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城好きのマスター

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「コーヒーって苦いんだよ。だから、砂糖を入れたり、クリームを入れたりして飲むんだよ」
 といっているのを聞くと、クリームが苦手な平蔵は、砂糖を使うしかないわけで、
「そんな面倒臭いことしなければいけないのであれば、最初から飲まない方がいい」
 と思うのだった。
 紅茶の場合も、砂糖を入れないと苦いというか、渋い味がするので、コーヒーと種類は同じようなものだと思っていたが、紅茶に限っては、誰も、
「大人の飲み物だ」
 という言い方はしない。
 大人になってから、紅茶、コーヒーというものの区別がつくようになってくるのだが、やはり子供の頃のイメージで、
「紅茶は、普通に飲めるけど、コーヒーはちょっと嫌だな」
 と思うのだった。
 だから、喫茶店に入っても、
「僕は紅茶」
 と言っていた。
 そういえば、友達の家に行って、何かおやつを出された時、コーヒーが出てきたことはなかった。ソフトドリンクか、紅茶だったので、
「ケーキというと、紅茶」
 というイメージが固まってしまっていたのだった。
 そのうちに、
「コーヒールンバ」
 などという曲が流行ってくると、今度は、
「高級なものだから、子供が飲むものではない」
 というイメージが染みついてきた。
 だから、大人の飲み物だという感覚だ。
 他の人であれば、大人ぶって、コーヒーを飲もうとするかも知れない。それは、中学生が背伸びして、タバコを吸ってしまうような感覚で、今の時代のように、
「タバコは、罪悪だ」
 というレッテルを貼られ、喫煙するということは、
「まわりに迷惑をかけること」
 ということになり、いかにも肩身が狭い思いをすることになるのだ。
 平蔵が子供の頃は、どこででもタバコが吸えた。
 室内はもちろん、会社の事務所や会議室。会議室の灰皿には、吸い殻が山のように積まれている光景は、ある程度の年齢の人にしか分からないだろう。
 しかも、昔の刑事ドラマなどでは、タバコを吸っているのが、格好いいというイメージが染みついているので、当時のアクションスターであったり、
「大御所」
 と言われるような俳優がタバコを咥えて歩いている姿などが、本当に格好よく見えたものだ。
 だからこそ、そんな光景に憧れて、中学生になると背伸びをしたいということから。タバコを吸い始めるのだ。
 ただ、
「喫煙の恐ろしさ」
 ということで、喫煙が続けば、将来、肺がどうなってしまうかというのは、図書館などに置いてある本に載っていたり、健康週間などのキャンペーンがあったりすれば、そんな肺が黄色くなった写真などが、ポスターとして、普通に街中に貼られていたりしたものだ。
 それでも、誰も意識することなく、格好良さだけを求めて、
「中学生からの喫煙」
 というのは、当たり前のようになっていた。
「20歳になったら、タバコを止める」
 という、トンチンカンなことを言っているやつもいたりして、実にちぐはぐな世の中であったが、次第に喫煙者が、迫害を受ける時代になってきた。
 それまでは、
「禁煙ルーム」
 というのが新設されたかと思うと、そのうちに、
「喫煙ルーム」
 に変わっている。
 つまりは、
「今までは喫煙が当たり前で、禁煙ルームという特別な部屋が用意されたが、今度は、禁煙が当たり前になってきて、喫煙が特別ということで、ガラス張りの部屋に閉じ込められるような形で、靄が掛かっているのを見ると、まるでガス室に放り込まれているかのように見える」
 のだった。
 そんな時代の流れが、30年というくらいに入れ替わってしまったのだ。戦後の混乱が終わった頃から、タバコの人口は増えていき、成人男性の8割以上が、タバコを吸っているということであった。
 今はそれが逆転し、さらに、禁煙者が増え続けている。
 それはそうだろう。
「受動喫煙防止法」
 というものができてから、
「基本的に室内では吸えなくなった」
 といってもいいだろう。
「個人の家でなら構わないが、公共の場では、タバコを吸ってはいけない」
 ということになったのだ。
 タバコを吸っている本人よりも、そのまわりにいる人の方が、タバコの煙の害を、余計に受ける。
 という研究結果が出て、それを
「副流煙」
 ということで言われるようになると、それまで、文句を言いたくても言えなかった禁煙者の立場が強くなる。
 禁煙が叫ばれるようになってから、別に法律で決まっていなくとも、飲食店や、カフェなどでは、
「禁煙にしないと、禁煙車から文句が出る」
 ということで、自主的に、
「ランチやディナータイムなどは、禁煙とします」
 という店が増えてきたが、そのうちに、
「終日禁煙」
 という店がさらに増えてきたのだった。
 そんな店が増えてきたことで、喫煙者は、まるでアリの大群のように、
「タバコが吸える場所」
 を求めて、
「ジプシー」
 のようなことをしているのを傍から見ていると、滑稽で仕方がなかった。
 穏当に普通に意識せずに、吸える場所というと、
「パチンコ屋」
 であったり、
「飲み屋」
 くらいしかないだろう。
 しかも、そこに来ている連中は、禁煙者に対しての態度がでかい。
「俺たちは、他で迫害されているんだから、堂々と吸えるところでは、俺たちの方が立場は強いんだ」
 と言わんばかりである。
 正直、
「何かが違う」
 そんなことを言っているから、喫煙者は嫌われるのであって、さらに、真面目にルールを守って喫煙している人からも、煙たい存在だと思われているだろう。
「あんな連中がいるから、俺たちまで煙たい目で見られてしまうんだ」
 ということになるのだろう。
 そんなタバコも、今の時代に合うように、禁煙にはなってきたが、それでも、
「電子タバコは、構いません」
 という表記の店もある。
 飲み屋だけかと思うと、普通の喫茶店でも、分煙質を作って、吸えるスペースを確保しているところもある。
「うちの常連は喫煙者ばかりだからな」
 ということなのだろうが、
「そんな店には、誰が行くか」
 と思う人も多いことだろう。
 特に今までタバコを吸っていて、時代に合わせてやめた人から見れば、
「これほど醜いものはない」
 と思っているようだ。
「俺はあんなに狭い喫煙室の中で、まるで貸す室に閉じ込められたように、タバコを吸っていたのか」
 と、ビックリしているくらいである。
「そうさ。お前はあのガス室にいたのさ」
 というと、本当にゾッとしているようで、きっとそれは、自分がタバコの臭いや、煙のきつさを分かっているからだろう。
 喫煙者に聞くと、たいていの人は、タバコが身体に悪いということは分かっているのだという。しかし、辞められない。
 つまり、麻薬と同じで、
「禁断症状を抑えることができないのだ」
 というのだ。
 禁断症状というのが、どのようなものなのかは分からない。そもそも、人によって、あるいは、タバコの種類、さらには、どれだけの量を普段から常用していたかによって変わってくるものだからである。
 だが、中には、
「うちの客は最初からタバコを常用しているような人はいなかったからね」
 と嘯いている喫茶店のマスターがいた。
作品名:城好きのマスター 作家名:森本晃次