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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)

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■3月7日(14日目):那須高原 ⇒ 越谷(埼玉県)


【この日の概要】 「那須岳」に掛かるロープウェーは残念ながらまだ営業しておらず、その分、「ジル」で上れる最高地点の「大丸園地」で、ゆっくりした。下山の途中で立ち寄った「鹿の湯」では、熱過ぎる湯で体が真っ赤。火照った体で高原らしさを感じながら、麓に下り、埼玉県越谷市の娘宅を目指した。

【この日のポイント】 那須温泉郷の「鹿の湯」で、44度、46度、そして48度を体験することができた。後日、月刊オートキャンパー誌の「キャンピングカーと温泉」をテーマとした「リモート座談会」に出席して、この「鹿の湯」の話をさせてもらった。私好みの温泉だった。

【本文】 昨夜はバンクベッドの布団に入るや否や、直ぐに寝付いた。
 終盤に差し掛かった「キャンピングカーの旅」で、これまでの疲れが溜まっている自覚はないが、心身が休息を必要としているのだろう。食べて寝るのが疲労解消には一番だ。
 しかし、年齢を重ねてきたことでトイレの間隔が以前よりは短くなっており、5時にトイレに行きたくなり目が覚めた。それでも6時間の睡眠だ。
 車外に出た。今日も晴れそうな空だが寒い。パジャマを着たままなので、ベンチコートを羽織った。トイレから戻ると温かい布団が私を誘っているようで、再び、布団に入ってしまった。

 7時前、駐車場内の人の声で目が覚めた。カーテンを開けると、夜中に駐車したクルマがある一方、数台のキャンピングカーは既に出発していた。
 朝のコーヒーを飲みながら、昨夜書き終わらなかった昨日分の「旅のメモ」を仕上げた。このメモで、旅が終わった後に執筆する紀行文の作成に困らない。
 今日は再び埼玉県越谷市の娘宅まで走り、翌日は自宅に戻る予定だ。そのため、食料品の整理を始めようと冷蔵庫を覗き込み、食パンは最後の1枚、カット野菜と卵で作った野菜炒め、そして湯を注いで作るコーンスープにホットミルク、以上の温かな朝食をゆっくりと食べた。

 道の駅の情報コーナーで那須高原の観光マップを入手しようと、広場に置かれたベンチに座って9時の開店時間を待った。
 清々しい高原の朝を感じながら、あたりを見回すと、旅の途中と思われるペット連れの夫婦、仲の良さそうな親子、他にも開店を待っている地元の人らしい人たちもいた。多分、朝採れ野菜や新鮮な牛乳があるのだろう。
 店内に人影が見えたので、自動ドアをノックして、観光パンフレットについて尋ねたところ、併設されているカフェに置いているとのことだったが、そこは10時開店のため1時間以上もある。どうしようかと思っていたが、カフェ内の従業員にドアを開けて頂き、観光マップを入手した。

 「ジル」に戻り、それを見ながら午前中の計画を練った。
 先ずは、高原の中の道を走り抜け、ロープウェー山麓駅を目指す。それに乗って、那須岳およびその周辺の景色を楽しむ。下山してから温泉に浸かるという那須の自然を味わう内容だ。
 那須高原(那須野が原)は日本最大級の扇状地だ。元来、水資源に乏しく農地には適さない土地であり、江戸末期までは殆ど集落のない原野であった。明治政府の殖産興業政策により、日本三大疏水のひとつに数えられる那須疏水が開削された後に、用水の確保に目処が立ち、広大な荒地は灌漑され、緑豊かな農業生産地や酪農地となった歴史を持つ。

 一方で、1300年前に開湯された温泉、その後も源泉が発見され、現在は那須八湯の温泉郷になっている。そして大正時代に建築された皇室の御用邸で那須の名が全国に広まり、やがて企業の保養地や個人の別荘が建てられ、首都圏に近いこともあり、大規模な別荘開発が進み、今に至る歴史を持つ。

 道の駅の直ぐ下側の横断道路(県道30号)を北に向かって走った。ちょっと戻る感じだが、気持ちの良い道だ。
 那須岳山麓に広がる広大な牧場、思い出したように見掛けるレストランは豪奢ではないが周囲の木々に溶け込むように佇んでいた。
 所々で、土地分譲や別荘地分譲の看板を目にしたが、別荘らしい家屋は見当たらず、多分、道路から少し離れた閑静な土地に建っているのだろう。
 やがて大きな橋に差し掛ると突然、左右上下に広がる景色が現れ、もう一度ゆっくりと見たくなり、渡り終えてからUターンして戻り、橋のたもとの小さな駐車場に「ジル」を停めた。
 那須岳やその西に広がる山々を見ながら、秋は錦秋に染まるのだろうと思いながら何枚もの写真を撮った。いい写真が撮れて満足したが、この風景を記憶するには、もう暫く見る余裕が欲しかったと反省。しかし、撮った写真を見れば思い出せるから、いい意味で便利だ。

 更に走った先の十字路を左折して、ロープウェーの山麓駅を目指して上っていった。
 温泉旅館や民家がなくなると林の中をジグザグに上り始め、一気に勾配が増し、標高が高くなっていった。
 那須岳とは那須連山の総称で、火口近くから噴気が見える茶臼岳はその主峰だ。茶臼岳の山頂付近と七合目の山麓を結ぶロープウェーの山麓駅はもう少し上だが、残念なことに、そこに続く道がまだ冬期閉鎖中だった。
 その手前の駐車場の「大丸園地」に「ジル」を停めた。
 駐車場に面した売店に入り、そこの年配の女性に尋ねると、ロープウェーは残念ながら、4月頃から営業が始まるとのことだった。
 園地の端に数段上る程度の展望台があり、そこにいた夫婦と会話になった。彼らはトレッキングする予定だったが、まだ雪が残っているのでやめたとのこと。まだまだ雪深い那須岳とその周辺のようだ。
 結局、この「大丸園地」が那須高原の“今回の最高地点”になった。そこから、眼下の景色は霞んで明瞭に見えなかったが、雪が残る山容は美しく、何枚も何枚も写真を撮った。その後、下り始めた。

 マニュアル車は、セカンドギヤで上った坂道はセカンドギヤで下るという運転が推奨されるが、オートマ車ではどういう下り方がベストなのだろうか? 長年、オートマ車に乗っているのだが、以前から、その答えを知らなかった。長い下り坂でのブレーキの多用は、一般的にベーパーロック現象やフェード現象でブレーキが効かなくなる可能性があり危険だ。
 約3トンの総重量の「ジル」の場合、下り坂では慣性力が大きくなり、勢いが増すため、大きな制動力が必要だ。加えて、カーブの時の遠心力も大きくなり、速度の上昇はたいへんなリスクを抱えてしまう。
 私の場合、それらを避けるために、先ずはOD(オーバードライブ)をOFFにして、それが十分でない場合は必要に応じてのブレーキを踏んでいる。そして、その回数が多くなるならば、シフトダウンで減速していて、それが最適な順序とは思うが、正しい切り替えポイントを知らない。私だけかも知れないが、世の中の多くの人もどうなのか?
 この那須岳からの下りの道では、ODから更にシフトダウンして、それでも勢いが増してしまうので、カーブの手前でブレーキを踏みながら、ゆっくりと下っていった。

 上る時に気になった温泉が見えたので立ち寄った。そこは那須温泉元湯「鹿の湯」という那須の地で最初に開湯された温泉で、鄙びた木造建屋が時の流れを拒んだかのような佇まいに誘われた。