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一毒二役

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「警察が委縮をするのは、縦割り社会の弊害もあり、キャリア組であったりが、下を締め付けることで、捜査のいろはも知らない連中が、余計なことをいう」
 と、現場の警察官に思われているのであろう。
 完全に、警察内部の、
「冷戦状態」
 であり、いつ爆発するかということが、焦点になっているのだった。
 そんな時代にあって、一人の刑事が入ってきた。
 彼は三浦刑事とは動機で、完全に、
「昭和の刑事ドラマ」
 というものを見ているのが分かっていた。
「あの頃の刑事ドラマというのは、刑事同士が、あだ名で呼び合っているような、そんなアットホームな時代だったんだ」
 と言っていたが、果たしてどうなのだろう?
 実は三浦刑事も、昭和の時代の刑事ものを知らないわけではない。
「むしろ、こいつよりは知っているだろうな」
 と思っていた。
 なぜなら、この男の言っている刑事ドラマというのは、ある一定の時期にあった。
「熱血根性もの」
 というものが流行った時代であり、スポーツであり、刑事ドラマであり、
「汗と涙、さらには、刑事は頭よりも足で稼ぐ」
 という、力技と言えるような話ばかりをするのであった。
 昭和ということで括るならば、確かに昭和四十年代くらいまでは、熱血の刑事であったり、刑事ドラマでも、人情者の、ヒューマンドラマであり、犯人にもスポットライトを当てるという感じの話が多かった。
 だから、刑事部屋も、あだ名で呼び合うというような、アットホームな感じがあったのだろうが、本来であれば、事件が起こっていたり、それが殺人事件などで、人が死んでいるのに、笑ったりなどするのは、今であれば、
「不謹慎」
 と言われても、不思議のないくらいではないだろうか?
 それに比べて、昭和50年代に入ってくると、今度は、ハードボイルドタッチの話が多くなる。
 確かに、昭和40年代でも、ハードボイルドタッチの話もあったが、それでも、人間ドラマ系に話を持っていくことが多かったのだろう。
「時代がそういう時代」
 ということで、
「それ以外のドラマを作っても、誰も見てくれない」
 ということで、
「ヒューマンドラマにするしかない」
 ということになるのだろう。
 しかし、年代が変わると、一変する。
 もちろん、
「センセーショナルな話題を振りまくドラマが一発当たらなければ、ブームは来ない」
 というべきか、それとも、
「ブームが来たから、今出すべきドラマということで、企画を立てた人に、先見の明があったということなのか?」
 というべきなのかということである。
 刑事ドラマが革命を起こしたかのようなもので、ドラマの部分が果たして残っているかと言えるほどに、アクションシーンのオンパレードである。
 派手なカーチェイスに、爆破シーン、車や建物の破壊シーンが、放送時間のほとんどを占めているというような、そんな番組になり、それを喜んでみる視聴者が多くなったということである。
「ヒューマンドラマの、生ぬるい設定に飽きてきたのか?」
 それとも、
「アクションというものに、それまでのうさを晴らすという目的をのっけているのか」
 とにかく、アクションがすべてに繋がっていて、ドラマ性というのは、あまり感じられない。
 ただ、それでは、息苦しいということなのか、ドラマの中で、刑事同士の恋愛であったり、刑事の家族が出てきたり、そこで、恋愛に発展したりと、ストーリー展開だけでは、恋愛にいかに持っていくのかということを想像もできないことを、強引に結び付けようとして、
「いかにも、あざとい内容だ」
 ということになっているドラマが結構あったりした。
 それで、
「刑事ドラマを見なくなった」
 という人もいれば、
「こういう刑事ものを待っていたんだ」
 という、まるで、特撮ヒーローものの延長でも見ているような人たちがいたのではないだろうか?

                 非常識の矛盾

 三浦刑事は、元々勧善懲悪から
「警察官になりたい」
 と思っていたのだが、動機に、
「俺の方がいかにも勧善懲悪なんだ」
 というやつがいると、自分を表に出すことをためらうのだった。
「お前なんかに負けるものか」
 という態度が露骨に見えてくる。
 そんな態度を表に出されると、それこそ、
「勧善懲悪」
 という意識が恥ずかしいものだとしか思えなくなるのだった。
 そもそも、
「勧善懲悪とは何か?」
 ということから始まり、勧善懲悪というものを意識してしまうと、
「自分までもが同じだと思われてしまい、恥ずかしい」
 と考えるのだ。
 つまり、変な競争意識は、まわりを不快な思いに陥らせることになり、自分もその一端を担っていることが、恥ずかしいということである。
 そんな自分が恥ずかしいと思うことは、まわりにも分かるというもので、
「そんな意識をまわりに抱かせる」
 ということを、決してしたくないと思うのだった。
 ただ、
「俺も、昔の刑事ドラマは、よく見たりしたものだ」
 と、刑事ドラマ専門チャンネルを衛星放送による、有料番組として、月契約で見ていたものだった。
「昭和の刑事ドラマ」
 は、確かに、途中でアクションものに変化していったが、それは、きっと、まわりの岡野ジャンルのドラマの傾向に影響していたのだろう。
 根性、熱血というものが、涙を誘うような時代があり、同じ時期の双璧として、アットホームな、過程を描いたホームドラマなどがあった。
 その名残を残しているのが、ある国営放送まがいの、
「受信料」
 などという名目の金を徴収している放送局が押送している朝のドラマなどが、唯一残っているといってもいいだろう。
 民放ではあるが、逆にアニメなどが、昭和の昔を描いた作品が、今でも放送されているというのは、皮肉なことであろうか?
 昭和の刑事ものの中で、ヒューマンドラマとして、長年の人気をはくし、今でも、伝説という意味での敬意を表しているというべきか、親しみを込めた意味で、登場人物の物まねをしている人もいたりする、
 ただ、さすがにもう最近では、そのドラマの存在すら知らない世代になってきたので、めっきり見ることはなくなったが、
「ひょっとすると、昭和世代の人が多く訪れる、スナックなどで、営業のような形でやっているのではないか?」
 と思えてきたが、
 そんな営業すらも、昭和の遺産のようなものであり、そんなことをする人がいるとは思えない時代になっていた。
「何か寂しいな」
 と思っている昭和世代の大人もいるのではないか?
 そう思うと、
「いつの間にか、大人になってから、あっという間に中年から初老になってくるのではないか?」
 と思うと、背筋にゾッとしたものを感じた、三浦刑事だった。
 二人はまだ、刑事になりたての頃の事件で、
「なんだか、昭和の臭いのする事件だな」
 と、ボソッと、呟いた先輩刑事がいた。
 自分ももう一人の刑事も、まだまだ新人だったし、若さからも、
「昭和と言われてもな」
 と感じたが、それは一瞬だけのことで、三浦刑事は、その思いをずっと持っていた。
 しかし、もう一人の新人刑事の方は、
「おお、昭和の臭いのある事件か」
作品名:一毒二役 作家名:森本晃次