飛び降りの心境
「時間と作品の完成度を、横軸と縦軸のグラフにして見た場合、時間のムダというマイナス部分が強いことで、疑心暗鬼が、自己嫌悪に繋がって、さらに苛立ちに繋がることで、完成されることができない理由にしてしまう」
ということからであった。
同じ苛立ちでも種類が違う。プラモデルの場合は、理由なく苛立っているので、時間が経てば、冷静になって、苛立ったことを忘れてしまったかのように、
「また挑戦しよう」
と考えることだろう。
しかし、小説の場合には、苛立ちではなく、挫折に近いので、時間が解決してくれるものではない。それでも、何度か挑戦してみようと試みるが結局ダメで、そのまま辞めてしまうと、そこから先がまったくいうことを聞かないという、自分の意志とはかけ離れたところから来るように思うのだろう。
だから、第一段階の障害と言ってもいい。そこまでできるようになると、
「ものを書く」
ということに関しての問題は、一切なくなってしまうのだった。
そのうちに、パソコンで書くようになった。
「どうして最初から。パソコンで書かなかったのか?」
と聞かれるかも知れないが、
「最初から、パソコンでできるくらいだったら、こんなに苦労はしない」
といいたいのだ。
パソコンで一番難しいのは、
「考える時間が取れるかどうか?」
ということだった。
手書きであれば、書いている間に次を考えられるが、パソコンのように、早く打つと、考える時間が得られないのではないかと思ったのだ。
「だったら、ゆっくり打てばいいではないか?」
と言われるかも知れないが、ゆっくり打つと今度は余裕がありすぎて、余計なことを考えてしまうという懸念があったのだ。
だから、
「パソコンを使うとすれば、手書きである程度までできるようになってからにしよう」
と考えていた。
しかし、手書きの場合はある程度難しいところがある。
何と言っても、
「力技だ」
ということであった。
手書きだと手に力が入ってしまう。スピードも遅いし、次第に指が疲れてきて、感覚もマヒしてくる。
「ストーリーを考えている余裕などなくなってしまう」
ということだった。
つまり、
「リズムで書くことができない」
ということであり、最初の課題だった、
「考える時間」
がうまくいかなくなるのだ。
さらに、もう一つは、
「習性が難しい」
ということだった。
「鉛筆だったら、消せばいい」
と言われるかも知れない。
しかし、例えば1ページ前に、間違いあるいは、誤字が見つかったとして、字数が変わってしまう場合は、そこから以降をすべて消して書きなおすが、注釈を入れるような形にするかのどちらかだろう。
明治の文豪の手書き原稿などといって、資料館などで展示されているのを見ると、注釈が至るところに書き加えられていて、
「よく当時の編集者はこれで分かるな?」
というものであった。
パソコンやワープロなどができる前の原稿は、ずっと手書きだったので、その伝統が残っているだろう。
だから、今から二十数年前の頃までのことである。そういう意味では、
「ごく最近までは、当たり前のことだったんだ」
ということであった。
それまでの編集者は、見慣れているから、少々汚い原稿が読めただろうが、今はパソコン原稿が主流になってくると、もう手書き原稿などを見れる人はいないかも知れない。
「手書き原稿お断り」
という出版社も多いことだろう。
それが、プロ作家であっても同じことだ。
相当な売れっ子作家でもない限りは、本当に手書きというのは、冗談抜きで、お断りということであろう。
パソコンやワープロが普及してくると、パソコンで打つのが当たり前になってきた。
そんな時代に慣れてきて、パソコンで打つようになると、今度は、先のことは、
「打っている間に考える」
という能力がついてくるのだった。
だから、実際には、最初の原案とかは、あっという間に書き上げる作家だっているかも知れない。プロだとなかなかそうもいかないだろうが、素人であればあるほど、簡単にできるのかも知れない。
あさみもそうだった。
「考えれば考えるほど先に進まない気がしたので、原稿を書いている時は、なるべく考えず、先先に進むようにした」
と言っていた。
「だから、私は、質より量だと思っているのよ」
というのだったが、それも分かることであった。
だから、作品の数はかなりあり、ストックも増えてきた。出版社系の、
「小説新人賞」
などに片っ端から応募したのだが、なかなか一次審査も通らない。少し行き詰ってきたところで、新たな商法が生まれたのだった。
本にしませんか?
というのは、いわゆる、
「自費出版社系」
というジャンルだった。
「本にしませんか?」
という広告を新聞や、文芸雑誌に掲載し、
「本を出したい」
と思っている人の関心を得るのだ。
そこに原稿を送ると、ただで批評をしてくれて、審査の上、出版社の提示する三種類の方法で出版見積もりをしてくれて、返してくれるというわけだ。
普通、プロになりたい素人作家は、出版社系の新人賞に応募し、入選を目指すか、出版社に直接営業をかける形で、持ち込むかの二つしかなかった。
新人賞というのは、一番オーソドックスな方法で、審査を受けることになるのだが、ほぼうまくはいかない。
かといって、持ち込み原稿などは、最初からゴミ箱行きだというのが、通説だった。
新人賞に応募しても、結局分かることといえば、最終審査に残って、最後入選した作品だけで、それ以外の作品がどうだったのかということは一切知らされない。
しかも、原稿を公募する時点で、
「審査に関しての質問には、一切お答えできません」
と書かれている。
それだけでも、
「まるで出来レースじゃないのか?」
と勘ぐれば勘ぐることができるというものである。
だから、自分の作品が、
「橋にも棒にもかからない愚策だった」
ということなのか、
「もう少し頑張れば、最終審査に残るレベル」
だというのか、まったく分からないのである。
それによって、
「俺は、底辺にいるから、もうあきらめて、他を目指そう」
であったり、
「もう少しだったのなら、もっと頑張って、プロになるんだ」
と思う基準になるのだ。
だが、それが分からないので、老人になっても、プロとしてもデビューを目指し、書き続けている人だっているわけだ。
そんな出版界の、
「悪しき伝統」
を覆してくれそうなのが、この、
「自費出版社系」
の会社だったのだ。
原稿を送ると、
「皆さんの作品は、必ず読んで、批評して返します」
というのだ。
それもそのはず、作品によって見積もりを作るわけなので、作品を読まないと始まらない。しかし、出版社の原稿を読む人も一種のプロなのだろう。ただ、ほとんどの内容は、
「あなたの作品は、あとちょっとで、出版社が認める企画出版ができるレベルですが、出版社の基準に至っていないので、今回は、共同出版の形で、見積もりを出させていただきます」
というものだ。