タバコと毒と記憶喪失
「僕は女友達と普通に呑んでいたんですが、あいつが急に絡んできたんですよ。女友達に向かって、癪をしろとでもいっているような感じで、完全に酔っぱらっているのが分かりました。私は彼女を連れて急いで店を後にしたんですが、すぐに追いかけてくるじゃないですか。しかも手にはナイフが握られている。それまでは恐怖からか、ほとんど口を開いていなかった彼女は、キャーっと悲鳴を挙げたんです。そこで男は急に我に返ったように、酔いが冷めたかと思うと、いきなり、僕の方にナイフを向けて襲ってきたんですよね。普通の人だったら、いきなりそんなことはしないので、僕もこの人は気が狂ってしまったのか、それとも、最初からよっぽどヤバい奴だったのかなってしか思わなかったんですよね。店の人が男が急に飛び出したので、ヤバいと思ったんでしょうね。表に出てきて、すぐに中に入りました。きっとそこで警察に電話してくれたんでしょうね」
と話をしてくれた。
この男の言い分は、的を得ているし、辻褄は合っている。どこにも矛盾は考えられないので、おおむね話は間違っておらず、ほぼ間違いのないことであろう。
それを聴いていたので、この男の前の様子からは、かなり凶暴化しているのだろうが、想定外ということはなかった。
「この男なら、これくらいのことは普通にあるだろう」
ということであった。
しかも、数年前の被害者の女の子の父親が言っていた。
「この男、どうせまた何かをやらかすに違いない」
と断言していたのを思い出し、
「本当に、あのお父さんの言っていたとおりになったではないか」
と思えてならなかったのだ。
あの時の女の子の記憶であるが、半年もした頃に、無事に戻ったということであった。逆に、交通事故に遭った時のことは忘れてしまったようで、
「これでよかったんですよ」
とあのお父さんが、安心したかのように言った言葉が印象的で、
「これでやっと、あの事件が、俺の中でも終わったんだな」
と、三浦刑事は感じたのだ。
ただ、あの時の犯人が、また自分の前にあらわれる可能性は、かなり高いということを感じながらであった。
それが、実際のことになるのだから、世の中というのは面白い。
「人間、落ち始めると、どこまでも落ちていくものなんだろうな」
と、三浦刑事は思ったのだった。
ただ、
「改心する人間は、ちゃんと改心して、立ち直るという例は山ほどある」
というのが本当なのだろう。
だから、立ち直れない人間には、それなりの何かの理由があるに違いない。
最近、よく聞く(といっても、言葉自体はかなり前からあるものだが)、いわゆる、
「依存症」
のようなものを考えたりしていた。
例えば、パチンコ、競馬などと言った、
「ギャンブル依存症」
女性によくあると言われる、
「買い物依存症」
などといろいろあるが、中には、
「風俗依存症」
などというのも、特にそうで、お金が絡むものは、一度入り込むと、なかなか抜けられない。
なぜなら、
「お金さえ払えば、その金額に似合うものを得ることができる」
からである。
普通なら、
「お金がもったいない」
あるいは、
「借金に嵌るのが怖い」
ということで、依存症になる前に抑えが利くのであろうが、一度嵌ってしまうと、
「得られるものは癒しだ」
と考えるようになり、
「癒しを得るのに、自分のお金なんだから、何に使おうがいいではないか?」
という考えに至れば、お金に対しての感覚がマヒしてくるのではないだろうか?
だから、お金を使うことも後ろめたさもなくなり、借金も、
「少しくらいなら」
と思うようになるだろう。
特に風俗依存症の場合は、元々は、
「自分が癒されたいから」
という気持ちだったものが、次第に、
「相手が喜ぶから」
と感じるようになると、お金の使い方が自分なりに分かったような気がすることで、さらに、金銭感覚がマヒしてくるのだった。
しかも、お金の使い方に、
「人のため」
という思いがつくと、自分が依存症であるだけに、与えてもらうことだけしかできない自分に、嫌悪を感じていたとすれば、その思いを払拭できた気がして、余計に、
「俺は誰かのためになっているんだ」
ということが、お金の使い道だと思うと、もう歯止めが利かなくなってしまう。
そうなってくると、特に風俗依存症の場合は、感情を相手に見透かされ、洗脳されてしまうと、もうどうしようもなくなってくる。
男の場合は、風俗嬢に、
「マジ恋」
という形になり、女性の場合では、
「ホストクラブに通い詰める」
ということにもなるだろう。
中には、女の子の中には、
「ホストクラブ代を稼ぐのに、風俗をやっている」
という人もいるだろう。
これは、Vシネマなどの影響なのかも知れないが、ホストのノルマというのは非常に強く、ドラマのホストなどは、ナンバーワンになるために、
「女性の純情を踏みにじる」
というようなものも見たりする。
「ドラマだけであってほしい」
と思うのは、見るに堪えないという思いがあるからだろう。
そういういろいろな欲求があったり、それを利用する、
「甘い罠」
などもある。
依存症とは無縁の人から見れば、
「金の使い方も分からないなんて」
と、自分はそんなことはないと思う人もいるだろうが、意外とそういう人が依存症になったりするだろう。
中には、自分が依存症になっていることを気づかないまま、逆に気が付いた時には、すでに依存症を抜けていたことで、
「自分は、依存症になんかならないぞ」
と、思う人もいることだろう。
そもそも、依存症ということを意識していない人の方が多いのではないだろうか?
だから、それとは自覚がないので、病院に行ったり、カウンセラーを受けようなどとは思わない。それどころか依存症の話を聴いて、
「俺はそんな風にはならないぞ」
であったり、
「依存症だなんてかわいそう」
と、あくまでも、
「他人事だ」
と思うに決まっているのだった。
そんな依存症の人を、三浦刑事は、だいぶ見てきていた。もちろん、上司である桜井警部補ともなると、自分なんかよりも、さらに見てきているだろうから、どのような対応をすればいいのかということもわきまえていることだろう。
ただ、それは、人から教わるものというよりも、自分の身で持って感じるところでないといけないのだろうと、三浦刑事は思うのだった。
ただ、恐ろしいのは、そんな依存症の中に、
「殺人依存症」
のようなものがあれば恐ろしいだろう。
それこそ、
「殺人鬼」
と呼ばれるような、
「人の血を見ないと、我慢ができない」
というような人間である。
それこそ、
「吸血鬼ドラキュラ」
のようではないか。
吸血鬼というのが、本当にいるとして、それは、本当に化け物なのか、人間が何かの拍子に変異したものなのか、ただ、想像上のドラキュラは、伯爵として人間の形をしているのだろうから、創造主は、
「人間の変異」
を基本に考えたのだろう。
ただ、変異してしまったその先はすでに人間ではない。いわゆる、
「化け物」
なのだ。
吸血鬼も、ある意味、
「依存症」
である。
作品名:タバコと毒と記憶喪失 作家名:森本晃次