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城好きのマスター

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 これは、初代の発案だったのだが、どうやらマスターは徳川家康が好きだったようで、息子が店を継いでくれるというのが分かった時、このような青写真がすでに出来上がっていたという、
 つまり、サラリーマンを辞めてすぐの息子に、すべてを任せるなどできるはずもないので、最初は自分が、息子を盛り立てながら、教育係も兼ねるということであった。
 そして、そのうちに、息子が様になってくると、息子をマスターとして自立させ、自分が、
「もういいか、引退だ」
 と思えるようになるまで、店の中で、
「大御所」
 と呼ばせようと思っていたのだ。
 徳川家の場合は。江戸と駿府で、
「二元政府」
 という形を取っていたようだが、先代の場合は、家康の
「大御所」
 と違い、すべてを息子に任せていた。
 その表れが、息子が入ってきたその時から、立場である、
「店主」
 というものを、すぐに息子に譲ったことからも、その気持ちが固まっていたといってもいいだろう。
 そんな大御所としてのマスターを、息子も別に煩わしいとも思わず、逆に、
「見守ってくれていて助かる」
 と思っていたことだろう。
 ただ、そのことをおくびにも出すことはなかった。
「この年になって、まだ父親に頼っているということであれば、店主としては、どこか情けないような気がするからだ」
 と思っていたのだった。
 先代は、そういえば昔からいっていたことがあった。
「私は、店主とマスターというのは、元来別のものだと思っているですよ」
 というのだ。
 これは、まだ息子は店を継ぐということが決定する前の、
「ここは私の代で終わりかな?」
 というような話をしていた頃のことだった。
「それはどういうことですか?」
 と聞いてみると、
「店主というのは、店の中だけではなく、経営に関してその責任を持っている人であり。マスターというのは、店にいて、客のことを見守っている人のことを言うんだと思うんですよね。この店は、私が店主であり、マスターなのは、チェーン店経営じゃないからなんでしょうね。これがチェーン店だったら。経営者としての店主がいて、店を任された店長、つまりは、マスターがいるということになるんだと思うんですよ。どっちがいい悪いということは私には分かりませんが、これからの時代は、きっとチェーン店でしかなかなか生き残れない時代になってくるんでしょうね。そうなると、マスターと店主は分業制。これは喫茶店に限らず、他の店にも言えるんだと思うんですよ」
 と言っていた。
 当時は、確かに、チェーン店展開の店が増えてきた。特に切実に感じるのは、
「コンビニチェーン」
 だったのだ。
 コンビニ大手と呼ばれるところが、まだそんなに多くない時期であったが、昔からの、
「酒屋さん」
 あるいは、
「酒類もおいている、昔からの店」
 というのも、現存していた。
 店の奥には、
「角打ち」
 と呼ばれる、カウンターだけのまるで、
「ウナギの寝床」
 のような細長いところで、近所の常連さんが集まって、飲んでいたのだ。
 その雰囲気は、まるで、
「酒盛り」
 とでもいえる光景で、その雰囲気は、世紀末から、世紀をまたぐ間くらいに、見ることができないものになっていったのだった。
 どうして、なくなっていったのかというと、
「店が取り壊される」
 ということはなかった。
 どうなったのかというと、
「コンビニチェーンに変わってしまった」
 ということであった。
 つまり、コンビニには、フランチャイズというものがあり、直営店ではないが、街に点在している酒屋を取り込むことで、酒屋に
「フランチャイズの店長」
 として、店を経営し、その一部を本部に上納するという形である。
 ノウハウはすべて本部が段取りし、店長は、店の現場責任者として君臨してくれればいいということなのであろう。メリットは仕入れ値が抑えられ、売れたモノの利益が高いということであった。
 そして、もう一つの大きなものとしては、元々の店を閉める理由と言われていた、
「後継者問題」
 というものであった。
 息子がいないなどして自分の代で終わりだと思っていた店主が、フランチャイズの傘下に入ることで、自分が店主引退の際には、店長補佐と本部から送りこみ、実質を彼にやらせて、店長は、引退した形であっても、名前は残り、利益も得られるというものであった。
 実際に、ここまでいい話であったかどうかは、分からないし、コンビニによって、微妙に契約も違うのだろうが、
「時代の流れ」
 として、このような時代があったのは事実だった。
 だから、今は全国に、所せましとしてコンビニが乱立しているわけで、これらも、なるほど、
「海外のやり方なんだな」
 と思わせるのであった。
 お城というのも、実は、昔はかなりの数があったという。今のコンビニの数の三倍近くあったという話もあるが、なまじウソでもなさそうであった。
 それというのも、
「城というのは、天守閣が必ずある」
 と思っている人から見れば、信じられないことだろう。
 しかし、本当に城というものは、
「本拠を守る」
 という意味で、防衛の拠点には、ほとんど作られている。
 いわゆる、
「支城」
 と呼ばれるもので、そこは、櫓や見張り台であったり、敵の侵入を防ぐための最低限のものが組み込まれているものだ。
 もちろん、簡易の濠のようなものや、石垣であったり、高台から敵を狙い打てるような仕掛けがあったり、侵入の際に、足場を不安定にしておけば、足元と前からの攻撃と両方に備えなければいけないという細工も施されていたりする。
 だから、支城と言ってもバカにできるものではない。支城一つ落とすだけで大変だったりするのだ。
 当初は、本城であっても、山の上に作られていたり、周りに川が流れているなどの、自然が、
「天然の要害」
 を張り巡らせていて、知られているような、大きな水堀であったり、高い石垣などという仕掛け、さらに、天守のようなものもなかったのである。
 戦国期でも、中盤以降にならないと、天守を持った城などがあるわけもなく、そんな時代には、城の中には、本丸、二の丸、三の丸と言ったものがあるくらいで、そのまわりに見張り台のような、櫓が建っている。
 兵は、山城であれば、麓に住んでいて、城が攻められる時、下から山に登って、城の防衛をするのが、当たり前だったのだ。
 しかし、時代が進んでくると、兵も城の中に住むようになり、
「総構え」
 と呼ばれる、城全体の中にいわゆる、
「武家屋敷」
 なるものが作られるようになった。
 さらに、城の中では、農家のようなものもあり、野菜などが育てられるところもあった。
 時代が進むにつれて、籠城戦ともなれば、攻城軍は、取り囲んでから、相手の兵糧が尽きるのを待つという、
「兵糧攻め」
 を仕掛けてくるようになる。
 そうなると、援軍があったとしても、城に入る前に捉えられた李攻撃をうければ、兵糧の確保は難しくなる。
 だから、城内で作物の栽培ができれば、これに超したこともない。
 そもそも、戦国時代の兵というと、当初は、農民が駆り出されるということが当たり前だった。
「戦争は武士がするもの」
作品名:城好きのマスター 作家名:森本晃次