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飛び降りの心境

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 友達を一人なくすのは、適度な人数になってからは、ちょっとショックだったが、しょうがないという気持ちもあった。一度仲たがいとして、離れていく人を無理に引き留める方が無理がある。
「本当の親友なら、時間がかかるとしても、また戻ってくる」
 と思ったからである。
 しかし、彼女が戻ってくることはなかった。
「やっぱり、親友ではなかったんだ」
 と思ったが、これだけ時間が経ってしまうと、ショックも完全に消えていて、
「彼女とは最初から友達ではなかったんだ」
 とすら思えてくるくらいだった。
 大学も無事に卒業し、就職すると、せっかくできた友達とも疎遠になっていき、次第に自分が社会人に染まっていくのを感じた。
「いつまでも、学生気分でいてはいけない」
 そんなことは分かり切っていることであり、社会人になってからというもの、自分の中で、紆余曲折を重ねて、次第に仕事も覚えていき、大学時代の記憶が、
「ついこの間のことだ」
 と思っていたものが、次第に記憶の奥に封印されていくようで、高校時代の思い出よりも、いや、下手をすれば、小学生の頃の記憶よりも、さらに過去のことだったかのように思えるのは、大学時代というのが、自分の中で、かなり過去のことだったように感じるからではないだろうか?
 だから、大学時代の友達も、社会人になると、自然と疎遠になっていき、
「それも無理もないことだ」
 と、自然の成り行きに身を任せるようになったのだった。
「どうせ、皆も、今の自分の立場を確立することに躍起になって、過去は過去だと思っているんだろうな?」
 と思っているのだろう。
 あさみも同じことを思っているので、
「皆も、同じことを思ってくれていると感じる方が、こっちも気が楽だ」
 と思っていた。
 親友という間柄だけに、余計にお互いで気を遣うことが自然でなければいけないと思っている。
 だから、疎遠であっても、相手も同じことを考えていると思うことで、また再会しても、大学で別れた時のまま、時間だけが経ったと思えて、気も楽だというものだ。
 社会人になって、3年目くらいから、事務職にも慣れてきた。
 とはいえ、さらなるステップアップを仕事で求めようという気はしなかった。
「どうせなら、趣味に走りたい」
 と思ったのだった。
 だが、趣味といっても、いろいろ制限があると考えていた。
 まずは、当然のことながら、一人でもできること。これは、ほとんどの趣味が一人でするものであって、そもそも、一人で楽しむものが趣味だと思ったことで、
「仕事に走らずに、趣味に走ろう」
 と思った、一番の理由ではなかっただろうか?
 そして、もう一つ考えたのは、
「お金がかからずにできること」
 であった。
 こちらも、結構あった。
 一人で嗜むというのが、趣味だとすれば、お金を掛けないということを基本に考えられていると思うと、考えやすかった。
 そして、ここが大切で。
「人込みにはいかない」
 という身体的な問題があった。
 あさみは、大学時代は大丈夫だと思っていた人込みが、社会人になり、大学時代の思い出が忘却の彼方に消えていったあたりから、またしても、人込みに対してトラウマが思い出されてきたのだ。
 最初は、人込みがダメだと思い出したことも、
「社会人なんかになったことで、余計にトラウマが大きくなったんだ」
 と思っていた。
 そもそも、あさみは、昔から、
「社会人」
 という言葉が嫌いだった。
 父親が厳格な人で、
「堅物」
 といってもいいくらいの石頭だったのだ。
 あさみが小学生の頃の父親は厳しかった。
 いや、今から思えば厳しいのではなく、自分の勝手な思想を、子供に押し付けていたといってもいい。母親もそんな父親に背くことはない。むしろ、父親のいうことに逆らわないようにしているだけの、何ら意思も感じられない、人形のような人だった。
 そういう意味で、
「父親も嫌いだが、ある意味では、母親の方がもっと嫌いだ」
 と思っていたのだ。
「大人になったら、あんな親には、間違ってもならない」
 と、思っていたのだった。
 それが思春期前の小学生の頃だったので、思春期になると、反抗期もひどかった。
 まわりの反抗期が中途半端に見えるくらいで、一時期、突出した反抗期で、モノを壊したりと、まるで昔の、不良が多かった学校のようだった。
「何回、窓ガラスを割って、そのたびに修理させられたことか」
 と親は思っているかも知れない。
 母親はノイローゼになりかかっていて、父親は避難のつもりか、家に帰ってこなくなった。
 そんな感じで相手をする人がいなくなると、あさみは家に帰ってこなくなった。
 だからと言って、ぐれたわけではない。友達のところを転々と遊び歩いていただけのもので、自分の中で、
「小心者だ」
 と考えていたのだ。
 だから、ほとぼりが冷めた頃に家に帰ってみると、まだまだ家は、家庭崩壊しているのを見て、
「これって私がやったの?」
 と、自らの反抗期が、これほどのものかと思わされ、少々自分が怖くなったくらいであった。
 急に身体の力が消えていき、もう、家を空けることはなくなったが、小学生の頃を思い出すと、
「相当に昔のことのようだ」
 と感じたのだ。
 だが、実際には、数年しか経っていないのだ。
 昔というものが、極端な話として、生まれてくる前に思えたりして、それだけに、
「前世ではないか?」
 と思えるほどだったのだ。
「では、小学校時代の家族関係というのは、どういうものだったのか?」
 というのを一言でいえば、
「封建的なところがあった」
 といってもいいだろう。
「父親が絶対的な家長で、逆らうことは絶対にできない」
 というものだった。
 何と言っても、父親は、
「自分が一番偉いのだ」
 という考えが根底にあり、基本、
「逆らうことは許されない」
 ということだったのだ。
 だから、普通にしていれば、何も言われない。しかし、いざ自分の考えと違ったり、世間体に関しての意識が過剰なのか、身だしなみなどに関してはうるさかった。
 確かに、まだ小学生とはいえ、身だしなみに気を付けさせるのは、親の教育としては当たり前のことなのかも知れないが、その口癖を聞くたびに、ヘドが出るほど、反抗したくなるのだった。
 その言葉というのは、
「世間体が悪いんだよ。お父さんに恥をかかせないで」
 というものであった。
 完全に、
「自分の娘だということ自体が恥だから」
 ということで、存在自体を否定しているような感じではないか。
 そういう言われ方をすれば、どんなに言っていることが正しいことであっても、その信憑性は薄らいでしまう。
「あんなに、絶対権力を持っている人が言っていい言葉だとは思えない。むしろ、100点だったものに対して、原点対象になるだろう」
 ということだった。
 父親のような絶対的な権力を持っている人は、100点でなければいけないのだ。
 つまりは、絶対という立場が揺らぐようなことがあり、やむ負えず減点してしまうと、もうその人の存在価値はないとでもいうのかも知れない。
 言い換えれば、
作品名:飛び降りの心境 作家名:森本晃次