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自転車事故と劇場型犯罪

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 と感じるようになったのは、当時、友達だと思っていた、中学時代からずっと、同じ学校に通っていた男の子からだった。
 その子は、中学時代、佐和子の方が好きだった。他の男の子とどこかが違っていて、ただ、どこがどう違うのかということを説明しなさいと言われると、その理由について答えることができないという思いが強かった。
 そういう意味で、中学時代に他の男の子は意識しなかった。
「男性として見ていなかった」
 といってもいいかも知れない。
 だから、男性として見ていたのは、彼だけだったのだが、だからと言って、いやらしい目で見ていたというわけではなかった。
 自分がそう思い込んでいるだけなのかも知れないが、少し違うように思えてならなかったのだ。
 小学生の頃は、
「ませていた」
 といってもいいくらいの女の子だった佐和子であったが、中学に入ると、今度は晩生になってきて、特に男性とのことに関しては、次第に意識がなくなってきた。
 かといって、好奇心がなくなってきたというわけではない。男性に対しても好奇心がないわけではなかったのだが、
「男性として意識する相手がいなかった」
 というのが、本音だったのだろう。
 最初はそれを、好奇心がなくなってしまったかのようで、気になっていたが、後になって思い出せば、気が付けば、気になる男の子がいたわけで、徐々に意識が強まっていったのだが、それが、最初からだったのではないかと思うと、それまでの思いと重なって、
「本当に彼のことが好きなのだろうか?」
 と一足飛びに、恋愛感情と結びつけてしまったことで、行き過ぎた感情に、またしても、足踏みをしてしまい、それ以上の感情を抱かないように、自分で、感情をセーブするようになったのだった。
 その思いは、あくまでも、自分の中にあるもので、人から言われて感じるものではないと思うのだった。
 さて、高校生になると、今度は、それまでと違い、男子が気になって仕方がなくなっていた。
 身体が勝手に反応するのだ。
 恥ずかしくて、他の人に言えるわけもなく、一人で悶々としている。
 男子を好きになるのだが、いったい誰が好きなのかが分からない。誰かを好きだという感覚はあるのだが、相手が見えてこないというのは、これほどもどかしいことはないと思ったのだ。
 誰のことを好きになったとしても、自分で抑えることができないと思っているくせに、「どこまでが肉体的な感覚で、どこからが精神的な感情なのか分からない」
 と思うのだった。
 自分の中で分かっていることは、
「まず、肉体的に身体が反応して、ムズムズした気持ちになり、次第にそれが精神的なものに変わり、ムズムズが悶々とした気持ちに変わっていくのだろう」
 というものだった。
 そしてその時、
「精神的なことに移行しても、肉体的なムズムズが収まるわけではないようだ」
 と感じた。
 思いが強くなると思うのは、
「最初は肉体だけだったものに、精神的な感覚が加わり、単純に倍というわけではないのだろうが、少なくとも意識するほどに、感情が高ぶってくるものではないだろうか?」
 と思えたのだ。
 しかし、その時に感じるのは、
「相手がハッキリしないと、これほど悶々とした気持ちはない」
 というものだった。
 最初の肉体的なムズムズを抑えるにはどうしたらいいのか、最初は分からなかったが、
「自慰行為」
 というのを覚えてからは、まるで、
「動物の営み」
 とでもいうような感覚で、自慰行為にふけっていた。
「これが本能というものなのかしら?」
 と思い、一度でまだムズムズする時は、我慢することなく、解消されるまでしていたのだ。
 そこで解消されれば、精神的な悶々というのは、その時はなくなる。
 だが、だからと言って、スッキリしたわけではない。
「おかしいわ。これでスッキリしないというのは、どういうことなのかしらね?」
 と思うのだが、一つ思ったのが、
「自慰行為の時、誰か男性の顔が浮かんでくるわけではないからなのかしら?」
 と思った。
 男性に抱かれるという妄想が、自慰行為の
「おかず」
 なのだが、自分を抱いてくれるその男性の顔がいつもハッキリとしない。
 口元だけ、嫌らしく歪んでいるというのは分かるのだが、目も鼻も、まったく分からないのだ。
 だが、高校生になると、その目がうっすらと分かるようになってきた。そして、その頃から、自慰行為でスッキリとしたはずなのに、精神的な悶々とした思いは、消えることはなかった。
「私、性欲が強くなったのかしら?」
 と、恥ずかしく思うのだったが、考えてみれば、自慰行為をする時点で、恥じらいを感じるというのは、おかしなものだったのだ。
 自分の性欲を抑えるのに、他に方法があるわけではなかった。そう思っているのは、
「自慰行為にふけっていたからではないだろうか?」
 と思うのは、
「それだけ、自分が内に籠っていたからなのかも知れない」
 と感じるようになっていた。
「大人というものに手が届く」
 という意識を持つようになったが、
「近いのに、届きそうで届かない」
 と感じるようになったことが、高校時代という時期の自分だったのかも知れないと感じるのだった。
「一番性欲が強い時期だ」
 というのは、ウソではないだろう。
 しかし、逆にいえば、
「誰か決まった相手とつき合いたい」
 という思いが強くなったということだろう。
 中学時代は、惰性アイドルに憧れ、いわゆる、
「推し」
 というものになっていたことで、自分の欲しているものが、
「憧れの相手」
 だと思うことで、自分に特定の彼氏がほしいなどという感覚はなかったのだった。
 アイドルというのは、あくまでも、
「媒体を通してしか会うことのできない相手で、もし近くにいたとしても、決して触れることのできないもので、それだけに、今よりももっともどかしい」
 と思うようになっていた。
 それを分かっているのに、どうして自分がアイドルに憧れるのか、その時は分からなかった。
 しかし、高校生になって感じたのは、
「一人の誰かを好きになるということを意識しないようにできる」
 ということの裏返しではないか?
 と感じるのが、理由ではないだろうか?
 そんなことを考えていると、
「やっぱり、彼氏というものが私には必要なのかも知れない」
 という、どこか他人事に感じられるような思いが強かったのだった。
 高校生になって、その子を意識するようになったのは、彼の視線を感じるようになったからだ。
「待って、何この感覚は?」
 と最初は、その視線の意味が分からなかった。
 だが、後になって彼がいうには、
「何いってるんだよ。視線を向けてきたのは、君の方だったじゃないか?」
 と言われた。
 最初は、
「彼も恥ずかしいから、私のせいにしようとしているのではないか?」
 と思ったのだが、どうもそうでもないと、佐和子の方も感じるようになったのだった。
 佐和子が、その彼のことを意識した時、すでに彼は、自分に話しかけようかどうか迷って、決心を固めた時だったという。
 つまり、
「顔を向ければ、そこに、彼の顔があった」
 ということだったのだ。