自転車事故と劇場型犯罪
ということが分かっている人も結構いることだろう。
それでも、警察を悪者にして、自分の意見の正当性を主張しようとするのが、ツイッターなどの、SNSというものだ。
「一体、どういう連中なんだ?」
と考えたが、例の、
「世界的なパンデミック」
が起こった時、日本では、行動制限のために、
「緊急事態宣言」
というものが出たではないか。
この宣言は、一定の効果があった。
結構、伝染病によって、
「芸能人などの有名人が、バタバタと死んでいく」
ということに直面したことで、さすがに平和ボケの日本人も、
「これは怖い」
ということと、世間の風当たりから、
「従うしかない」
ということになったのだった。
そして、そんな状態において、日が経つにつれて、家に引きこもっていることに、皆がストレスを感じるようになると、ニュースが気になるようになってくる。
その時、
「自治体の休業指示に従わず、店を開けているところがあります」
ということで、パチンコ屋がややり玉にあがったことで、
「ストレス解消のためのおもちゃ」
を手に入れたのだ。
SNSでは、そんな店を攻撃する記事が多く、世間もほとんどが、休業要請に従わない店の敵となった。もちろん、ギャンブル依存症の連中は、
「世間から何と言われようとも、開いているなら、並んででもいく」
ということで、何と、車で、十時間以上も掛けて、やってくるという人もいたくらいだ。だから、その店の駐車場は、ほとんどが、他府県ナンバー、しかも、自治体が開いている店の名前を見せしめとして、後悔したりしたものだから、余計に、人が集まってくるというものである。
「県をまたいだ移動は控えるように」
というのも、指示であった。それも守っていないということになるのだ。
だからこそ、世間では、店を開けているパチンコ屋に非難が集中する。言っていることはもっともなことを言っているのだ。確かに、諸事情を加味しないで考えるとするならばであるが、休業要請が出ているにも関わらず、開けている店が悪いというのは確かであるし、そのせいで、余計に依存症の連中を煽る形で、社会問題となったのは、パチンコ屋側にも問題があるのだろうが、一番悪いのは、
「煽った連中だ」
と言えるのではないだろうか。
つまりは、
「過剰な報道で、世間を洗脳したマスゴミ」
というものであり、
「何ら事情も分からずに、無責任に騒ぎ立てるだけのSNSにおける誹謗中傷などが、余計に世間を煽り、社会問題としてしまったことが大きいのではないだろうか?」
と言えるだろう。
マスゴミというのは、このようなことは今に始まったものではない。しかし、SNSというのは、ここ十年の間に急速に普及してきたもので、それが今回の問題をさらに大きくしたのだった。
これを、
「自粛警察」
というのであり、それらが、さらに事件を大きくしていることを誰が想像できたというのだろうか?
ここ最近言われるようになったことではあるが、実際には、ここ20年くらいの間に注目されるようになった犯罪として、
「劇場型犯罪」
というものがある。
これは、実は戦後の混乱であったり、探偵小説などのネタになったり、学生運動の時期においての、作家の割腹自殺などのような時代もあったが、それとすべてが同じだというわけではないだろうが、同じような事件であるということが分かっているのだった。
そんな、
「劇場型犯罪」
が、こんな間近で起こることになるなど、佐和子には分からなかったのだ。
大団円
それが起こったのは、警察が2週間ほどの、
「自転車事故撲滅週間」
と、取って付けたような、いわゆる、
「自分たちはちゃんと対策を打っているんだぞ」
という
「やってますアピール」
というデモンストレーションを行っていたその少し後に起こったのだ。
「最近、警察を見なくなったわね。もう取り締まりは辞めたのかしら?」
と、世間の人も、警察によるいつもの、
「やってますアピールだ」
ということがバレバレの状態で、結局、事故が起こる前とまったく変わらない状況に戻った。
しかも、時間が経っているだけに、皆、
「普通の光景が戻ってきただけなんだ」
と感じることで、結果、何も変わらないということでしかなかったのだ。
そんな中で、歩道にバイクが上がりこみ、そして、縦横無尽に走っていた。
もちろん、さすがにバイクが歩道を走っていることで、歩行者は逃げ惑った。完全にパニックに陥ったのであった。
だが、それも一瞬のことで、警官が来た時には、バイクは走り去っていた。
被害者は誰も出ていない。それどころか、人々の印象として、
「バイクは、人を撥ねるつもりなんかなく、むしろ、人に気を遣いながら走っているような気がしました」
という複数の意見が聞かれた。
警察も、被害がまったく出ていないことから、
「愉快犯のようなものではないか?」
ということで、一応の捜査と、またしても、少しの間、警官がこの場所に貼り付けられることになった。
というのも、これも、全国ニュースで出たからである。
「本日夕方、バイクが歩道に乗り上げて、縦横無尽に走り、すぐに去って行った」
という報道だったが、さらにそのあと、
「ここでは、数週間前に、自転車事故が起き、今だ意識不明の被害者が出た場所と同じところでした」
などと、マスゴミに報道されてしまっては、警察も黙っているわけにはいかない。やはり二週間程度の警備体制を敷くことを余儀なくされたということであったのだ。
被害は出なかったが、世間からの風当たりは、それどころではなかった。警察としても、面目が立たない。とにかく、犯人の逮捕と、何が目的なのかをハッキリさせないと、警察の権威は失墜したままになってしまうのであった。
「じゃあ、どうすればいい?」
ということで、捜査会議のようなものが行われたようだが、しょせんは、
「堂々巡りを繰り返すような会議を延々と行われている」
といわれる、まるで、
「小田原評定」
のようではないか?
ということであった。
さて、そんな状態で、別のことでの吉報がもたらされた。
というのは、
「この間まで意識不明だった、自転車で事故に遭った女性の意識が戻った」
ということであった。
それを聞いた刑事が、さっそく尋問に出かけた。まずは、医者に尋問できるかを聴いたが、医者の方としては、少し表情を曇らせるように、
「少し難しいかも知れません」
というではないか。
「どういうことですか?」
と聞くと、
「彼女は、少し記憶喪失に掛かっているようなんです。それも、一部のですね。しかも、意識のない部分は、一つの出来事が陥没しているというようなわけではなく、全体的に見て、ところどころ穴が開いているんですよ。だから、その穴が開いているという部分が、どこからどこまでなのかということも、正直ハッキリしない。我々にもその判別は難しいんです、イメージとしては、クレーターをイメージしていただければいいのではないでしょうか?」
と医者はいった。
作品名:自転車事故と劇場型犯罪 作家名:森本晃次