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城好きのマスター

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「私が城好きなのに、輪を掛けて、息子は城が好きなんですよ。ほら、ここの店に飾ってある城は天守が現存していたり、復元されたりしたところのすべての天守を店には飾っているのですが、そのうちの半分は、息子が撮ってきたものなんですよね」
 というのだった。
「ご自分でいったのかと思っていました」
 と、平蔵がいうと、
「そうですね。確かに私が撮ったものも多かったんですが、本当に古くて使えないものや、実際にまだ、天守が再建される前で撮っていなかったりしたものも多かったからですね」
 とマスターがいう。
「じゃあ、息子さんは、マスターが撮った写真の城もすべてカメラに収めてきたというわけですか?」
 と聞くと、
「ええ、そういうことになります」
 と答えたのだ。
「そんなに、お城が好きなんですね?」
 と聞くと、
「ええ、そうなんですよ。息子は私と違うところで好きなようなんですけどね」
 というので、
「それはどういうことですか?」
「私の場合は、どちらかというと、写真を撮るのが好きなことと、旅行が好きだったので、元々は城を撮るというよりも、名所旧跡を撮っている中で、お城も入っているという感じだったんですよね。でも、その中で撮ってきた写真を眺めているうちに、天守の壮大さと魅力に魅了されたといえばいいのか、すっかり取りつかれたというところです。つまり、「美の象徴」としての城を見ていたんですよ」
 とマスターはいった。
「なるほど」
 というと、
「息子の場合は少し違いまして、元々は歴史が好きだったんですよ。歴史を勉強していくうちに、戦国時代から、織豊時代、さらに江戸初期と、ちょうど、城全盛期の時代を勉強するようになって城を研究するようになったんです。だから、私とは入り方が違うので、城への見方も違います。私は、「美の象徴」という意味合いが強いのですが、息子の場合は、「美の象徴」というよりも、戦略的価値というのか、軍事基地として城を見ているので、私のような、天守ばかりに注目していたわけではないんですよ」
 というのだった。
 なるほど、そのあたりは二人共の言い分は分からなくもなかった。
 平蔵も学生時代から、歴史が好きで、城というものに、興味を持った時代があったので、その時、自分の中で、
「城というのは、天守だけではない」
 と思っていた。
 それだけに、マスターの話を聴いていると、その理屈が分かるような気がして、この時の話は、マスターとの会話の中でも、
「結婚真剣に聞いた話だったな」
 と記憶の中にずっと残ることになったのだ。
 時代は流れて、気が付けば、マスターも髪がすっかり白くなり、いかにも、
「老人」
 という雰囲気を醸し出していた。
 店での存在感は少し薄れてきて、この店の常連になってから、そろそろ十年という月日が経っていたが、以前話していたマスターの話を思い出し、
「そろそろ、ヤバいんじゃないかな?」
 と感じていたのであった。
 時代としては、ちょうど世紀末、20世紀とはおさらばと言った時期であった。
「マスターも、潮時と思っているんじゃないかな?」
 と平蔵も覚悟を決めていた。
 だが、急転直下で、店は存続するとマスターが言い出したのには、ビックリもさせられたが、
「常連の店がなくなるわけではない」
 と知った時、喜びがこみあげてきたのも事実だった。
「息子が会社を辞めて、後を継いでくれるということになったものでね」
 と、見た目は複雑そうな表情だったが、喜んでいることに間違いはないと思ったので、平蔵も素直にうれしかったのだった。

                 城郭説話

 喫茶「キャッスル」という名前をそのまま存続させ、息子は、老朽化した部分だけを改修し、店舗の大規模な改修をすることはなかった。それは、先代、いわゆる初代のマスターの意志であり、それには、二代目店主である息子も同意見だったということもあり、マスターの言う通り、最小限の改修となったのだ。
 だから、店の佇まいは、昔のまま、
「昭和の純喫茶」
 という雰囲気を醸し出したままの営業ということになったのだった。
 ただ、都会に出ると、街中にある喫茶店というと、チェーン店経営のカフェのようなものが多く、朝は7時半くらいから経営しているのだったが、通勤の手前に、軽くコーヒーと朝食という感じで、店で粘っていくような客は少なかった。
 昭和の純喫茶もそのようなせわしい客もいるにはいたが、一番の違いは、
「チェーン店のカフェには、雑誌も新聞も自由に読めるものが置いていない」
 ということであった。
「読みたければ、駅などで買ってきて、読むしかない」
 ということで、最初から店に置いていないということは、店としても、
「長居をされては困る。回転率を増やさなければ」
 ということであったのだろう。
 しかし、開店当初はそうでもなかったのだろうが、ここまで似たような喫茶店が、乱立してくると、早朝やランチタイムなどでも、満席になるということはほとんどなかった。
 朝も、立ち寄っていく人は多かったが、女性などは、テイクアウトが多く、店内での飲食が思ったよりも少なかったと思っているかも知れない。
 もっとも、そのあたりの見積もりを他の人が知ることはできないので、店舗側も、最初から、
「イートインしてくる客は少ないかも知れないな」
 と見越していたのかも知れない。
 だからこそ、新聞や雑誌などを置いておくということはしなかったのだろう。時代の流れというものなのだろうが、そもそも、
「チェーン店型のカフェ」
 というのも、その頃から見れば、
「ここ十年くらいのものだった」
 と思えるのかも知れない。
 喫茶「キャッスル」でも、
「二代目襲名」
 という大げさなことはしなかったが、店主として、城田ジュニアが店に入ってきたのは、世紀末と、まだ言われ始める前の、確か、1996年か、その後くらいではなかっただろうか?
「二代目襲名」
 なる大げさなことをしなかったのは、まだ初代マスターが十分現役で、名前だけは店主ということであったが、まだ会社を辞めて間がないことで、喫茶店経営はおろか、店員としても、まだまだド素人だったからだ。
 しばらくの間は、初代が店主の役割を担い、実際の店主の息子は、
「見習い」
 という立場だった。
 それでも、根が真面目なのか、その一生懸命さは、常連たちにも伝わり、その様子は、見ていて、心地よいものであった。
 しばらくすると、常連さんからも、
「なかなか様になってきましたよ」
 と言われ、五代目マスターも、嬉しそうにしていた。
「確かに、二代目が入れるコーヒーは、本当においしいよ」
 という声も上がった。
 まだまだマスターが仕切っている時は、常連は、先代のことを、
「マスター」
 と呼び、現店主のことを、
「二代目」
 と呼んでいた。
 しかしそれから少ししてから、呼び方も徐々に変わっていった。まず、今まで、マスターと呼んでいた、初代のことを、
「大御所」
 というようになり、二代目のことを、
「マスター」
 と呼ぶようになった。
作品名:城好きのマスター 作家名:森本晃次