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城好きのマスター

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 と言われる連中のせいで、マスクの値段がネットなどで、100倍に跳ね上がっていたりしたのだ。
 そんなバカなことが実際に起こったのだが、その政策として、政府が打ち出した政策がこれだったのだ。
 当然国民からは、批判が集中する。
「一家庭二枚って、他の家族はどうなるんだ?」
 ということだ。
 家族とはいえ、他人がつけたマスクをつけられるわけもない。完全に国民をバカにしているといってもいいだろう。
 マスクと言っても、かなり小さなサイズのもので、実際の実用性もないに等しかったのである。
 さらに、国民の怒りを爆発させたのが、そのマスクの製造メーカーだった。
 国内での、衛星商品を作っている大手企業化と思いきや、田舎の聞いたこともない企業であった。
「よく政府がそんな企業を知っていたな」
 と思っていると、そのあたりを、マスゴミが、すっぱ抜いていた。
「今回の配布マスクであるが、このまったく無名の聞いたこともないような企業は、どうやらソーリと関係があるらしい」
 ということであった。
 つまりは、
「ソーリがうまくそこの発注することで、その分の金が、ソーリにも流れ込んでくる」
 という仕掛けだったわけだ。
「そのお金の出どころは?」
 ということになると、
「税金、つまりは、国民が皆働いて稼いだ金の一部」
 ということになる。
 つまり、そんな血税が、最終的に、このソーリのふところに転がり込んでくるというわけである。
 昔から、役に立たない政治家や、自治体の公務員などを、
「税金泥棒」
 と揶揄していたが、今回のこの事件でのソーリのことはなんといえばいいのだろう。
「泥棒だけでなく、詐欺もやっている大悪党」
 ということであろうか。
 そういえば、そもそも、疑惑にまみれたソーリではなかったか。
 複数の、
「何とか学園問題」
 さらには、
「何とかを見る会問題」
 など、疑惑塗れのソーリなのだから、これくらいの、
「泥棒と、詐欺」
 と言われても、もう国民は誰も驚かない。
「どうせ、こいつならやっているだろう」
 ということになり、
「いい死に方はしないだろう」
 といっていると、最終的に、
「暗殺者の凶弾に倒れる」
 ということになるのだった。
 しかも、それを今の、さらに輪をかけた無能なソーリが、そんな犯罪にまみれたような元ソーリを、
「国葬にする」
 などと言い、さらに、暗殺者の告白から、ある霊感商法宗教団体と政治家の癒着が問題となり、その対応のまずさから、
「支持率の急降下」
 を招いたのだった。
 ただ、このソーリに関しては、組閣時点から、
「ダメだ。こりゃあ」
 と言われていた。
 そんな最悪のソーリだったのだ。
 そのソーリもそうなのだがあ、最近話題になっているのは、
「世襲議員」
 という言葉であった。
 つまりは、昔の親から受け継いできた地盤を、息子が受け継ぐというもので、いわゆる、
「二世議員」
 というものだった。
 世襲が、いい悪いという問題は大きいのだが、この問題は、
「地元の商店街」
 というものにも大きく影響している。
 こちらは、政治家と違って、
「確実に、世襲がなければ、問題だ」
 ということである。
 せっかく、店を開いても、息子がいなかったり、いたとしても、
「田舎のこんな商店街の店主で終わりたくない」
 といって、都会に出てしまうというようなことが、昭和にも問題となったものだった。
 商店街もそうだが、もっと大きなのは、
「田舎の農家」
 などは特にそうだったかも知れない。
 田舎から労働者がいなくなり、過疎化が進む。それこそ、
「田舎には、年寄りと女子供しかいない」
 などと言われ、農家の存続の問題になったりしたのだ。
 確かに、昭和三十年代、四十年代というと、
「集団就職」
 というものもあり、
「出稼ぎ」
 という言葉が流行った。
 しかし、実際の出稼ぎというものは、
「農家だけでは生計を立てられない」
 ということで、若い労働者が、都会で働いて、家族に仕送りをするというのが、当たり前の時代だったのだ。
 しかし、それが、時代が進むにつれ、
「田舎なんかでくすぶっていたくない。高校を出ると、東京にいくんだ」
 という人が増えた。
「東京で牛を飼う」
 などと言ったコミックソングが流行ったのは、そういう文化があったからではないだろうか?
 実際に、東京や大阪に出てくればどうだろう?
 ほとんどの人が、1年くらいで、
「夢破れて」
 戻ってくる。
 中には、騙された人もいるだろう?
「結局、都会は、田舎者を受け入れてくれるところではない」
 と思っているだろうが、そうではない。逆に都会というのは、もうすでに昔から、都会へのあこがれがあり。どんどん進出してきているのだ。いまさら二番煎じでもない出がらしで東京に出たとしても、何とかなるわけがないのだ。
 要するに、
「都会と言っても、結局は、田舎者の集まり」
 と言ってもいいだろう。
 それを知らずに東京に憧れて出ていくと、海千山千の連中に騙されたり、都会の罠に嵌ってしまったりするのがオチだといえるだろう。
 都会から帰ってきて、田舎を継ぐという人はまだいいが、それすらできずに、鳴かず飛ばずの状態で、田舎の中小企業で働きながら、平凡に生きていく人もいる。どうしても、田舎の過疎化を防ぐことはなかなかできず、結局、
「嫁取り企画」
 などといって、都会から、嫁を貰うという作戦に出る企画もあった。
 都会から戻ってきた人が多い田舎で、果たして身についた、
「都会コンプレックス」
 を解消できるのだろうか?
 そんな状態において、馴染みの喫茶店は、何とか生き残った。
 というのも、本当はマスターは、
「もう、店を継ぐ人がいないので、私もある程度の年齢がくれば、店を手放そうと思っているんですよ」
 と言っていた。
 この店は、名前を、
「喫茶「キャッスル」」
 という。
 マスターの名前が城田さんということなので、名前をキャッスルにしたという。ただ、それだけではなく、城田さんは、城廻りも好きだったようで、店の中には、城の写真がいっぱい飾ってある。
 天守の最上階というと、梁の部分によく、日本の有名城郭の写真を貼ってあるということを聞いたことがあったので、それを模したものだと思っていたが、いつか、マスターが同じことを言っていたので、
「想像通りだ」
 と思わずほくそえんだのを、映像は思い出したのだった。
 当時の平蔵は、まだ30歳くらいであった。マスターは、まだ50代後半の60歳手前くらいで、一般の会社であれば、定年手前と言ったところであろうか。
 当時はまだ定年が55歳だったこともあって、60歳というと、会社が延長雇用をするのも、終わりだった頃であった。
 マスターには、息子がいるということだったが、
「当時としては、遅くできた子供だったので」
 ということで、まだ、大学を出てすぐくらいだということだった。
 なるほど、30歳過ぎにできた子供だということであるが、今では珍しくもないが、当時としては、少し遅かったのかも知れない。
 その息子というのは、
作品名:城好きのマスター 作家名:森本晃次