自転車事故と劇場型犯罪
だから、数字はかなりいい加減で、まったく信憑性のないものだと思ってもらいたいのでだが、
「マナーを守らずに吸っている人間が、人口の1%であったとすれば、喫煙者が3割だったとして、普通に考えれば、禁煙車の7割が敵だということになる」
と言えるだろう。
しかし実際には、ルールを守って吸っている29%の人も結果としては敵だということになる。しかも、その憎しみは7割よりも大きい。
となると、敵は自分たち以外の99%ということになり、
「自分たちの99倍の人が怒っているのと同じで、100人の中で自分一人だけが、賛成していることになる」
ということで、それこそ、
「国際連盟を脱退することになった、満州国の承認に対しての決」
のようなものだといえるのではないだろうか。
しかも、大義名分は敵方にあるのだ。どんなに抵抗しても、逆らえるわけはない。それが、民主主義というものでもあるのだ。
このことは理屈では分かっていることだろう。
しかし、誰もが分かっていない。
というのも、
「本当の敵は、ルールを守って吸っている人たちからも、敵だと思われている」
ということであった。
どうせ、ルールも守れないような連中は、
「他の喫煙者も自分の気持ちが分かってくれる」
とでも思っているのかも知れない。
しかし、そんなバカなことはないのだ。
つまりは、自分たちは、
「3:7」
だと思っているのだ。
そもそも、過半数にも満たないくせに、それでも、
「自分たちの味方が3割いる」
とばかりに、気を強く持っているのだろう。
一番の敵を、味方だと思っているというほど、これほど、
「お花畑にいる」
という感覚であるということもないだろう。
もし、これが戦であれば、最初は、味方のふりをしている連中が自分の中に、29%いるということになる、しかし、実際に戦が始まれば、その連中は、先陣を切って敵に突っ込んでいったと思うと、急に踵を返し、こちらに先陣として突っ込んでくるのだ。
もちろん、自分を守ってくれていると思っていた兵が、急にこちらに槍を向け、身動きができないようにしておいて、たった一人に、全員で襲い掛かってくるのだった。
「一匹のウサギに、ライオンは必死に向かってくる」
というが、まさにその通りであろう。
特に先陣を切って切り出した連中は、一番自分を憎んでいる連中である。その形相はすさまじいに違いない。
「お前たち、俺の仲間ではなかったのか? 卑怯だぞ」
というとすると、彼らは自分たちの言い分を述べるだろう。
「何いってやがるんだ。お前がルームを守らないせいで、真面目にタバコを吸いながらでも、肩身の狭くなりながらタバコを吸ってきたのに、お前のせいで、それすら怪しきなってくる。全部お前のせいではないか」
ということだろう。
その時、責められたルールを守れない人間が、やっと気が付いたのであれば、まだ救いようがあるだろう。
しかし、たぶん、自分の権利だけを主張して、ルールなんか、どうでもいいと思っているやつに、反省という言葉が当て嵌まるかどうか、怪しいものである。
だからこそ、
「俺たちは、ここで活躍しないと、禁煙車から、お前の仲間なんだといって、村八分にされかねないんだ。だから、お前の首を持っていかないと、俺たちが危ないんだ」
というだろう。
そうなると、きっと捉えられた男は、顔面蒼白になり、
「もうダメだ」
と思うことだろう。
そして、顔面蒼白になりながら、
「頼む助けてくれ。俺は死にたくない」
といって、必死になってすがって助けを乞うことだろう。
しかし、これが武士の世界であれば、そんな男のいうことを誰が聞くというのか?
「お前は、武士として恥ずかしくないのか? せめて、処刑は嫌なので、切腹にしてくれとかいう気概もないのか」
となじることだろう。
すると、男は、もう恥も外聞もないと思っているのだから、さらに必死になってすがり、
「そんなこというなよ。仲間じゃないか」
といって、仲間意識を駆り立てることで、助けを乞うに違いない。
だが、取り囲んでいる連中は、明らかに冷静だった。男もそれを分かっているだけに、何とかそれでもすがるしかないのだ。
だが、何を言っても逆効果である。
「仲間じゃないか?」
という言葉は、却って、取り囲んでいる連中の気持ちを逆撫でする。
「仲間だと? 仲間だと思っているのなら、なんで俺たちがやっていることに少しでも注目しないんだ? 注目しないから、分からないのであり、お前だけが孤立してしまって、そのストレスを禁煙者に向けた? 俺たちが味方をしてくれているとでも思ったのか? 俺たちは、確かに理不尽だと思ってはいるが、それでも、まわりに迷惑をかけてはいけないんだ。人が生きていくうえで、何もタバコだけの問題じゃないだろう? 他にももっと大切なことがあるんだ。だからこそ、そのことをしっかり分かっていて、自分の身の振り方を一人一人考えたんだ。別に俺たちは最初から示し合わせていたわけではない。結果として、まわりに気を遣うことを選んだんだ。お前以外はな」
というのだ。
それを聴いて、男は、身体から力が抜けていくのを感じた。
完全に観念しているということは分かっている。だからと言って、許すわけにはいかない。それが、武士の世界というものだ。
男は、結局、その場で首を切られることはなく、連行された。
いずれは、獄門台に晒されるということになるのだろうが、その時点ではお話は終わりであった。
これは、中学生の時に、
「ルールを守る」
という授業を、ホームルームでやった時、このような話になったというのを思い出した。
佐和子は、その時の思いを今でも忘れない。
「確かにルールを守らせるには、説得力があることなのかも知れない」
と感じたのだ。
だが、時期的に思春期という実に曖昧な精神状態の子供に、理解することができる人がどれくらいいるだろうか?
「全員などということはありえないけど、半分くらいは、理解してくれればいいんだけどな」
と、先生は思っていたことだろう。
何しろ、
「民主主義の世の中で、民主主義の基本は、多数決だ」
ということだからである。
それを聞かされて、
「なんて理不尽なんだ?」
と思っている人は少なくもないだろう。
「51:49」
であれば、51の方が勝ちなのだ。
それは、
「99:1」
であっても同じことであり、勝ち負けだけに限定すれば、相手よりも、数が多ければ、それでいいということだ。
もちろん、これは、二人による決戦である場合は分かりやすいが、いくつかの候補があり、その中で決める場合は、民主主義の場合には、いろいろな決め方があったりする。
普通であれば、
「いくつ候補があっても、その中で一番の得票を取った人が、文句なしに当選だ」
ということであれば分かりやすいが、他のやり方もあったりする。
たとえば、
「もし、トップを取った人が、50%以上であれば、文句なしに当選となるのだが、もし、トップが過半数に満たなかったら、1位と2位とで決選投票ということになる」
というやり方もある。
作品名:自転車事故と劇場型犯罪 作家名:森本晃次