タバコと毒と記憶喪失
「あの人、どこかで見たような気がしたと思ったんですが、あれは三日くらい前だったですかね? 自分がちょうど、あそこの下の御門からこっちに歩いて来ようとした時だったんですけど、御門の下で、とんでもない行動をしているやつを見かけたんですよ」
というではないか。
「ほう、それはどういう?」
と聞かれた彼は、
「あそこの御門は少なくとも、県の重要文化財であるということはもちろん知っていましたけど、何とその門の下で、その男は火をつけるじゃないですか」
「火というと?」
「放火とかではなく、タバコに火をつけたんですよ。今の時代は、タバコを吸うこと自体が罪人であるかのように思われている時代に、表でタバコを吸いながら歩くというだけでも、白い目で見られるのに、重要文化財のそばでわざわざタバコを吸うようなやつがいると思えば許せないじゃないですか。だから、スマホで写メに収めてやったんですよ」
といって、その男は写メを見せた。
その写真はかなり遠くから撮っているので、実に見にくい。
「これくらいの距離を取らないと、相手から、肖像権を言われると厄介ですからな。少し離れて、まるで御門を撮っているかのように見せかければ相手も気づかないと思ったんです」
といって、彼はスマホを自分の手に取って、画面を親指と人差し指でなぞるように広がると、
「ここまで拡大できるんですよ」
といって見せると、
「なるほど、タバコを吸っているようですな」
といって、左手にはスマホを持っていじっているのが分かり、右手にはタバコが握られていた。
「この写真が何か?」
と三浦刑事が聞くと、
「この男こそが、さっき苦しみだしたやつだったんです。そう思った時、放っておこうかと思ったんですが、天罰だという思いと、そうであれば、警察にしっかりとバツを与えてもらいたいということから、警察にも電話をしたんですよ」
ということであった。
状況からすれば、警察が出張ってくることもなかったかも知れないが、そういうことであれば、分からなくもない。
男は、救急車で運ばれていったが、目撃者にとっては、その男がどうなるか、知ったことではないように思えた。
「人間、普段から素行が悪いと、いざという時に、誰も助けてくれるはずもないではないか?」
と思えるのであった。
「なるほど、あなたは、この人が苦しんでいるのを、黙って見ていたというわけではないんですね?」
と言われると、
「ええ、そうですよ。もちろん、告発してやりたいという思いが一番でしたけど、ここまで他の連中が苦しんでいる人を無視しているというのを見た時、愕然としましたね、こいつら、もし自分が、この男の立場なら、見捨てられるのを、無視しておくつもりなんだろうかって思ってですね」
というではないか。
なるほど、この男の言い分ももっともである。自分も警察官でなければ、
「果たして同じ場面に出くわして、助けようと思うか?」
と言われると、何と答えるだろうかと感じたのだ。
たぶん、勝手に身体が動いて、何とかしようとはするのだろうが、それは反射的にということであって、本当に意思の元にすることであろうか?
それを思うと、
「たぶん、反射的な行動で、普通だったら、見知らぬふりをするかも知れないな」
ということであった。
しかし、無意識と言いながら、彼のように助けるのであれば、それが正しいのだろうが、他の人は実際に何もしていないし、一生懸命にやっている行動を黙ってみているではないか?
それでも、さらに考えるのは、
「誰かがしてくれているから、俺が出張っていく必要もない」
と思うのではないか。
つまりは、
「何か見返りがないと、人間は自分から行動しない」
ということである。
「この男を助けて、自分が何かいいことがあるのだろうか?」
子供の頃などでは、
「大人たちが、勇敢でいい子だ」
といって褒めてくれるというような発想もあったが、大人になってみれば、
「結局。自分がいいことをしたと思ってやってやっても、何になるわけでもない。下手をすると、
「自分が遅刻するかも知れない」
という状況で助けてやったとしても、その時は褒められるかも知れないが、会社にいけば、
「よくやった」
とは言われない。
「何で連絡しないんだ?」
と言われるだけである。
もし、上司に対して、
「あの緊急時、そんな時間ありませんよ」
などといえば、きっと上司は、
「そんな時間」
という言葉に反応し、
「お前は会社とどっちが大切なんだ?」
といって怒るだろう。
本当のことをいえば、
「だったら、辞表を持ってこい」
と言われるかも知れない。
要するに、
「俺の指摘した時間を、そんな時間と言った」
ということで、怒り狂うに違いないということである。
実際に上司がその場面にいたわけではないので、本当は大変だったということは分かっているが、それだけに、余計に苛立っているのかも知れない。
「自分や会社をないがしろにした」
という意識である、
これが、今の時代である。
そういえば、高校時代が田舎だったこともあって、学校の帰り、クラブ活動の帰りであるが、居残り練習をさせられたことで、帰りが一人になってしまった時、駅までの田舎道にて、不審火により、火事になったことがあった。
消防署に電話を入れ、待っていたのだが、相手がなかなか見つけることができなかったようで、
「火事が電線を燃やす」
というところまで火が広がったことがあった。
そんな時、何とか119番で説明したが、なかなか来てくれない。
「帰りたいんですが」
といっても、
「もう少しで着きますから」
といって、帰してくれない。
やっと辿り着いて、火を消すことができたが、自分はその場所に3時間以上も拘束される形になった。
携帯電話で家に連絡を取ればよかったのだろうが、
「携帯にはいつ消防署から連絡があるか分からない」
ということで使えなかったのだ。
そこまでして消防のために協力してやったのに、褒められるどころか、消防隊の人たちから、
「ご苦労様でした」
といって敬礼されただけであった。
高校生だったこともあって、せめて、感謝状くらいはあるかと思っていたが、それもない。
最初は、
「テレビがインタビューに来たら、何と答えよう」
とまで思っていたのが、恥ずかしいくらいである。
それなのに、まわりは実に冷めた目だった。
翌日学校に行っても、まったく変わらない。先生も知っているはずだろうと思ったが、せめて、
「昨日は大変だったな」
の一言もない。
拍子抜けどころか、苛立ちに近いものがあり、しかも、消防署からも、警察からも何も言ってこない。
どうやら放火だったようで、放火犯が捕まったことで、みんな注目はそっちの方に行ったのだった。
「俺が通報したから、大事に至らなかったのに」
と思ってみても、誰も褒めてはくれない。
下手をすれば、
「誰も知らないんじゃないか?」
と思ったほどで、正直、
「あの時の3時間を返せ」
と言いたくなってくる。
作品名:タバコと毒と記憶喪失 作家名:森本晃次