タバコと毒と記憶喪失
三浦刑事は、学生時代に一度地元の名所旧跡に興味を持ち、もちろん、ここの城址公園にも何度か来たことがあった。
この公園には、資料館が建っていて、そこで、
「御城印」
や、
「スタンプ」
を貰うことができるが、見て回るには、よほどお城というものに、興味がなければ、面白くないところであろう。
特に、
「お城というと、天守があるもの」
と思っている人にとっては、これほど面白くもないものはないというものである。
確かに天守がなければ、どうしても、城というのは、華やかさに欠ける。
しかし、今までに日本に存在した城の中のどれだけが、天守を持っていたのかというと、本当に微微たるものである。
なぜなら、
「お城というのは、多い時で、3万という数があり、コンビニの数よりも、かなり多い」
と言えるであろう。
実際に天守が存在したのが、どれほどなのかは分からないが、もし、100としても、300分の1ではないか?
それを思うと、
「天守は、あくまでも威厳を示すためのものであり、本来の戦は、石垣であったり、櫓であったりするというものだ」
と言えるだろう。
実際に天守の中には、いや、結構多いのだろうが、
「連立天守」
と呼ばれるものであり、
「天守をまわりの櫓が守っている」
と言われるものもあったりする。
F城の場合は、実際位は、天守があったのかどうか、議論されているようで、残っている書物からは、
「実際に元々建てられたのは、南北朝時代くらいからで、実際に近代城郭として改築が行われたのが、織豊時代の、豊臣政権下であった」
ということであるから、天守の存在は、かなりの信憑性があったのではないだろうか。
ただ、その寿命は短かったのかも知れない。
江戸幕府が成立し、
「大阪の陣」
で、豊臣家が滅亡すると、家康が、
「元和堰武」
と称し、
「平和な時代」
を宣言したことで、それによって、
「戦を行うための城はいらない」
ということにより、有名な、
「一国一城令」
が発布されたのだ。
それにより、藩主にとっての城は一つになり、尾張、三河、近江などと言った、
「城郭激戦区」
とでもいっていいところの堅固な城が、取り壊しの憂き目にあってきたのだった。
起こっている書状から、ここの天守も、取り壊しとなったようで、ただ、その理由としては、
「一国一城令」
というよりも、もっと切実な問題があったようだ。
歴史書の中では、一国一城令が出る前後くらいであろうが、このあたりを襲った地震があったという。
その地震によって、かなりの家屋が被害を受け、家を失った人が多かったという。
当然、農家もひどいもので、そのせいで、不作となり、年貢も収められず、庶民は、
「住む家もない」
と言った状態だ。
そこで、当時の領主が、
「ますは庶民の苦しみを救ってやらねば」
ということで、天守を解体し、他の廃城となった支城の遺構と合わせて、庶民の住宅復興に一役買ったというわけであった。
そのおかげで、復興は思ったよりもうまくいき、そのおかげで、領主は、
「庶民の身になって考える、良君である」
という話が、書物に残っている。
地震という話は他の書物からも見て取れることから、実際に困窮があったのは間違いないようだ。そういう意味でも、実際に藩主家のことを書き残した歴史書も、若干の贔屓目もあるだろうが、信憑性があったといってもいいだろう。
そんな時代の話も、城の説明案内板にも書かれていて、
「美談」
といってもいいだろう。
その話を三浦刑事も覚えていたので、
「F城は、いい城だったんだな」
と考えていたのだった。
「そんな城で何があったというのか?」
場所を聴いてみると、どうやら、内濠の近くだという。昔は大手門に繋がる橋が架かっていたということだが、今はその大手門もなく、復元もされていないようだった。
大手門を入ると、大きく広い空き地になっているが、そこには、昔、ちょうど昭和の時代くらいまで、野球場があったということだ。
プロ野球の球団がフランチャイズにしていたようで、今でも伝説のように、
「野武士軍団」
と呼ばれていたという。
そのお濠沿いに、西に50メートルくらい行くと、
「下の御門」
と呼ばれる橋があった。
そこは実際に建っている。しかし、そこは、現存ではなく、
「一度焼失している」
というところであった。
それも、実は現存と呼ばれるのは、20年前のことであり、その時、不審火によって、焼失し、その後、十年くらいの間に、再建されたものが今存在している、
「下の御門」
なのだという。
実際にその不審火が何であったのかということは、ハッキリとはしていないようだが、
「タバコの火の不始末」
とも言われている。
少なくとも、県の重要文化財であるだけに、相当な問題にもなったことだろう。そんなこともあって、市は再建されたその門には、防犯カメラも設置しているようで、それだけの警戒もしているといってもいいだろう。
ただ、実際にどこまで監視しているか分かったものではない。
「重要文化財を守る」
という役目を持っている公園の管理人のような人が、本当に、
「重要文化財というものを、どこまで大切に感じているのか?」
というのは分かったものではないだろう。
それを思うと、
「また火事になる可能性はあるだろうな」
とも危惧されている。
そしてもっぱらのウワサとすれば、
「もう一度火事になったら、市は再建を二度としないだろう」
ということであった。
なぜなら、天守の再建もしないからだ。
城址公園を管理しているのは、F市であり、県ではない。市がすべてを決定するのであるが、市議会で、
「F城の再建は行わない」
と決まったのだという。
その理由としては、
「再建するための資料が不足している」
ということが叫ばれているからだ。
というものであった。
実際に、資料が不足しているのも事実かも知れないが、
「模擬天守くらいだったら、別にかまわないだろう」
と言われているのだ。
全国に今建っている天守は、大きく分けて、5つある。
「現存12天守」
と呼ばれる、
「江戸時代以前に作られたもので、焼失も取り壊しも、空襲にも遭わずに残っている天守のことで、南から、伊予松山、宇和島、高知、丸亀、松江、備中松山、姫路、丸岡、彦根、松本、犬山、弘前」
という城だけのことである。
また、実際に天守が存在していて忠実に再現する形での、
「復元天守」
というものがある。
「木造」
「外観」
という種類があり、文献や古文書や、残された絵画などを元に、当時の工法を忠実に守って復元されたものをいう。
さらに、
「復興天守」
というものは、
「その場所に天守が存在していたということが分かっているが、資料が足りないため、想像で再建されたものをいう。
さらに、
「模擬天守」
というものがあるが、これは、
「天守があったかどうかも、もしあったとしても、どこにあったのか分からない状態で、再建されたまったくの想像によるもの」
である。
最後には、
「天守風建造物」
作品名:タバコと毒と記憶喪失 作家名:森本晃次