飛び降りの心境
「男の子って、自分から断ることはあまりしないと思うのよ、とりあえずつき合ってみて、ダメだと思うと、結構の割合で、男性から離れていくことが多いのよ。これが一つ上の世代の人には分からないらしいんだけどね」
という。
「そんなものなの?」
と聞くと、
「ええ、今の男性は、草食系とか言われて、昔のようにガツガツしてないようなの。昔なら、紳士だって言われるんでしょうけど、今の女性は逆に肉食に飢えているので、そんな男性を冷めた目で見ているんじゃないかしら? だから、そんな女性の目に気づいた男性は、そんな自分の状況に耐えられなくなって、別れを切り出すんじゃないかしら?」
と彼女はいっていた。
「そんなものなのかしらね?」
といっていたあさみだったが、確かにその話をしてから、男性と付き合うようになっても、男性から別れを告げられることが多かった気がする。
「相手から別れを告げられるのは、本当だったら辛い気持ちになるんでしょうけど、私はそんなにきつくはないのよね。自分の方から別れを告げることを思えば、相手からの方が気が楽に感じるわ」
とあさみは思ったのだ。
あさみは、今社会で問題になっている。
「少子高齢化」
という問題を無視しているつもりはないが、あまり気にしないようにしていた。
これは、他の人も同じなのだろうが、
「自分一人が考えたって、社会全体がどうなるものでもない」
という思いだった。
「この感覚、似たような思いをしたことあったはずだわ」
と思ったが、それが何かというと、
「そうだ、選挙だった」
と感じたのだ。
あさみは、選挙権を持った20歳になってから、数回は選挙にいったこともあったが、もう今はまったくいっていない。
「選挙で誰に入れたって、結局、当選する人は最初から決まっているのよ」
という、いわゆる、
「出来レースにすぎない」
としか思っていない。
今までの選挙結果は、ほとんど、下馬評であったり、評論家が出てきて、コメントした通りになっている。あさみが、誰に入れようが入れまいが、変わりがわるわけではない、当たり前のことであり、
「数万票の差で決まるものを、自分の一票が一体どうなるというのだ?」
としか思っていない。
マスゴミや政府のいうように、
「皆さん選挙にいきましょう」
といって、その言葉でどれくらい増えるか分からないが、確かに投票率によって、与党が勝つか、野党が勝つかということは左右されるだろう。
なぜかというと、与党のように、投票率関係なく、最初からバック体制ができていて、組織票のようなものが確立しているところは、投票率が低ければ、その分、与党に有利なのだ。
しかし、組織票以外でも、与党が有利な時もあれば、逆の時もある。そうなると、投票率が上がれば上がるほど、政局の行方は分からなくなるというのが、一般的な話であった。
ただ、一つ言えることは、
「投票率が低い方が、圧倒的に与党に有利だ」
と言えるだろう。
それでも、政府は、
「投票に行きましょう」
という。
この理屈を分かっていれば、
「ただ、いっているだけの上っ面なことだ」
ということが分かるだけに、余計に投票にいくだけバカバカしいと思う。
なぜなら、政治に興味もなく、ましてや、今のように、野党がどうしようもなければ、
「もう出来レースでも構わない。しょせんは、自分の一票なんて、体勢にまったく影響ないんだから」
というだけのことであった。
そんな政治に興味もなく、選挙にいかない若者が多いので、政治家の興味は、高齢者に向かう。
高齢者は、とにかく選挙にはいくというイメージであった。
だから、以前、国家がいろいろな政策を打ち出した時、
「明らかに、高齢者優遇の措置だ」
とマスゴミからも批判を受けるような内容だったのを思い出すと、それも、無理もないことのように思えたのだ。
あさみは、政府に何の期待も持っていないので、会社にも期待をしなくなった。
「一日一日を、何も問題なく過ごす」
というだけの毎日になっていた。
入社してすぐくらいの頃は、大学時代の友達とも、少しは交流があった。
しかし、今では誰とも連絡を取り合っていない。
「卒業してからも、私たちだけは、連絡を取り合おうね」
と、大学4年間、ずっと友達だったと思っていた人との約束も、就職してから1年もすれば、
「なかったこと」
になっていたのだった。
入社してすぐは、お互いにどちらからともなく連絡をしていた。
しかし、そんな時に限って相手は研修など、
「覚えなければいけないことが多い」
ということで、露骨に嫌な声になる、
もちろん、自分も同じなのだから、相手も気持ちはよく分かる。
そうなると、声をかけるのも憚られて、次第に疎遠になるのは当たり前のことだ。
「ずっと連絡を取り合おう」
といって卒業した二人だったが、その時の会話が、まるで数年前の、遠い過去だったように思うのも無理もないことだった。
「高校時代のことの方が、大学時代よりも、最近のことのように思う」
という感覚は、大学を卒業し、就職した頃に感じていた。
大学時代にも、
「小学生の頃の方が、まるでつい最近のことのように思う」
と感じたことがあったが、その時は、
「面白い現象だわ」
という程度で深く考えたこともなかった、
しかし、就職してから、研究機関中などの時に、よく感じるようになった時は、
「なぜ、こんなことをしょっちゅう感じるんだろうか?」
と思うようになった。
一つの理由として考えられるのは、
「環境が変わったから?」
というのが、一番に浮かんできた。
だが、もう一つは、その延長ではあるが、
「そのことに気づくのは、タイミングが必要だ」
と感じることであった。
というのも、
「大学四年生というと、学生時代という括りの上では、一番の頂点という認識で、その後就職すると、まるでリセットされたかのように、今度は、社会人としては一年目で、何も分からない、ペイペイだということだ」
と考えられるからである。
「社会人一年生と、小学一年生、どちらも同じ一年生だ」
と思うと、
「小学一年生というのは、今では意識はないが、社会人一年生のような苦労があったのかも知れない」
ということで、記憶の奥を引っ張り出したいと思うのかも知れない。
その記憶の中で、いかにして、二年生、三年生になるにつれて、成長していったのかということを思い出せば、
「今の社会人一年生というきついと思えるこの状況を、少しでも気楽にできるのではないか?
と考えるからであった。
確かに、社会人一年生と、小学一年生では、比較になるものがないのかも知れないが、そんな昔のことを思い出したくなるほど、社会人一年生を、
「きつい時代だ」
と思っているのかも知れない。
確かに大学4年生の頃は、あの悪夢だと思った就活を乗り越えて、今の会社に就職したのだ。大げさにいえば、
「就活の中では、勝ち組だ」
といってもいいだろう。
だから、就職できた時は、ホッとしたあという気持ちと一緒に、
「よくやった」
と、自分だけでも、自分を褒めてあげた。