自転車事故と劇場型犯罪
と言われるものだ。
これに関しては、最近の判例では、少し認められる方向にいってはいるが、よほどの事情がないと認められることはない。尊厳死に関しては。あくまでも、本人の問題であって、いくらまわりの家族がどんなに悲惨な目に遭っていようが、関係ないというところが、
「これ以上理不尽なことはない」
と言われるゆえんなのかも知れない。
だから、植物人間となってしまった本人が、以前から、
「植物化した時、延命措置をしないでくれ」
ということを意思として残していたり、医者の診断で、
「このまま放っておいても、意識が戻る可能性は限りなくゼロに近い」
というような、延命効果自体を疑問視する状態とが、重なっていなければ、少なくとも、尊厳死を求めるというような発想にはならないということであった。
そんな中で、いくら自転車とはいえ。そんな結果をもたらした加害者が、その後も普通に暮らしていれば、許されることなのかと思うのも当たり前のことである。
その時、加害者が、
「自転車を運転していなければ、こんなことにはならなかった」
というのは、間違いのない事実なのだ。
このような状況に陥ったことで、唯一の真実は、
「自転車を運転していた人が、歩行者をはねたことで、その歩行者である被害者が、植物人間になった」
ということなのである。
その時の状況であったり、加害者への叙情酌量などは、目撃した佐和子から見れば、もし、これが裁判となり、証言台に立ったとすれば、
「加害者が縦横無尽に、しかも、いくら自転車走行可の場所だったとはいえ、それだけに、歩行者に気を遣わなければいけない場所で、理不尽な運転をしたことで起こった事故だ」
というに違いない。
決して、加害者を陥れるような感情的な態度ではなく、事実見た通りがその通りなのだから、裁判が民事であっても、刑事であっても、同じことをいうに違いない。
刑事の方では、それなりの判決は出たようだが、民事の方では、さらにややこしいことになっていたのだ。
というのも、この加害者は、
「自転車保険に加入していなかった」
のである。
数年前から、自転車に乗る人は、自転車保険の加入が義務化されているところが多いという。
というのも、自転車保険義務化というのは、都道府県の条例によるもので、義務化されているところが多い。
これはあくまでも、加害者が高額の賠償金を保険で賄えるようになるという、
「加害者保護」
の観点からなのに、面倒臭って入らないと、こういうことにならないとは得てしていえないということだった。
今までに小学生が、自転車で人を撥ね、頭がい骨骨折などで、意識が戻らな状態になった時、約1億円の賠償を言い渡されたという事例や、それに近いことがたくさん起きている。いまさら、
「保険に入っておけばよかった」
といっても後の祭りであり、
「一生かけて償っても、償いきれないだけの、賠償が、残りの人生に襲い掛かってくるのだ。
つまり、その少年は、
「ここで人生が終わった」
といってもいいだろう。
自転車は、確かに悪気がないのだろうが、被害者には関係のないことだ。それを思えば、
「本当は自転車保険など、関係のないことだ」
と言えるのではないだろうか?
その事故は、その後、少し大きなニュースとなった。事故が、事件になったというくらいだ。
とはいえ、あくまでも、最初は全国ニュースとして扱われ、少しはセンセーショナルな話題を醸し出すのかと思いきや、世間はそこまでゆっくりと動いてはいないようだった。
確かに、自転車の事故で、被害者が、意識不明状態に陥ったというのは、一時のニュースにはなるが、さらに悲惨なニュースが次々に出てくる。まるで、
「マスゴミのために、世の中が動いている」
とでもいっているかのようだった。
それでも、1カ月間くらいは、地元では話題になっているようで、事故現場では、事故が起きてからの2週間ほどに渡って、朝夕の人通り、さらには、自転車通りの多い時間帯には、数人の制服警官が、立っているというそんな光景が見られたのだ。
さすがに、そんな状態では、自転車もおとなしくしているというものだと思っていたが、暴走自転車の連中には、警察がいようがいまいが関係ないのだ。見えていないのか、それとも、警察の威厳が分かっていないのか、どちらにしても、警察も甘く見られたものである。
そんなことを思っていると、その場所を通りすぎるまでの10分くらいの間に、自転車が何台も止められて、質問を受けている。
「やはり、警察は舐められているんだ」
と思う程に、警官に職質されているのに、
「急いでるんですよ。何ですか?」
とばかりに、いかにも面倒臭そうな態度に至るのだった。
「何ですかじゃない。お前のあの運転は何なんだ?」
と、警官の方も、ちょっと強めに言っても、相手は引き下がることなどなかった。
「俺が何したっていうんですか?」
よいうと、
「危ない運転をするんじゃない。歩行者に当たりそうになっただろう」
と警官がいうと、
「当たってないからいいじゃないか? 俺なんかよりももっと危険な運転しているやつはいっぱいいるんだ。何で俺を目の敵にするんだよ」
というのが、自転車の言い分だった。
「しょうがない。ちょっと、署まで来てもらおう」
というと、相手は急にビビッてしまって、
「いやいや、おまわりさん、冗談ですよ。すみません。これからは気を付けます」
とばかりに、急に下手に出て、その場をやりすごした。
警察としても、神妙にしている相手にそれ以上いうわけにはいかない。
「これからは、ちゃんと、歩行者に気を付けるんだぞ」
といって話してやったが、その時は相手も神妙に、
「すみません」
と頭を下げたが、次の瞬間、猛スピードで人をすり抜けるように走り去った。
「反省などしているわけもない」
と思うのだった。
やつら、配達員は、
「職質なんか受けて、配達に遅れて、相手に怒られたり、ペナルティで、配送料をもらえなかったりすることを恐れているだけなんだ」
ということは分かっていた。だから、その場で揉めて、配達に遅れることを想像すると、急に我に返ったのかも知れない。
さて、そんな配達員を警官がその2週間の間に、どれだけ、検挙でき、あるいは、その効果があったのかということは分からなかったが、目撃した状態を見る限りでは、
「こんなことをしたって、事故が減るわけもないし、それこそ、税金の無駄遣いではないか?」
と思った。
「そんなことは警察だって分かっているように思う。だが、もし、それでも、これだけの取り締まりをする意義としては、マスゴミに取り上げられて、ニュースになった以上、警察は何をしていると言われることを嫌った」
と言えるのではないだろうか?
実際に、SNSでの拡散でも、被害者が気の毒だという意見、自転車に対しての憤りを示す意見、さらには、今の世の中では仕方がないという意見とさまざまであった。
しかし、その中で、
「警察は何をしているんだ?」
というのも散見される。
それでも、そんなことをツイートしている連中も、
「警察はしょせん何もできない」
作品名:自転車事故と劇場型犯罪 作家名:森本晃次