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城好きのマスター

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 平蔵は、その店は、ずっと常連として使っていて、店構えは、
「今では珍しい、昭和の佇まいだ」
 というような店だった。
 いわゆる、
「純喫茶」
 であった。
 ただ、レトロ風に、木造なので、
「カウンターの奥にあるショーケースには、アルコールが並んでいるのではないか?」
 と感じる一見の客もいるだろうが、カウンターに座って奥を見ると、奥のショーケースに並んでいるのは、コーヒーカップばかりだった。
 平蔵は、高校時代まで嫌いだったコーヒーも、大学時代に先輩から、喫茶店で奢ってもらう時、さすがに、
「紅茶」
 とは言いにくく、
「僕もコーヒーを」
 と、先輩が頼んだものと同じものを頼むということをしていた。
 だが、そのうちに、いつの間にか、コーヒーが嫌ではなくなってきた。
 といっても、
「おいしい」
 と感じるわけではない。
 ただ、
「まずい」
 わけではなく、一口目で、どこか懐かしさのようなものを感じたかと思うと、ふっと落ち着いた気分になった。
 味からすると、
「まるで、コルクのような感じだ」
 と、不思議な味と香りなのだが、そこに懐かしさを感じる以上、
「この懐かしさは、どこから来るというのだろう?」
 と思う。
 そう思うと、懐かしさを思い出そうとするのは、理にかなった感情で、思い出せそうにもないのに、思い出そうとしていると、次第に、味の感覚がマヒしてくるのだった。
 そんな大学時代のような喫茶店が、次第に減ってきたのが、平成に入ってからだった。大学時代の頃まではあったはずの喫茶店が、次第に減ってきたのは、いろいろな理由があるだろう。
 一つの理由としては、
「郊外型の大型スーパーが増えてきた」
 というのが、大きな理由の一つだろう。
 昔のように、
「スーパーというと、商店街の中にあり、個人商店も、スーパーに来る客が、専門的な商品を求めて、自分たちのところにも来てくれるということで、スーパーとの共存ができていた」
 ということであった。
 しかし、それも、昭和の終わり頃からの、アメリカなどからの貿易摩擦への圧力から、日本は、それまでの規制を緩和し、大型商業施設の運営が、緩和された形になった。
 さらに、車社会や、郊外への住宅地が増えたこともあって、道路の整備も進んだことから、郊外に作っても、客が来るようになったというのも大きいだろう。
 そうなると、それまで主流だった、
「駅前の商店街を中心とした街」
 というのは、根本的に先ゆかなくなってくる。
 ただでさえ、駅前の土地から、郊外に移り住む人が増えて、
「ドーナツ化現象」
 などと呼ばれるようになると、商店街も徐々に集客が難しくなってくる。
 そうなると、喫茶店の客も減ってくる。
 いや、一時期は多かったかも知れない。商店街の近くにある喫茶店というと、商店街に店舗を持つオーナーたちが、常連となっていることが多い。普段であれば、開店準備が終わり、開店までに、朝食を食べようとやってくる人も多かった。商店街の店主同士で話をすることも多かっただろう。それが、
「喫茶店の朝の風景だった」
 と言えるだろう。
 それが、徐々に変わってくる。
 朝の風景は、のんびりとしたものではなくなり、朝食を食べながらの、
「ブレックファストミーティング」
 と変わってしまった。
 もちろん、議題は、
「商店街をいかに盛り上げていけばいいか?」
 ということであったが、そんなに簡単に答えが出るわけもなく、
「ムダとも思えるような時間だけが過ぎていく」
 という、無益に見える、そう、
「小田原評定」
 が行われていたといってもいいだろう。
 かつて、後北条氏が、羽柴秀吉に従わない大名として、最後に残った時、圧倒的な兵力で、小田原城を囲んだ時、
「小田原城は難攻不落」
 ということで、籠城したはいいが、結果、膠着状態になり、城内では、この状態をいかに解決するかということで会議が連日行われたが、時間だけがすぎていき、答えが出なかったのだ。
 最終的には、秀吉が、得意戦法の一つとして、
「一夜城」
 を気づいたことから、小田原方は、
「これは秀吉は、腰を据えて、小田原城を攻め落とすという本気を出してきた」
 ということで、さすがの北条氏政も、城を解放するしかなかったのだ。
 これが、秀吉の関東仕置きと言われるもので、この時を機に、
「東北の大名も次々、秀吉の軍門に下ることで、最終的に全国を統一する」
 ということになったのだ。
 商店街も、結局、郊外型のショッピングセンターに勝てるわけもなく、どんどん、店じまいのところが増えてきた。
 こちらも、商店街ならではの、
「事情」
 というものがあった。
 この事情は、商店街の各店舗だけではなく、喫茶店にも言えることだった。
 それが、
「跡取り問題」
 というものだったのだ。

                 それぞれの都合

 平成も中盤くらいになり、商店街が深刻な状態になってくると、商店街は、
「大型ショッピングセンターの台頭」
 というものが深刻化してきた時、ちょうど、世代交代の時期に差し掛かってきた。
 商店街が活気のあった、昭和30年終盤くらいから店を構えた人たちは、平成に入る頃には、かなりの年齢となり、一般企業では、
「とっくの昔に定年退職を迎えている」
 というくらいであった。
 昭和の終わり頃というと、今とはまったく違った社会だった。
「週休二日制」
 などというものは、言われるようになっては来たが、まだまだ導入する企業は、少なかった。
 あったとしても、
「隔週土曜日が休み」
 という程度のもので、その前の段階だった。
「第二土曜日が休日」
 という会社が多かったのではないだろうか?
 さらに、定年退職が55歳は普通であり、希望者は、60歳くらいまで、働いてもいいという程度のものだった。
 当時は今と違い、年金だけで生活ができ、
「老後の不安」
 というものは、そんなになかった時代だった。
 しかし、それがバブルの崩壊により、社会情勢が一変した。
 それまで、
「銀行や大手金融機関は潰れない」
 という、
「金融不敗神話」
 があった。
 しかし、バブルが崩壊すると、あっという間に銀行が破綻したのだ、
 それもそうだろう。バブル期は、
「事業を拡大すればするほど、利益が生まれる」
 と言われてきたので、金融機関は、どんどん企業に融資する。
 利子で利益を得たいものだから、余計に利子を得られるように、いわゆる、
「過剰融資」
 というものを、企業に課すことになる。
 しかし、バブルがはじけると、それまで利益だと思っていたものが、それこそ、泡となって消えていく。それによって、企業は不当たりを出してしまい、一気に倒産に向かって進んでいくのだ、
 バタバタと貸し付けた企業が倒産していくことで、銀行も貸し付けた金が、回収できなくなる。
 そうなると、さしもの銀行も巨額の負債を抱えて、倒産の憂き目にあうのだが、それを免れるための作戦として、
「企業合併」
 ということであった。
「利害の一致する企業」
 が、対等であれ、吸収であれ、合併することで、
「体力のある企業ができる」
作品名:城好きのマスター 作家名:森本晃次