事件が起こらなければ何もしてくれない。
 つまり、
「事件になりそうなことを、未然に防ぐ」
 ということに関しては、まったく動いてくれないのであった。
「検挙率を上げる」
 ということで、分子を上げることはするが、分母を減らさないというのが警察、
 実際に、殺人事件が起こってから、
作品名:辻褄合わせ 作家名:森本晃次