悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)
■3月9日(16日目):越谷 ⇒ 自宅
【本文】 今日は、この「キャンピングカーの旅」のラストランの日だ。長かったような、短かったような、いずれにせよ、今日で終わってしまう。
実は明日、大切な用事があるためで、どうしても帰宅しなければならない。旅立つ日、その期限までは実に十分な日数があり、全く気にしていなかったが、まさか期限ぎりぎりまで旅が続くとは思ってもいなかった。でも、そうなってしまった。
これまでの旅より長かったことで、「キャンピングカーの旅」に多少ながら、自信がついてきた気がしている。
たとえば、?水の補給について、?廃水を捨てることについて、?ゴミ処理方法、?サブバッテリー充電残量問題、?新規に設置した地デジアンテナの限界、?コインランドリーの使用、等々で、長旅だったからこそ起きうることに直面し、それぞれに可能な限り適切に対応しながらも、十分な対応ができなかったものもあり、今後、最適解をじっくりと考えてみることにした。
その結果、当面の目標の1ヶ月の「キャンピングカーの旅」の実現が視野に入ったことは間違いなかった。
さて、娘が作ってくれた朝食を食べた後の帰宅準備は、パジャマを畳んで、今日の服装に着替えるくらいだ。
前回と同様、今日も、登校する孫の様子を見て、いつもはテレワークの娘婿が今日は出勤するとのことで、彼を最寄りの駅まで送るついでに、帰途に着くことにした。
朝の混雑している道を走り抜け、駅で娘婿を降ろした。周囲の人にとっては、珍しい光景に映ったのかもしれない。ちょっと気にし過ぎの自意識過剰か?
東京外環自動車道の下のR298、笹目通り、環八通りと走り抜け、R246に入ると直ぐに多摩川を渡り、神奈川県に入った。どこで南下してもR1にたどり着くが、秦野で左折してR1に合流。西湘バイパスには入らず西進。箱根山がR1の先に見えたり、家々に隠れたり、そのような景色が続いたが、小田原あたりからは目の前に迫る様相になってきた。
箱根に上る道は幾つかあるが、ターンパイクや箱根新道(R1)ではなく、温泉街を抜ける最も走り難いR1を選んだ。箱根駅伝では最も厳しい区間で、その登り坂で幾つものドラマが起きる場所だ。かつて、富士重工が、後に国民車と呼ばれた「スバル360」の認証を取るために、上りきったハードな坂道だ。そんなことを思いながら、ディーゼルターボの「ジル」はゆっくりだが、難なく上っていった。
R1最高地点を越してからは芦ノ湖方面に下っていった。この旅の2日目に走った芦ノ湖の湖岸を再び走り抜け、1泊目の道の駅の前を通過した。懐かしいような、昨日の事だったような、その両面を不思議に思いながら箱根峠を越え、静岡県に戻ってきた。
天下の剣の箱根からの下り坂では、この旅を感慨深く思い出す余裕もなく、カーブで曲がり切れなかった時のための待避所が数ヵ所もある急坂を注意深く運転した。
毎年頂く年賀状の住所をナビに入力していたので、それを目的地にセットして、伊豆半島の付け根にあたる函南町の友人宅に向かった。
彼は、台湾で一緒に働いた際のメンバーのひとりで、それは25年以上も前のことだ。やがて狩野川の畔にある彼の自宅に到着し、庭先に「ジル」を停めた。
顔を見合わせた時、お互いに髪の毛が白くなったと思うや否や、一気に四半世紀の時間が戻った。
私がキャンピングカーで訪問したことに彼は驚き、先ずはダイネットに彼を招き入れ、キャンピングカーのことやこの旅の話が始まった。途中で、彼の奥さんも入ってきて、色々な話しは尽きなかった。
そして彼の家にお邪魔してからは、お互いのこれまでの経歴や今の生活について話し込んだ。楽しいひと時だった。
二人とも歳を取った風貌になってはいるが、気持ちはまだまだ若いつもり。健康年齢に注意しながらやっていこうね、そして元気な再会を約束して、彼の家を後にした。
沼津から自宅までのR1の殆どはバイパスだ。信号は少なく、ストレスのない走りで自宅に向かった。
家路は間もなくだが、気持ちの上での旅の終わりは“いきなり”やってくる。それは、やれやれ終わったという“フェードアウト的な感覚”と旅をまだ終わりたくないという“放浪感”のミックスであり、今回は、初めての長旅だったことで、前者が70%くらいの感覚だった。この相反する感覚は何に比例するのか、次回の旅で見付けてみよう。
そんなことを考えている内に、自宅のある住宅地に入った。我が家のカーポートの「ジル」の駐車スペースに頭から入って、アクセルペダルから足を離し、ブレーキペダルを踏んで、サイドブレーキを掛けた。この「キャンピングカーの旅」が終わった。
帰宅時間が少し遅くなったため、妻にお茶漬けを作ってもらった。旅の後片付けは明日だ。
【本日の走行距離】287km