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辻褄合わせ

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 と、そもそもの水際対策の失敗を責めると、今度は政府は、何を勘違いしたか、いきなり、
「学校の全国一斉に休校措置」
 などということをぶちまけた。
 確かに政策としてはありなのだろうが、まったくのいきなりで、水面下での調整どころか、内閣の大臣の中にも、
「知らなかった」
 という人もいるくらいの、実にお粗末なドタバタ劇だったのだ。
 そんなドタバタ劇状態における政府だったが、国民が混乱している中、今度は、
「徹底的な行動制限」
 ということで、今の我が国でできる最大の行動制限である、
「緊急事態宣言」
 を発令したのだ。
 諸外国と違って、
「強制力」
 というのはなかった。
 罰則も実刑もないので、自粛要請でしかないのだが、それでも、さすがに、相手が、
「未知のウイルス」
 ということで、ほとんどの人が自粛に応じた。
 この時とばかりは、
「日本人って、ちゃんとルールを守るんだ。意外とまともな人種なんじゃないか?」
 と少しだけではあるが見直した。
 だが、それも一瞬のことで、数か月もしないうちに、
「緊急事態宣言中に感じたことがバカだった」
 と思ったのだ。
 伝染病というのは、何度も波というものがある。
 というのも、ウイルスは、一度の波を起こして、その波を乗り越えるために、相手がその対抗策を講じて、流行らないようにするものなら、ウイルスも、
「生き残り」
 というものを掛けて、
「変異」
 を繰り返すのだ。
 つまり、違うウイルスのようになってしまい、また猛威を振るう。それがウイルスというものの正体なのだ。
 ウイルスは、ある程度まで変異を重ねることで、重い症状に至らしめることであったり、感染率が爆発的に高まったりするのだ。
 そのため、今回のウイルスも、
「第3波」
 だったか、
「第4波」
 の時にピークを迎えた。
 というのも、伝染病が蔓延した時に一番避けなければいけない、
「医療崩壊」
 というものが、起こってしまったのだ。
 というのも、
 最初は国や自治体も、その感染力を甘く見ていたのか、病院の病床に加えて、宿泊施設での患者受け入れを、元から予測していて、キープはしていたが、その見積もりをはるかに上回る患者の数だったのだ。
 そのため、自宅療養者というのが増え、その人たちが急変しても、治療が間に合わず、死に至るというのが頻繁したことだった。
「救急車を呼んでも、なかなか来ない」
 あるいは、119番にもつながらない。
「救急車が来て、患者を載せても、今度は受け入れ病院が見つからず、100か所近い病院に電話を掛けても、すべてから、受け入れ拒否をされ、その間にどんどん人が死んでいく」
 という、まるで地獄絵図であった。
 それが医療崩壊というものなのに、それでも、政府は、ほとんど何もしない。
「最初にやった緊急事態宣言をしても、一時期抑えることができたとしても、また蔓延するので、意味がない」
 とでも思っているのか、それとも、
「経済を抑えてしまうと、今まで吸ってきた甘い汁を自分たちが吸えなくなる」
 という自分本位の考えなのか、どちらにしても、政府はすでにその時からあてにならなかったのだ。
 それでも、何度かその波が、鎮静化すると、まるで、自分たちの力であるかのように思っているようなのだが、冷静に考えれば、
「感染が一番鈍る時期に来たので、自然に減っていっただけだ」
 ということに気づくはずなのだ。
 政府の人間だって、さすがにバカではないだろう。そんなことは分かり切っているくせに、何としてでも自分たちの手柄として、次期選挙の材料にしようとしか思っていないに違いない。
 だからこそ、波が沈静化していく中で、本来なら、
「次男ピークに備えなければならない」
 というのに、
「疲弊した経済を立て直す」
 ということを最優先にしてしまったことで、ほぼほぼ、政府の頭の中では、
「行動制限の抑制」
 というものは、なくなってしまったのだ。
 だから、
「表に出る時は、ノーマスクでも構わない」
 などと、バカなことを言い出したのだ。
 その後ろにいくら、
「人がいる時や、密室ではマスク着用」
 といっていても、それを聞いた国民は、誰もが、いいところしか切り取って話を聴かないという都合のいい耳しか持っていないのだ。
 それは、政府の政策であったり、マスゴミの体質と同じで、そもそも、それがこの国をここまで堕落させた戦犯であるということを誰もが分かっていないという証拠だろう。
 だから、これまで抑圧されてきたと思っている若者などが、必要以上に街に繰り出して、バカ騒ぎをするようになる。
 しかも、政府は、
「少々の蔓延くらいだったら、どうでもいい」
 と思っているのだから、始末に悪い。
「マスクしないでいいですよ」
 と政府が言っているということがどういうことなのかということを国民のほとんどは分かっていない。
「国がマスクをしないでも、大丈夫だ」
 という、
「お墨付きを与えた」
 とでも、思っているのだろうか?
 実はそうではない。国が言いたいのはこの一点であり、
「国は、何も指示しない、だから責任もない。自分たちの命、自分たちで勝手に守ってください。何かあっても、責任を転嫁しないでください」
 といって、責任を国民に丸投げしているだけなのだ。
 それを、一部(?)の不心得な、騒ぎたいだけの連中は、
「国のお墨付きが出た」
 などという思い込みから、きっと国を見直したというバカも出てくることだろう。
 そんなバカが投票する政府など、結果、
「責任のなすりつけ合い」
 と、
「責任の丸投げ」
 というスローガンに基づいた政府ができることだろう。
 いや、できるわけではなく、今までの政府が継続するだけで、すでに、今も皆が、こんな政府に毒されているということを分かっていないのだろう。
 だからこそ、
「検討に検討を重ね……」
 などという言い訳しかしない、
「けんとうし」
 などといわれる、バカソーリが生まれることになったのだ。
「最凶最悪」
 といってもいいソーリは、前ソーリの、あの悪名高き、
「安全安心」
 などと言っていた言葉のさらに輪をかけたひどいソーリが誕生していくだけ、
「この国の末路は、ほぼ見えてきた」
 と言われるようなものだったのだ。
 そんなパンデミックもいよいよ佳境を乗り越えたのか、
「ああ、そんなこともあったな」
 と、今だに感染者がそこまで減っていない状態で、国民のほとんどは、
「すでに過去のことだ」
 と思っていたり、ひどいやつは、
「歴史の1ページ」
 というくらいにしか思っていない。
「喉元過ぎれば熱さも忘れる」
 ということわざがあるが、まさにその通りなのだろう。
 今の国民は、ほぼ何も感じない。去年まで、医療崩壊をしていて、
「罹ったら、どうしよう」
 といって焦っていたのがウソのようだ。
 猫も杓子も、ワクチン接種に躍起だったのに、今では、接種率がほとんど上がらない。確かに、
「副反応のリスクを考えると」
 という意見もあるが、昨年のあの医療崩壊を忘れたというのか?
 それを思うと、実に嘆かわしいことであった。
作品名:辻褄合わせ 作家名:森本晃次