自転車事故と劇場型犯罪
それも、同じ路線であれば、自分だけに限ったわけではないのだろうが、すべてが違う路線で、それが一週間に数回ともなれば、
「ただの偶然」
ということでは片付けられないのではないだろうか?
というのも、乗り換えが3回あるだけでもまれなわけではないだろう?
それなのに、その3回すべてで、一週間に一度ずつ事故、しかも人身事故というのであれば、それこそ、
「何かにつかれているのではないか?」
と言われたとしても、それは仕方のないことだと思う。
そんな佐和子だったので、
「一度見れば、他にも起こるかも知れないな」
と思うのも無理もないことで、もう一度あれば、
「やっぱり」
と思うのだった。
ただ、電車においての人身事故というのは、
「そのほとんどが、飛び込み自殺だ」
というではないか。
「飛び込み自殺ほど割に合わないこともないのではないか」
と言われるのだが、その理由はいくつかある。
一つは。
「壮絶な死に方を見せなければいけない」
という理由である。
轢死ということになると、身体がバラバラになることだってあるだろう。そういう死に際を見せるというのも、抵抗がある人は多いだろう。
しかし、
「確実に死ねる」
という意味で、轢死を選ぶ人というのも多いのかも知れない。
だが、問題は、もう一つにある。
というのは、
「鉄道で飛び込むと、賠償金を請求される」
ということであった。
鉄道に飛び込むと、たくさんの人に迷惑をかける。鉄道会社が損になるという理由で、賠償金として、ひどい時は、数百万を請求されるのだ。
本人は死んでいるので、請求は残された家族に行く。下手をすれば、生命保険を、ほとんど持っていかれるというようなことになりかねないのだ。
「三代に渡って返さないといけない」
と言われるほど、鉄道会社からの賠償請求は厳しいものである。下手をすれば、サラ金よりも容赦がない。
相続税を収めなかった時などと同じくらいの扱いを受けることだろう。
そうなると、
「鉄道による自殺は、本当に割に合わない」
といってもいいはずなのに、なぜか自殺が減ることはない。
本当は、
「自殺しなければならない」
というほどに、世の中から追い詰められたということで、いろいろな理由もあるのだろうが、
「死にたい」
と思うのだから、結局は、
「政治が悪い」
と言えるのではないだろうか?
そう考えると、
「まずは、世の中を何とかしないと」
と、できるできないは別にして、そのあたりを問題にしないと、何も解決しないのではないだろうか?
佐和子の成長
「さすがに電車に飛び込んで死んだ人を見ると、少しは自転車を運転する人も気を付けるのではないだろうか?」
とは思うが、実際に見ると、トラウマになるだろう。
しかし、それくらいのショックがなければ、自転車の無謀運転は亡くならないかも知れないとも思う。
考えてみれば、運転講習などのビデオでは、必ず、事故の悲惨な写真を見せたり、事故を起こしてしまったドライバーの反省の肉声を載せたりしているではないか。
普通の優良ドライバーであれば、
「こんなものを見せられて」
と思うのだろうが、それだけの衝撃を与えないと、分からない人がいるということになるのだろう。
そう思うと、本来であれば、
「加害者になりそうな人に、恐怖の体験をさせるくらいのことがあってもいいのではないだろうか?」
とも思える。
教習上のようなところに縛られて、車をギリギリのところで止めるなどのような恐怖体験をさせないといけないほど、人間の感覚は、マヒしてしまっているのであり、本来なら、本能で感じなければいけないところを感じないままに、やり過ごすなどというようなことが、実際に起こっているのだろう。
確かに、
「恐怖政治」
のようなことはいけないのかも知れない。
それこそ、独裁政治や、軍事政権などのように、
「力で押さえつける」
というようなやり方は、悲劇を生むのだろうが、それをしないことによって、善良な人が被害に遭うというのであれば、それこそ本末転倒だといってもいいのではないか。
そんな中で、もう一つの手段としては、
「事故の場面を見せつけられる」
というのが一番なのだろう。
もちろん、それだけのために、誰かを犠牲にするなど、これこそ本末転倒であるが、例えば、轢かれるのが、ロボットやサイボーグのようなものであれば、少しはリアルになるかも知れない。
これは、あまり知られているわけではないが、実際に、
「事故のシーンをリアルに見せる」
という意味での、ロボット開発が進められているという話を聞かされたことがあった。
どこまでが本当のことなのか分からないが、実際に研究されているというのは、ウワサとして聞いたことがあった、
それを聞いたのは、
「警察に知り合いがいる」
と言っていた人だったので、信憑性がないわけではない。
わざわざ人を欺くのに、こんな、わかりやすくウソかも知れないと思われるであろうに、普通なら考えないような発想を思いつくということにギャップがあり、考えられないことでもないような気がしたのだった。
特に、最近の自転車問題など、
「自転車だったら、リアルにできるかも知れない」
ということで、スタントマンを使っての、
「事故再現ドラマ」
のようなものを作成しているということなのだろうか?
確かに、ビデオだと、
「静止画」
になって、白黒だったする。
だが、逆も真なりで、
「モノクロだったり、静止画の方が、却ってリアルに思える」
ということで、血糊も、色がついているよりも、モノクロの方がリアルで、気持ち悪いように思えるのは、自分だけなのだろうかと思うのだった。
そんな再現シーンを子供の頃、学校の特別授業として見せられて、トラウマになったのが、佐和子だった。
小学生の5年生くらいの頃だったか、学校の行動に、5年生が集められ、
「警察による特別授業」
と称して、
「交通安全教室」
が催されたのだった。
最初は、婦人警官であったり、男性の私服警官が、交通事故を目撃した時にどうすればいいかなどということを、実演してくれた。救護なども説明していたが、
「小学生にそんなことをいったって分からない」
と思っていたのだが、それを見越したか。
「皆さんは、さすがにここまでのことを覚える必要は、今のところありません。事故に遭った人を救護するには、このようにするのだということを目で見てくれていれば、それでいいですからね」
ということであった。
「そういうことなら」
と、佐和子は、じっくりと見ていたが、一連の講習が終わった後、
「これから皆さんに、ビデオを見ていただきます。事故現場などの少し生々しい場面もありますが、できれば、目をそらさずに見ていただければいいかと思います。ハンドルを握る人は皆いい人ばかりとは限りません。歩行者も、それなりに、気を付けていてくれることが、招かなくてもいい事故を防ぐことになります」
といって、室内が暗くなり、ビデオが流れた。
作品名:自転車事故と劇場型犯罪 作家名:森本晃次