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タバコと毒と記憶喪失

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 そうなった場合、一番の勝ち組はいなくなるわけだが、実際には勝ち組がいるのだ。
 それは、
「風船の化け物を送り込んできた、宇宙人」
 ということになる。
 宇宙人は、
「一体何が目的なのか?」
 ということである。
 つまり、宇宙怪物を地球に送り込んで、普通に考えると、
「地球人が動けば負け」
 というような戦法になってきている。
 そういえば、以前、将棋をした時、将棋の先生のような人が言っていた言葉が印象的だった。
「将棋において、一番隙のない戦法というのは、どういう戦法なのか分かりますか?」
 と聞かれたことがあった。
 分からずに黙っていると、
「それは、最初に並べた形なんだよ。将棋というのは、一手打つごとに、そこに隙が生まれるというようなゲームなんですよ。言い方を変えれば、減算法と言えばいいのかな?」
 ということであった。
 先生がいう、
「減算法」
 というのは、
「テストなどで、百点を最初から与えられているとして、間違えるごとに点数が減っていき、最終的に合格点に達していれば、合格というもの。つまりは、どの問題を捨てるか? ということが問題になる」
 といっている。
 さらに、加算法は0点から、徐々に正しければ加算していき、これも、合格点を超えると合格ということ、こちらも、
「結果的に、どの問題を捨てるか?」
 ということで同じことなんだけど、出発点が違うのに、同じ考え方をするということは、最終的に交わるということだ。
 という風に考えると、もう一つ減算法も加算法も、同じところがある、
「それが、最初に並べた形だ」
 ということである。
 だから、減算法であっても、加算法であっても、最初と最後が同じであれば、おのずと、途中の過程は、
「どの方法を取るか?」
 ということで決まってくる。
 そう考えると、あの宇宙生物の化け物も、
「どの方法を取ったとしても、帰ってくる場所は同じではないか?」
 ということになるのではないだろうか?
 そう考えると、
「宇宙からきた生物は、宇宙に帰してやる」
 というのが、正解ではないか。
 きっと宇宙人もそれくらいのことは簡単に分かっているのだろう。そして、
「どうせ地球人なんかに、我々のような文明の進んだものの考えることなど、分かるはずもない」
 と思っているに違いないと思ったのだろう。
 だから、地球人が、
「宇宙空間に、人口太陽を作り、怪物がそれに向かって飛んでいく」
 という発想などありえないと思ったに違いない。
 しかし、人間をそれをやり切った、それによって、宇宙からの侵略は収まったということになったのだ。
 ストーリー的には、実によくできた作品であった。
 これは、減算法という考え方が近いかも知れない。一種の三段論法ともいえるだろう。
「A=Bであり、B=Cであれば、A=Cである」
 という三段論法である。
 この場合は、必ず答えは決まっているわけであり、元々が、将棋でいうところの、
「最初に並べた形」
 としての、
「鉄板だ」
 と言えるのではないだろうか?
 数学には、絶対に答えは一つでなければならないということはない。二次方程式になると、絶対値が答えになったりしているではないか? もちろん、だからと言って、
「加算法」
 だというわけではないが、数学は基本的に減算法、たくさん考えられるものから求めていくことを基本にしているように思う。だから、
「答えは必ず一つだ」
 という発想になってしまうのだろう。
 特撮番組も、
「見ている方と、作っている方ではまったく正反対の感情を持っているのかも知れない」
 と思う。
 作っている方は、基本的には、
「何もないところから、新しい話を作り上げる」
 という感覚で作っていると思っている人が多いだろう。
 実際に、クリエイターも自分の作品を一つでも造り上げるまではそう思っているに違いない。
 小説を書く人だって、
「売れる本を書き上げえる」
 というわけではなく、どんなに駄作でもいいから、必ず最初に造り上げた作品というのがあるもので、その作品を作る時、最初は、
「俺は、無から有を生み出そうとしているんだ」
 と思って作っていたはずである。
 最初の作品を書くのに、プロットを作ったのかどうかは、その人の性格によるものだろうが、基本的には、
「思ったことを思ったままに、書きなぐる」
 という印象が深いのかも知れない。
 小説と言えるかどうか分からないものでも、自分で最初に書き上げると、もちろん、書き上げた達成感と満足感に包まれることだろう。
 しかし、そんな中で、
「何かが違う」
 と思っているかも知れない。
 それは、きっと、
「加算法と減算法の解釈の違いだ」
 と言えるのではないだろうか?
 作家として、確かに、
「加算法であってほしい」
 と思っているのだろうが、実際には、
「減算法」
 なのだ。
 小説を書いていると、
「いくつものパターンが頭の中に浮かんできて、それを取捨選択して組み立てていくのが、小説というものであり、そうなると、減算法だということになるだろう」
 と言えるのだろうが、本人が、減算法というものを最初から考えていないからか、
「すべてを自分で作っている」
 という自己催眠のようなものに罹ってしまうだろう。
 ただ、実際には違うのだから、
「何かが違うと感じ、その矛盾であったり、ギャップに悩まされる」
 ということになるのだろう。
 そこが分かっていないので、作品を作り上げて、満足感はあるのだが、どこかに矛盾を感じ、いわゆる、
「賢者モード」
 に陥ってしまうのであろう。
 病院に運ばれた男は、解毒の作用と、医者から、
「しばらくの絶対安静が必要だ」
 ということで、聞き取りができるようになるまでには、しばらくかかりそうであった。
 警察では、もちろん平行して、男の身元を探っていた。
 最初は、
「自殺か殺人か、五分五分のところだ」
 と思われていたが、冷静に考えてみると、自殺の可能性は低いように思えたのだ。
 その一番の理由は、
「この男が、身元を示すものを何も持っていなかった」
 ということだ。
 もちろん、遺書がなかったり、街中をフラフラ歩いていたりと、行動が不自然であることもその要因であるが、自殺のように、他の人が誰も関わっていないというようには、どうしても見えなかった。それを思うと、
「この男は被害者なんだろうな?」
 ということになったのだ。
 捜査方法としては、今のところ2つがあった。
 一つは、もちろん、被害者が見つかった城址公園付近での聞き込みであった。身元を示すものが何もない以上、倒れたあの場所から、捜査範囲を広げていくしかない。それを思うと、
「あの時間にあのあたりにいるのが、やつのルーティンだ」
 と考えるのも無理はなかった。とりあえず、まずは、近所の店舗に聞き込みを掛けることにしたのだった。
 時間が昼過ぎだったということもあり、
「あのあたりで昼食を食べたという可能性もあるからな」
 ということで、喫茶店や、食事処を、とりあえず調べてみたが、なかなか進展のある証言を得ることはできないでいた。
作品名:タバコと毒と記憶喪失 作家名:森本晃次