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飛び降りの心境

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「小説投稿サイトというのだから、作文は別のサイトでやってほしい」
 と思うのだ。
 小説というのは、
「あくまでも、フィクションであり、創作物だということを頑なに信じ、それ以外を認めようとしないというのは、果たして、わがままだといえるのだろうか?」
 と感じるのだった。
 あさみが、webに投稿サイトに、
「定着しなかった」
 という本当の理由は、
「ノンフィクションを小説として扱っていることだ」
 というところにあったのだった。
 確かにノンフィクションというものと、フィクションというものを、小説という括りで話すのは、別なのかも知れないと思う。
「ノンフィクションだったら、小説ではない」
 という考えは、正直乱暴だとも思う。
 しかし、考え方は人それぞれなのであって、それを正すということは、他の人にはできない。
 それでも、他人に迷惑を掛けるようなことであれば、
「できない」
 ということでは許されないだろう。
 それを思うと、
「フィクションだから、架空だから、小説にしてしまうと面白いのかも知れない。アニメやドラマなどでは、映像作品ということになり、想像力の及ぶ範囲ではない」
 ということで、あさみの思っている、
「フィクション最強説」
 は、少し違うような気がした。
 次元の違いというか、発想の違いといってもいいだろう。
 そんなことを考えていると、ふと、それまで、小説というものに造詣の深かった自分が、少し違ってきたのを感じたのだ。
 いわゆる、
「ここで一線を引く」
 という感覚であろうか。
 本当はまだまだ小説を書いていきたいという意識もあったし、そのつもりだったのだが、
「小説を続けていると、会社の仕事に影響があるような気がする」
 というものであった。
 会社の仕事も一生懸命にしようと思い始めていたこともあって、あまり趣味に没頭するのは、自分で怖いと思うようになってきた。
 それまでは、
「仕事のストレスを、趣味で解放しよう」
 とおもっていたはずだったのだが、そうではなく、今度は、仕事を一生懸命にやらなければいけない立場であり、実際に、
「集中して仕事に打ち込もう」
 と思うようになってきた。
 つまりは、
「仕事を一生懸命にしたいと思うということは、それだけ仕事が好きになってきたということだろう」
 と感じたのだ。
 一生懸命にやっているつもりでも、成果が出なければ、
「やっていて面白くない」
 と思う。
 しかし、逆に、成果が出たからといって、それがやりがいになるわけでも、一生懸命にやらなくても成果が出ることもあるのだから、逆もありうる。それを役得と考えるかどうかということであった。
 ただ、一生懸命にやるということが大前提であり、それ以外、どう考えるかということが、問題になるのだ。
 だから、趣味に走ると、
「趣味に逃げた」
 と、一番感じたくない思いに至るのであった。
 そんな頭が混乱していて、結論が出ない、
「一人小田原評定」
 のような状態で、考えることは、
「ここは思い切って、小説からしばらく遠ざかってみようか?」
 ということであった。
 小説から離れてみると、急に余裕が出てきたような気がしてきた。
「接待に寂しくなって、何をどうしていいのか分からなくなるに違いない」
 と思っていたのが、ウソのようである。
 そんなことを考えていると、
「趣味自体もしばらく、封印しよう」
 と思うようになったのだ。
 そんなことを考えていると、次第に、仕事に集中するようになると、
「小説執筆」
 ということが、今までのルーティンだったということを忘れてしまうほどになっていた。
 ルーティンである時は、実際に感覚がマヒしていたかのように思えたのだが、実際にやらなくなると、
「やりたくてしょうがない」
 という、
「禁断症状」
 に陥るのではないかと思うのだった。
 だが、仕事もやってみれば結構面白かった。自分で企画したことが、結構受け入れられたり、そのおかげで、
「君が、リーダーとしてやりたまえ」
 などと言われると、
「一生懸命にやろう」
 と、意気に感じるのだった。
 しかも、企画関係の仕事というのは、自分でアイデアを出して、それが通ると、企画し、さらに、監督するような立場になれる。
 つまり、
「すべてを自分で作り上げることができる」
 ということに、喜びを感じるようになった。
 小説を書くのも同じようなものである。
 そのうちにどんどん仕事が回ってきて、忙しくなるのだが、やりがいというものがあるおかげで、
「今は、三度の飯よりも、仕事が楽しい」
 と思うのだ。
 バブル前のように、残業しても、残業代が出れば、もっといいのだろうが、やりがいは、お金に換えられるものではない。
 期待されることが、どれほどの悦びなのかということを、今まで知らなかっただけに、元々がおだてに弱いと言われているあさみは、
「がんばろう」
 と思った。
 世の中は、
「男女平等」
 ということで、
「男女雇用均等法」
 というものが生かされるかのように機能している会社が多いが、あさみの会社では、そんなものは、ほとんどないというような、ブラックな会社だった。
「今度こそ辞めてやろう」
 と毎日のように思っていたのに、いつの間にか、会社から期待され、やりがいも出てきたことで、毎日が充実していた。
 しかし、あさみは、完全に会社に操られていた。まるで、
「傀儡」
 ではないか。
 彼女が請け負うことになった仕事は、今までに何人もの人にやらせてみて、最初の頃は、皆意気に感じて、頑張って仕事をするのだが、そのうちに、心労からか、身体を壊すようになって、仕事よりも、本人が耐えられなくなり、救急車で運ばれるなどして、プロジェクトは中断してしまった。
 その後、何人かにやらせたが、うまくいかない。
 二人目も体調を崩して、倒れてしまった。
 さすがに三人目には、一からやらせてみたのだが、今度は、身体を壊すことはなかったが、事業は失敗してしまった。それに悪いことに、中断したところが悪かったようで、ある程度までは進んでいたのに、
「また一からやり直さなければいけなかったのだ」
 つまり、三人目のしていたことは、時間で区切ってやっていたので、次の人を見つけて、引き継いでから、いざ取り掛かろうとすると、すべてにおいて、手遅れの状態だった。
 ということは、
「ここまでやっておきながら」
 ということではあったが、また一からすべてがやり直しになる。
 しかも、前の企画は使えない。すべてが手遅れになってしまうので、一から企画を立て直さなければいけない。その白羽の矢が当たったのが、あさみだったのだ。
「今度こそ、最後だ。これでうまくいかなかったら、この計画は最初からなかったことにする」
 という企画執行部の内々の話であった。
「ということは、どういうことになるんですか?」
 と、企画会議の委員が、委員長に聞くと、
「今言った通りさ。すべてがなかったことになるということさ」
 というではないか。
「しかし、今まで投じた資材はどうするんです? かなりのお金を会社の資金から投入していますが?」
 というと、
作品名:飛び降りの心境 作家名:森本晃次