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一毒二役

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 ただ、一度燃えたということで、再度火災が起こったということであれば、市に対する風当たりは強いことだろう。
「一度燃えているのに、まったく市はそれ以降、不審火の対策を取っていなかったということになる」
 という非難は免れないはずだ。
 だからこそ、
「再建しないというのは、金銭的なもの以上の問題があるのではないか?」
 と言えるかも知れない。
 その思いがあったからこそ、一度目は再建したのではないか。二度目で再建しないということになると、市長に対しての風当たりは尋常ではないかも知れない。
「市長は分かっているのだろうか?」
 と言われるに違いない。
 市長がどのような市長なのか、正直なところ分からないが、
「天守を再建しない」
 という時点で、
「この市長は、重要文化財や、観光に関して、金儲けにでもならないことには、一切興味がないということなんだろうな?」
 ということが分かるというものだ。
 当然、民間団体にも、
「文化財保護団体」
 なるものが、いくつか存在するだろう。観光案内などもそうであろうし、彼らとしては、いってみれば、
「生活の糧」
 なのである。
 それを、
「市にとって、利益にならない」
 ということで、すぐに、断念してもいいのだろうか?
 ボランティア団体などを含めると、いろいろたくさんの集団が存在することは否めないだろう。
 それを思うと、
「市長というものも、しっかり選ばないと、市に近い仕事をしている人間にとっては、死活問題だ」
 ということになるだろう。
 そういう意味では、
「今の市長は、市長としての資質が疑われる」
 という意見の方が、圧倒的に多いようだった。

                 三浦刑事と、間抜けな犯罪

 そんなこんなで、F市の事情もあるだろうが、少なくとも、
「重要文化財である城門の前で、タバコに火をつけて、あからさまに吸っていた」
 という事実があり、その証拠をシャッターチャンスしているわけなので、市の文化局の方も、簡単に、
「善良な市民」
 からの通報をむげにはできないはずである。
 特に、最近では、
「世界的なパンデミック」
 による、
「緊急事態宣言」
 なるものを発出したことで、現れた社会現象として、
「自粛警察」
 なるものの存在があった。
 つまり、緊急事態宣言というのは、国民の行動制限を行うことで、伝染病の蔓延を防ぐという、
「人流抑制」
 ということである。
 要するに、街の店を閉めて、
「皆さん、おうちで過ごしてください」
 という政府からの呼びかけであるが、確かに強制力はないとはいえ、やっていることは、完全に、
「半強制」
 である。
 そんな中において、日本国には、憲法9条によって、
「有事はない」
 とされていることから、明治憲法では存在した。
「戒厳令」
 というものは、ありえないものとなった。
 だから、国が国民に発出するものに、強制力のある権利の抑制というものはありえない。いくら国民の命に係わるといっても同じなのだ。
 だから、国家が、
「強制できない」
 ということで、本当に経営がいっぱいいっぱいのところは、店を開けるのを余儀なくされるのも仕方がないだろう。
「国に従って、飢え死にするのをただ待つだけにするか?」
 あるいは、
「国に逆らってでも、イチかバチかで営業するか?」
 ということである。
 だが、店を開けたからといって、客が来るとは限らない。店によっては、
「そんな国逆らうようなことをしてまで」
 というところもあれば、逆に、ギャンブルのお店で、
「ギャンブル依存症」
 の人であれば、禁断症状の最中に店を開けてくれたことで、本能的にいってしまう人はたくさんいるに違いない。
 そんな人たちに対して、
「自分たちは不自由であっても、ルールを守っているのに、守らないやつには、天罰がくだらなければいけないと思っている人がいることで、許されてもいいのだろうか?」
 ということをいう人がいる。
 一種の正義感に近く、
「勧善懲悪の精神」
 と似てはいるが、正直、まったく違うものだといえるだろう。
「他府県をまたいだ移動はしないでください」
 と政府がいっているからといって、車のナンバープレートが他府県ナンバーだと分かると、車を攻撃したり、嫌がらせをする人が集団でいる。
 そういう連中を、
「自粛警察」
 というのだった。
 彼らには、正義があるのかどうかは分からないが、やっていることは、
「天に変わってのおしおき」
 である。
 そういう連中は、
「自分がすべて正しい」
 と思い込んでいるのだろう。
 平時であっても、そのような考えの人は結構いることは分かっている。しかし、人に害を与えることもないので、さほど、気にされることもないだろう。
 しかし、今回の緊急事態宣言のように、明らかに、
「国の強制」
 ということにおいては、
「どのようにすればいいのか?」
 という、彼らの中でも戸惑いがあったのだろう。
 しかし、自分たちは国の政策に、とりあえず従うと考えている。その中にどれだけの矛盾が含まれているのか、山ほどあるに違いないが、それをいちいち意識していれば、対応などできるはずもないといえるだろう。
 それを思うと、国からの強制というと、同じ考えの人でも、微妙な違いを持った人がいるだろう。
 国からの強制と、勧善懲悪というものを天秤に架けると、当然のことであるが、勧善懲悪というのが勝つだろう。
 しかし、今回の宣言は、
「勧善懲悪であっても、それが、国からの強制に従うことだ」
 という、一種矛盾したものを、自分で認めなければいけないということになるのであった。
 そして、国が国民を締め付けているという事実の中で、
「これは強制ではない」
 などという生ぬるいやり方しかできないのだから、当然、要請を守らない人も結構いるだろう、
 それを法律で、罰則を設けたとしても、結局、
「開店したことで、閉めてから垂れ流すお金との差額分が、十分に罰金よりも、多いのであれば、
「罰則なんて、怖くない」
 と言えるのではないだろうか?
 そういう意味でいけば、
「ルール無視」
 という人が増えてくるのも否めないが、しかし、
「このまま死を待つよりも」
 ということであれば、同情の余地はあるというものだ。
 ただ、それを許さないのが、
「自粛警察」
 というもので、
「例外は認めない」
 という、かなり厳しい集団だといえるだろう。
 確かに、自粛警察というのは、
「勧善懲悪の固まり」
 であり、もっといえば、
「勧善懲悪そのもの」
 だといえるだろう。
 耽美主義が、いかなるものに美が優先するという考えであれば、自粛警察というものは、
「勧善懲悪が、すべてのものに優先する」
 という考えだ。
 耽美主義でも嫌われる傾向にあるのに、このようなパンデミックでなければ、自粛警察なるものは、
「悪の権化」
 といってもいいくらいのものであろう。
 だとすると、
「タバコを吸っているやつが許せないというのも、完全に、勧善懲悪への挑戦だ」
 といってもいいだろう。
 自粛警察というものを見ていると、同期のやつが、
作品名:一毒二役 作家名:森本晃次