自転車事故と劇場型犯罪
特に、あれだけ国民の行動制限を縛り付けていたくせに、
「政策がうまくいかない」
あるいは、
「無能な自分たちには、どうすることもできない」
と開き直ったのか、今度は、行動制限をすることもなく、
「表でマスクを外しても構わない」
などと、バカげたことを言い出したことで、
「政府は国民の命を守る気がないんだ。それだけ、責任を負いたくないという気持ちの表れなのか?」
と思わせるのだ。
要するに、
「政府は、何もしないから、自分たちの命は、自分で守れ」
といっているようなものである。
それを思うと、
「しょせん、政府も、自分たちの政権や、自分のことしか考えていないんだ」
ということで、どんどん、国民の政治離れが進むだろう。
政府が分かっていないのは、
「国民というものは、マスゴミと一緒で、都合のいいところを都合よく切り取って、勝手に解釈する」
ということだ。
だから、
「まわりに人のいない屋外であれば、マスクをしなくてもいい」
と言われれば、若者などを中心に、特に、
「ワクチン接種を2回までしかしていない」
などという連中などでは、本当に、楽な方にしか解釈をしないので、
「ああ、もうマスクなんかしなくていいんだ」
と勝手に思い込み、マスクもしないで、買い物に行ったりする連中もいるのだった。
中には、そういう連中に便乗して、分かっているくせに、勘違いをしているかのようにしている、
「確信犯的な輩」
もいるのも事実だろう。
そんな連中も、当然悪いのだが、それだけではない。宣伝効果が一番あるべき、マスゴミ以外の媒体としての政府がこれでは、
「この国、終わってるわ」
と、まともな判断ができる人は、きっとほとんどが、そう思っているに違いない。
そんな状態において、
「自分たちの命は自分で守れ」
という政府をその時までは信じていたバカな連中も、今度は、別件で政府を見限るようになってきた。
しかも、それは、自分たちの生活に直接影響するものではないことで騒いでいるのだ。
ただ、
「税金が無駄遣いされる」
という意味で、関係がないわけではないが、自分たちの命に直接かかわっていることを棚に上げて、それ以外のことには反応するという、それだけ、切り取り方がうまいというか、都合よく解釈するのがうまいということであろう。
しかし、都合のいいことだけを切り取れるというのは、
「あくまでも、他人事のように見ているからではないか」
ということではないだろうか。
つまりは、
「他人事であれば、自分たちがミスリードされたとしても、結局は言い出したやつに責任を押し付ければいい」
という、責任転嫁だけを考える。
そして、最悪の結果になりかかっていても、その原因を別のことにむけて、時分は助かろうとするのが、
「国民側もある意味同罪」
と言われるゆえんではないだろうか?
「どうせ、最悪の事態を招いたら、結局、直接的な政府の政策をやり玉に挙げて、実際に自分たちが結局は、政府に踊らされたということに気づいたとしても、結果として、それが一番の原因だ」
ということを理解しても、それを口にすることはできない。
そんなことを口にすれば、
「分かっていたくせに、それを実行した方が悪い。しかも、都合よく切り抜いておいて、よくそんなことが言えたものだ」
と政府からは思われることだろう。
それを許せるわけもない、
政府と国民は、正直、敵対しているというのが、パンデミックの間で、露呈したと言ってもいいだろう。
そのくせ、国民は、選挙に参加することはない。
年齢が上になるほど、投票率は高い。
だとすれば、政府も若者と年寄りのどちらを優遇するかということになれば、その答えは最初から分かり切っていることである。
「若者なんか、どうでもいいから、有権者である老人を守らないといけない」
ということで、ワクチンなどでも、
「重症化する可能性がある」
ということで、優先的に老人に接種をさせる。
しかし、これは考え方だが、若者が摂取しない理由はいろいろあり、切実な問題もあるのだろうが、一般的には、
「重症化しにくい」
ということで、
「最近発生したウイルスなので、俺たちは実験台にされているんだ」
という気持ちになると、
「どうせ重症化もしないのなら、打たなくてもいい」
と、変異を何度も繰り返したウイルスの弱体化から、打とうとしないのだ。
しかし、これは、一番恐ろしいことだというのを、政府も国民も分かっているのだろうか?
要するに、
「重症化しない連中が、感染しているかどうか分からない状態で、街を歩いているわけだから、下手をすれば、ウイルスをまき散らしていると言えなくもない」
ということになるのだ。
つまり、
「本当は、若い連中から先に、摂取すべきではないか?」
ということも言えるのだ。
だから、1,2回目の摂取において、若者たちは、
「摂取券なしでも打てる」
という会場に殺到するのだ。
何といっても、同時並行で、感染が増大している。
その間に何が起こるのかというと、
「医療崩壊」
であった。
全国各地で、パニックになっている。
「軽傷だから」
という理由で、自宅待機を余儀なくされた患者が、いざ急変したといって救急車を呼ぶ。
しかし、救急車が来てくれないこともざらにあり、来てくれたとしても、今度は受け入れ病院がない。
そして、救急車で受け入れ病院を探している間に命を落とすというような悲惨なことが、毎日のように、何十件とあったのだ。
そんな状況を目の当たりにして、国民は震え上がったはずではないか。
それから一年も経っていないというのに、政府が、
「マスクをつけなくてもいい」
と言ったのを、拡大解釈し、その前後の言葉が受け落ちた形の切り抜き解釈をする連中が多い。
もちろん、一年前の悲劇を忘れられずに、ずっとマスクをしている人もたくさんいるのだが、やはり、少数派であっても、守らない連中にスポットライトがあたり、それが、全体の意見のように思われるが、とんでもないことであった。
自転車走行可?
そんな国民が、あるいは政府がバカだということを、マスゴミもさらに、切り取って報道するから、もう収拾がつかなくなってくる。
だから、おかしな連中が出てきても、感覚がマヒしているのか、マスゴミが取り上げるのはいいのだが、結局は他人事、煽るだけ煽るのだが、それも、しょせん、自分たちの記事が売れるかどうかということだけに掛かっているのだ。
マスゴミは、昔からそうだ。
事実関係だけを追いかけて、中には被害者が悲惨な目に遭っていることを、客観的に報道しなければいけないのに、どこか一方にだけ加担する形になり、さらには、自分たちは蚊帳の外で、客観的に描けばいいものを、
「ただの、他人事」
という風に煽るのだから、始末に悪い。
それが、
「マスゴミ」
と言われるゆえんなのであろう。
特にマスゴミの罪は、
「話題になる時は徹底的に煽るが、マンネリ化してしまい、記事としての価値が、次第に落ちてくると、もう見向きもしないようになる」
作品名:自転車事故と劇場型犯罪 作家名:森本晃次