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飛び降りの心境

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 まさに、微笑ましい感覚だったのだ。
 しかし、大学在学中から、会社で研修のようなことをやったり、
「入社前に覚えておくこと」
 として、資料を渡されたりもした。
 あれだけ苦労のあった就活で勝ち取った会社から言われたことだったので、それほど苦痛という感じもなく、むしろ、
「今から徐々に慣らしていけばいいんだわ」
 と、思うことで気が楽になっていたのだった。
 それでも、就職してからも、覚えることはいっぱいあった。
 ただ何よりも辛かったのは、先輩からの視線であった。
「まだ、学生気分の残っている、ひよっこ」
 とでも思っているのか、明らかにその目は、
「上から目線」
 であった。
 これに関しては、
「少々鈍感な人でも、普通に分かるレベルだわ」
 と思うほどで、そう思っていると、
「先輩たちだって、数年前に同じ思いをしたはずじゃないの?」
 と思うのだが、きっと、
「会社に入って数年、会社に染まってきたのか、それとも、後輩ができて、先輩ということになると、後輩だった頃のことを完全に忘れてしまうのだろうか?」
 と考えたが、後輩である今は、その心が分からなかった。
 そんな一年目を何とか乗り切ると、気が付けば、大学時代の友達とは疎遠になっていた。
 もちろん、会社の先輩と、付き合いがあるわけでもなく、新入社員も自分だけだったので、友達もいなかった。
 もっとも、新入社員が他にいたとしても、友達になれたかどうか? 
「そのあたりは怪しいものだ」
 と思っていたのだった。
「大学時代と社会人との差は何なのか?」
 と言われたとすれば、いろいろな意見もあるだろうし、自分の中でも確かにいくつぃか思い浮かぶ気はしている。
 しかし、ハッキリと言えることは、
「気楽に心を許せる人が、いないのが、社会人としての世界だ」
 と考えるのだった。
 もちろん、
「大人としての、気遣いであったり、考え方は、社会人であれば、たしなみというほどに普通に備わっている」
 と思っている。
 実際に、
「大人の気遣い」
 というのは、実にさわやかな感じがしてくるのだが、社会人というものに染まってくるにしたがって、
「上っ面だけではないか?」
 と思うようになると、どこまでそんな思いに至るのかが、自分でも分からなくなってくるのだった。
 実際に自分ができているのかどうか、正直分からない。それだけに、何が上っ面なことなのか、ハッキリとしないのだった。
 最初の1年目は、友達と連絡が取れないことが寂しかった。
 しかし、1年目の年が押し詰まった年末くらいになり、繁忙期を迎えると、そのあたりが気にならなくなった。
「却って友達なんかいない方が、仕事に集中できる」
 と思ったのだ。
 確かに、忙しいのに、友達と話をしたりしている暇もない。世間では、クリスマスだ、年末だと、賑やかであるが、社会人になると、そんなものは関係なかった。
 大学2年生の頃くらいまでは、浮かれてはいたが、3年生にもなると、
「3年の間に単位をできるだけ取得しておかないと、4年生になってからの就活に影響が出てくる」
 ということで、年末というと、勉強と、
「資料調達」
 で大変だった。
 大学の試験というと、情報がモノをいう。人がキチンとまとめたノートであったり、人から得られる情報が貴重であり、
「過去の問題傾向であったり、先生によっては、毎年同じ問題ばかりが出ている」
 などという、貴重な情報を逃してしまうと、すべてに渡って勉強しなければいけなくなる。
 それが本当なのだろうが、背に腹は代えられない。卒業して、ちゃんと就職できるかどうかは、3年生の後期試験に掛かっているのだった。
 そういう意味で、勉強も資料調達も、滞りなかった。
 だからこそ、大学時代における友達の存在というのは、大切だったのだ。
 しかし、大学を卒業すると、皆新しいところで心機一転、新入社員として、1からのスタートになるのだ。
 入社した会社で、やり方も様々だろう。ただ、大学気分を一新しなければいけないもは事実だし、早く、会社に慣れなければいけなかったのだ。
 社会人になるということがどういうことなのか、正直、学生時代に想像もつくわけがないと思うようなことであった。
 一年生と言っても、
「知ってて当然」
 と、先輩が感じることが多いようだった。
 自分たちだって、その道を通ってきたから、簡単に社会人になれないことなど分かっているはずなのに、そこまでいうのは、
「愛のムチ」
 なのか、
「自分たちだって同じように、先輩から受けた禊だ」
 ということであろうか?
「社会人として、何が大切なのか?」
 ということを、新入社員の時に、考えておくといいという話をしてくれた先輩がいた。
「なるほど、確かにその通りだ」
 と感じた。
「2年目になると、1年目とはまったく違う態度をとられる。つまり、1年目にこなしておかなければいけないことをしておかないと、容赦なく、一歩進んだ階段にいるものだと上からは見られることになる」
 というものであった。
「社会人というのは、そんなに厳しいものなんですか?」
 と聞きたかったが辞めた。
 どうもその先輩は、優しいのだが、当たり前のことを当たり前ではないという感覚で質問をすると、急に、
「そんなことも分からないのか?」
 とばかりに切れるところがある。
 だから、助言は助言として聞いておいて、それをまともに受けてしまうと、相手に対して、余計なことを言ってしまい、怒りのラインを踏み越えてしまうことにならなくもないのだ。
 それを思うと、
「社会人って、本当に難しい」
 と感じる。
 今も今まで味方だと思っていた人が、急に地雷を踏むような一言を発してしまうと、一気に敵になってしまう。それが、問題なのだった。
 そこで、考えたのが、
「権利と義務」
 という考え方だったのだ。

                 権利と義務

「権利と義務」
 という言葉を聞くと、皆、どう感じるだろうか?
「権利があって、義務がある」
「義務を尽くすから、権利を主張できる」
 などと、いろいろな発想が生まれてくるに違いない。
 だが、これが、
「大学生と、社会人」
 という視点から見るようになると、少し違ってくるような気がする。
 まず大学時代であるが、
「大学生には、ほぼ権利しかない」
 といっていいかも知れない。
 ただ、これは大学生の発想であって、まわりからは、そうは見てくれないだろう。
「大学生というのは、自由ではあるが、その自由は権利というわけではない」
 ということである。
 つまり、自由というのは、
「推していけられているわけではない」
 ということで、
「勉強をしないといけない」
 ということに変わりはないのだ。
 勉強する時、自由にできるという発想で、勉強するというのは、ある意味、
「学生の本分であり、それを権利というのだ」
 ということであろう。
 しかし、大学の中にいると、たまに勘違いしている人で、勉強は義務教育の延長のような感覚で、子供の頃から、
「義務だ」
 と思っている人がいるだろう。
 確かに、国民の三大義務として、
「勤労、納税、教育」
作品名:飛び降りの心境 作家名:森本晃次