飛び降りの心境
というのが、普通になるのだろう。
ただ、それを何回も発行する人がいるとすれば、一人に対して、一人が担当ということになるのだろうか?
あくまでも、作家の先生として崇めるのは、相手がプロだからである。自費出版社系であれば、
「お金を出してくれた人がスポンサーであり、素人でも、プロの扱いで、本を作る」
ということになるのだろうか?
しょせんは、
「どうせ、売れない本」
という意味で、お金を出してくれるから、へいこらしているだけで、そうでなければ、塩対応になってしかるべきということだろう。
どうせ、一回出せば、
「もう一冊どうですか?」
とばかりに、次々に、
「ダメ元と分かっていて」
発行しませんかと言ってくることだろう。
あくまでも下手に出てである。
当然金がないわけだから、言われた方も、やんわりと気を遣って断っているのだが、相手は、
「どうせ、次なんかないんだ。あったとすれば、儲けもの」
という程度に考えているに違いない。
となると、
「一般の出版社は、作家を中心に考えて、自費出版社系は、作品を中心に考えていたのかも知れない」
と思えた。
実際には、自費出版社系であっても、作家を相手にしなければいけないのに、そうではなかったとすれば、そこで見えないところでの亀裂があったとして、それは無理もないことのように思えるのだった。
それを思うと、
「自費出版社系というのは、潰れるべくして潰れて行ったのだ」
と言えるのではないだろうか?
そもそも、あさみは、
「自費出版社系との絡みの途中くらいまでは、作家になりたいと真剣におもっていたけど、自費出版社系が、下火になり始めてから以降は、作家を目指している自分に疑問を感じていたんですよ」
という。
そして、完全に自費出版社系の詐欺が表に出て、完全に崩壊してしまうと、今度は、web系サイトに興味を持ったが、その頃には、
「ここでやっていても、作家になるということは皆無だろうな」
という目で、最初から見ていた。
「もう、ここから先は趣味の世界でもいいや」
と感じるようになると、それ以上を求めないようになったのだ。
小説を書くということは、一番最初は趣味としてやっていて、完成させられることができると、
「プロになりたい」
と思うようになる。
しかし、
「プロになることが、どれほど難しいか?」
ということが分かってくると、その難しさも、運であったり、上り詰めるための階段が不規則であったりと、想像がつかないことを目指そうとしているのだと思うと、次第に、虚しくなっていた。
「目指すということって、こういうことではないような気がするんだけどな」
という感覚である。
だから、大学を卒業する頃には、すでに、趣味の世界でも、ほぼマンネリ化してきて、就職すると、それどころではなくなり、
「昔、趣味で書いていたことがある」
という程度に、昔のことに思えてきたのだ。
そして、社会人になって、落ち着いてから、
「何か趣味を持たなければいけないな」
いや、
「趣味を持つことで、精神的に気が楽になる」
と思うと、本当であれば、今までの趣味であった、
「小説を書く」
ということに走ってもよかったはずだ。
何と言っても、あれだけ書きたいと思いながらも書けなくて、書けるようになるまでかなりの苦労をしたはずなのに、
「どうしても、もう一度、趣味にしたい」
という気分にはならなかったのだ。
というのも、
「出版するということの汚さを見てきたからだ」
と思う。
あの、
「王道」
である、出版社系の新人賞を取って、プロになれたとしても、問題はそこから先である。
「新人賞を取るために、全神経を使って書けた作品なので、すぐに次というのは気力がない」
という人もいるだろうが、出版社は待ってくれない。
もっといえば、
「それくらいのことができるのでなければ、プロとはいえない」
ということになるだろう。
「お金を出せば、本を作ってくれるという世界ではないのだ。あくまでも、本を書いて、飯を食っているという世界なのだ。相手が厳しい注文を付けてくるのは当たり前、こちらは相手の要望に対して、応える義務があるのだ」
ということになるのだろう。
それを考えると、
「プロになんかなりたくない」
という気持ちがもう片方で出てくるのも無理もないことで、そうなると、社会人になって、毎日ストレスを抱えながら、プロ作家という、
「理不尽な世界」
に見えているところに、敢えて、脚を踏み入れようとは思わない。
それは、今、会社の中で、理不尽なことなどをひっくるめて抱え込んで、苦しんでいるからこそ、思うことではないだろうか?
目指すとすれば、その先のパラダイスであったり、ユートピアと呼ばれるもの、何を好き好んで、いばらの道に入らなければいけないというのか?
それを考えると、
「いくら理不尽であっても、まだ社会人の方がいいのかも知れない」
と思うのだった。
最初小説を書きたいと思ったのは、
「他の人には簡単にできない、自分だけにしかできないこと」
ということから入ったのだ。
実際に、最後まで書き切るということを一つの目標としてきた時、大変ではあったが、それなりに楽しかったというものだ。
それともう一つは、
「何もないところから、自分オリジナルで作ることが好きだから」
というのが理由である。
だから、あさみは、ノンフィクションというジャンルが嫌いだった。
「随筆、エッセイなどというのは、元からあるものを題材にするのであって、発想とは違うではないか」
ということから、正直、毛嫌いしていた。
最後にはwebサイトに少し入ったが、その時、アクセスランキングというものが、そのサイト内で、作品と作者の両方で毎日更新されていた。
あさみは、それまでの作品をすべてこのサイトで公開していたが、どうも作品のランクは上がってこない。
しかし、作家としては、絶えず上位にいた。作品数が多いというのもその理由なのだろうが、それだけではなく、
「満遍なく、作品をアクセスしてくれているんだ」
と感じたからである。
中には、数作品が、いつも上位にいる人でも、個人ランキングともなると下の方だったりする。
つまり、
「人気のある作品は、たくさんのアクセスがあるけど、それ以外の作品は、誰も見向きもしない」
ということになるのだろう。
作家としては、どちらがいいのだろう?
「一つか二つの作品は評価されるが、他の作品はまったく見られない」
ということと、
「作品、一つ一つはそうでもないが、満遍なく見てくれることで、個人順位は上位に来ている」
ということである。
あさみは、その順位を、
「ありがたい」
と思って見ていたが、なぜなら、
「上位に来ている作品のほとんどは、エッセイであったり、紀行文などの、作文のようなものが多い」
と思うからだった。
あさみは、
「私の作品は、ノンフィクションとは、別の次元にあるんだ」
という風に考えていた。
要するに、
「ノンフィクションは、小説の分類に入れたくない」
という発想であり、もっと言えば、