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飛び降りの心境

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 趣味というと、カテゴリーに別れるだろう。
 自分で、何かを作るというオーソドックスなもの。スポーツやゲームなどの参加型。そして、仕事の延長のようなことであったり、福祉的な意味もあっての、ボランティアもそうかも知れない。
 スポーツでも、自分がするのではなく、好きなチームを応援するという発想。その発想からであれば、アイドルの追っかけなども、趣味といってもいいかも知れない。
 そうなると、
「ヲタク」
 と呼ばれるものも、趣味だといってもいいだろう。
 だから、趣味の世界というと、結構広い。競技のようなものまで、趣味になるからだ。
 さらには、趣味なのか、金儲けなのかの境が分からないものもある、
「セミプロ」
 というものも、ギャンブルであれば、一種の趣味とも言えなくもないからである。
 あさみの場合は、詩吟に興味を持った。メルヘンチックなポエムのようなものは、中学時代から書いたりしていた。
 クラブ活動にもあったが、その部活は、がっつり、
「詩吟」
 だったので、メルヘンチックなポエムとは、一線を画していた。
 別に悪いわけではないのだろうが、実際にやってみると、自分だけが、仲間外れになってしまいそうで、そんな思いまでして、部活を続ける意義があるわけもなく、入部を考えることもなかった。
 だが、趣味のサークルとなると、結構幅が広かったりする。詩吟一辺倒だと、年齢的にも、趣向が固まってしまいかねない、しかも、サークルも運営ということを考えると、若い人が増えることと、会員が増えることは決して悪いことではない。実際に詩吟をしたいと思って入ってくる年配の人でも、
「若い人と交流ができるのはいいことだ」
 といって、ポエムであっても、大歓迎という人も多かった。
 ただ、中には、本当に、詩吟を本当に愛していて、他のジャンルが入ってくることを毛嫌いする人もいることだろう。
 だが、それも、ごく一部、逆にそこまで考える人は、自分が孤立していることに気づかなかったりするものだ。
 だから、基本的には、皆同じ感覚で、詩吟だろうが、ポエムだろうが楽しんでいる。そうなると、会が終わった後の、楽しみもあったりする。
「カフェにでも行きますか?」
 と、詩吟を嗜んでいるというわりに、それが終われば、普通にカフェにもいく。それを不思議医思っていると、
「わしらだって、若者と気持ちは変わらんよ」
 といって、笑っている。
「なんだ、この人たちだって、コミュニケーションがとりたいんだ」
 と思うと、気楽になり、ポエムを堂々とできる気がした。
 逆に、年配の人から、
「ポエムって、どうやってやるんだい?」
 と、ポエムに興味を持って話しかけてくれる人もいる。
 それが、とにかくありがたいのだ。
 ポエムというものが、何をもたらすのか、あさみには分からないが、年配の人は、詩吟が自分に何をもたらすのか分かっているのだろうか?
 そんなことも聞いてみたい気がして、
「いずれ、そんな話ができるようになればいいな」
 と感じていると、次第に、年配の人との会話にも、舌が滑らかになるというものであった。
 最初は、詩吟サークルという名前から、警戒があった。
「いくら中では、ポエムもありといっても、他の人に、自分のやっているサークルの名前をいうのは、抵抗があるな」
 と思っていた。
「そう思うなら、言わなければいいんだ」
 と言われるのだろうが、それは、どこか、人を欺いているかのようで嫌だと思う性格だったのだ。
 少し違うかも知れないが、
「勧善懲悪」
 という言葉が近いのではないだろうか?」
「言葉が足りないのは、ウソを言っているのとは違うのだ」
 と言われるが、その理屈を、あさみは、承服できないところがあった、
「きっと、憎んでいる父親の性格のはずなのに、どこか似てきてしまっているところがあるのかも知れない」
 と感じるようになった。
 確かに、父親の厳格なところを、まるで、
「頑固おやじ」
 という言葉がピッタリだ。
 ということで、嫌だったはずなのに、どこかで自分自身が許しているところがあるのだろう。
「これこそ、矛盾ではないか」
 と思うのだが、
「自分だったら、しょうがないか」
 という、本当であれば、やってはいけない解釈をしてしまうとことがある。
 詩吟サークルに入会したのも、
「勢い」
 だった。
 もし、変に迷ってしまうと、
「きっと、入らないと思うだろう」
 ということで、入会するための唯一の方法が、
「勢い」
 だったのだ。
 勢いは、意外とうまくいくものだ。
 勢いがついたままの入会であれば、その勢いのまま、詩吟あるいはポエムがいくらでも思いつきそうな気がした。
 詩吟もやったことはなかったが、実際にやっている人を見ていると、
「これは楽しそうだ」
 と感じたのだ。
「日本古来の、古臭いもの」
 というイメージがあったが、それは、どうも俳句と一緒になっていたようだ。
 俳句は俳句で、庶民のたしなみという意味で、
「短くて、字数が決まったものに、気持ちを載せる」
 という意味では同じことだ。
 しかし、俳句というのは、季語が必要であったりと、制約のようなルールが存在する。だからこそ、面白いのだ。
 ゲームでもスポーツでも、ギャンブルにでも、ルールというものが必ずある。そうしないと、収拾がつかなくなるからで、公平さという意味でも、ルールは、絶対不可欠なものである。
 それを思えば、俳句も詩吟も和歌も、すべてにルールは存在する。
 その中で一番曖昧なのは、詩吟ではないだろうか? 文字数に制限がないという意味で、大きいだろう、
 もっとも、制限がないといっても、果てしなく書いてしまうと、小説であったり、随筆になってしまう。だからこそ、
「短い文章に気持ちや情景、いいたいことをすべて織り込む」
 というのが、詩吟の醍醐味だといえるだろう。
 それを考えると、詩吟の世界をいかに楽しむかということを追求する気持ちは、ポエムでも同じだ。
 学生時代に初めて。ポエムを書いた時の気持ちをすっかり忘れてしまっていたような気がする。それを思い出させてくれただけでも、入会の意義はあるというものだ。
 入会してみると、意外と若い人もいたりした。
「なるほど、入会してほしいと会長さんなどが前のめりになるはずだわ」
 と思った。
 若い人が2、3人いるが、さすがに全体からすると少なかった。
 しかも、サークルの中には、
「サークルあるある」
 とでもいうべきが、大きな全体サークルの中に、いくつかの集落と言っていいような集団が存在している。その中に、ボス的な存在の集落があり、全体を仕切っているように、まわりから見ると見えるのだが、それも、
「サークルあるある」
 といってもいいだろう。
 サークルというのは、元々、そういう団体で組織されているようなものだった。
 ただ、あさみの一つの懸念は、
「今まで一人でやっていたから気楽なもので、まわりに誰かがいるということで、気が散ってなかなか今まで思い浮かんでいたものが、まったく浮かばなくなったりすると困るわね」
 というものであった。
 これは得てしてあることだった。
作品名:飛び降りの心境 作家名:森本晃次