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城好きのマスター

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 という世界であり、その考え方が、
「タイムパラドックス」
 というものを裏付ける考え方に繋がるというものであった。
 つまり、
「タイムパラドックスというものは、過去に戻ってそこから始まった未来が、歴史を変えたということになり、自分が生まれてこないということが決まっているかのように表現することで、矛盾が発生するものだ」
 という。
 だとすれば、
「過去に戻って、そこからまた歴史が繰り返され、その世界において自分が生まれないとしても、その世界が、元の世界のパラレルワールドであった」
 と考えれば、無理もないことである。
 もう一つの世界では、実際に自分は生まれていて、歴史を変えようと、過去に向かっているという、従来の世界が広がっているのだ。
 ということは、
「歴史が変わってしまったわけではなく、過去に戻ることで、おあられるワールドに落ち込んでしまったという意識を持っているのは、自分だけだ」
 ということになるのだ。
 世界において、過去に戻っていくら歴史を変えたとしても、パラレルワールドが存在している以上、自分の精神にだけ影響があるものであり、体勢にはまったく影響があるわけではないという理屈であった。
 それが証明されれば、タイムマシンの開発もスムーズにいくかも知れない。
 今は、どうしても、
「タイムパラドックス」
 という考えが、先に進むということを、どうしても妨げることになる。
 それを思うと、どうしても、タイムマシンの開発が、
「開けてはいけないパンドラの匣を開けてしまうことになるのではないか?」
 と考え、誰も発表できないでいるのかも知れない。
 これさえ解決できれば、今でもタイムマシンの開発を宣言できる人は何人もいるかも知れない。
 いわゆる、
「開発者の渋滞」
 といってもいいだろう。
 さて、もう一つのロボット開発についてであるが、ロボット開発にも、タイムマシンにおける、
「タイムパラドックス」
 のような重大な問題が控えているのだ。
 それが、
「ロボット工学三原則」
 という問題と、
「フレーム問題」
 という問題であった。
 それらは、ロボット開発において。
「越えなければならない、課題であり、超えることができないと、人工知能を持ったロボットの開発などできない」
 ということになるのだった。
 かつて、ロボットという発想の中で、問題となっていたのが、
「フランケンシュタイン症候群」
 というものであった。
 フランケンシュタインというロボットを創造したSF作家がかつていた。
 この話は、一口で言えば、
「フランケンシュタインという博士がいて、その人が、理想の人間をつくろうとして、怪物を作ってしまった」
 ということであり、
 人間の役に立つロボットのような強靭な肉体を持ち、人間にできないようなことができる力を持ったいわゆる人造人間を作ったことが始まりだった。
 そのロボットが意思を持ち、本来であれば、人間のいうことを聞くはずのものだったのに、人間に逆らうという、人間にとって災いとなるものを作ってしまったということで、小説としては、ベストセラーになったのだ。
 しかし、まさか、それがロボット開月の妨げになるとは、誰が思ったことだろう。
人間にとって、これほど、困ることはない。
 だから、
「ロボット開発は未来への希望だ」
 という人もいれば、
「ロボット開発は、一歩間違えると、人類の滅亡に繋がる」
 というものであった。
 人類の滅亡というものを
「未来予想図」
 として考える人がいる。
 例えば、
「核戦争による滅亡」
「天変地異などの自然災害によっての滅亡」
 そして、
「ロボットによる実効支配」
 というものであった。
 どれもがありえることであるが、
「ロボットによる実効支配というのは、防ぐことができるのではないだろうか?」
 と言える。
 というのも、
「ロボットというものを最初から作らなければいいだけだ」
 ということであるが、それは、あくまでも、人類滅亡の青写真の中でのことであり、進歩という面では、最初から、
「臭い物に蓋をした」
 ということになるのではないだろうか。
 ということは、
 そこで考えられたのが、
「ロボット工学三原則」
 というものであった。
 ただ、これは、
「科学者による提唱」
 というわけではなかった。
 これも、
「SF作家の一つの考え方」
 というもので、
「自作小説のネタ」
 だったのだ。
 というのは、
「人間にとって都合のいいものを、人工知能の中にある何よりも優先する」
 ということにしておけば、決して人間に危害を加えることはない。
 人間に危害を加えることが、そのまま人類滅亡に繋がるということで、
「ロボット開発」
 ということへの利点よりも、最初に、欠点の方がクローズアップされた形だった。
 それも、小説の中の世界だったということで、
「フランケンシュタイン」
 という話は、知らない人はいないと言われるほどに有名だが、逆にそれを補うと言われる発想が掛かれた、
「ロボット工学三原則」
 の話は、ほとんど知られていない。
 もちろん、ここでいわれている、
「ロボット工学三原則」
 という言葉も、知っている人は少ないのではないだろうか?
 少なくとも、フランケンシュタインほど知名度は高くない。
 こっちの方が、ロボット開発に対して関心が低いということであり、それだけフラケンシュタインという発想が、人間の頭の中に、
「ロボット開発など、できるわけはない」
 というような、決めつけてきな発想を植え付けられているのかも知れないのだ。
 それを考えると、
「本当にロボット開発など、できるわけはない」
 と言えるのではないだろうか?
 ロボと工学三原則」
 というのは、その名の通り、三原則から成り立っているものであり、第一条として、
「ロボットは、人間を傷つけてはいけない」
 というもの、第二条として。
「ロボットは人間のいうことを聞かなければいけない」
 というものであり、第三条としては、
「ロボットは自分の身を自分で守らなければいけない」
 というものであった。
 そして、この三原則において、一番重要なものは、第一条が一番の絶対であり、第二条は一条に抵触しないように、そして、第三条も、第一条、二条に抵触しないというのが、鉄則だったのだ。
 これが破られれば、ロボット工学三原則は根底から覆る。
 つまり、ロボットは、思考が停止し、一歩も動けなくなるということになるのであった。
 これが、SF作家の提唱したもので、そのことを踏まえて書かれた数作品が、彼の作品として残っている。
 そして、今でもこのことが、ロボット工学においての、
「バイブル」
 とされてきて、今でも、大学の工学部で、
「ロボット開発をしているところでは、一番守らなければいけないものとして考えられている」
 ということであった。
 この発想は、某大学の工学部に別の形で残っている。興味深いこととして、
「SF作家が、次作小説に、ロボット工学三原則を盛り込むよりも、前のことだった」
 というのだから、すごいことであろう。
 そのモットーというのが、
作品名:城好きのマスター 作家名:森本晃次