悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)
■3月6日(13日目):伊達郡国見町 ⇒ 那須高原(栃木県)
【この日の概要】 「二本松城址」の天守台跡まで登った後は、10年前に泊った「猪苗代湖」のキャンプ場へ。そして「会津若松城」に行くも、駐車場がなく、登城は諦めたが、名所の多い会津若松にはもう一度来ることを決めた。そして日光まで行きたかったが雪で行けず。R4に戻り、「那須高原」の道の駅で車中泊。
【この日のポイント】 10年前のキャンプツーリングの時に泊った猪苗代湖の湖岸のキャンプ場を再び訪れ、管理人の方と10年前の頃の思い出話ができたこと。
【本文】 朝から晴れた今日、R4で南下して、R49で猪苗代湖(いなわしろこ)へ、会津若松を経由して、R121で日光まで走りたくなったが、3月初旬の今、積雪が気になっていた。
そこで、日本道路交通情報センターに電話を入れて確認したところ、自動音声で、会津若松までのR49の路面に積雪や凍結がないことを確認できた。しかしながら、会津若松から日光へ南下するR121についての情報はなかった。今は8時過ぎ、車中泊したこの道の駅「国見あつかしの郷」は9時オープンのため情報を聞くことができず、次の道の駅で尋ねることとし、出発した。
福島市街に入った。以前、バイクで、裏磐梯から太平洋岸の相馬に走ったことがある。その時、福島の市街地は素通りだったため、今回はせめて、JR福島駅くらいは見ておきたいと思い、駅周辺を走った。本来ならば、駅前の駐車場に「ジル」を停めて、駅ビルやアーケード街があれば、そこを歩いて、福島らしさを感じるのが良いのだろう。また来なくては。
阿武隈川を渡り、R4で南下を続けた。やがて、道の駅「安達」に立ち寄り、R121の積雪情報を尋ねたが、残念ながら、その情報は無かった。それでも、猪苗代湖から会津若松まで行ってみて、R121の積雪が確認されれば、残念だが、R4に戻ることに決めた。
かなり行き当たりばったりだが、対応力のある「キャンピングカーの旅」なので、それもいい。
福島県は酒どころであり、道の駅の駅舎には多くの酒や焼酎が並んでいた。焼酎好きの息子の土産にと、ショップの人に教えてもらいながら選んだのは、世界1になったバルタン星人のパッケージの麦焼酎で、それを購入した。後日、息子から、あれは旨かったと言っていた。
日本の「酒どころ」をネットで調べたところ、兵庫、京都、新潟、秋田、山形、広島、福島の順だった。これは酒好きな人による投票結果なので、好きな酒や旨い酒といった主観的な結果なのだろう。生産量や酒蔵の数のデータとは異なるのかもしれないが、却って、本物の順序かもしれない。
R4を走っていると、二本松城址(霞ケ城址)のある「霞ヶ城公園」の標識があり、城や城址が好きな私なので、立ち寄った。
「ジル」を停めた駐車場の横には「二本松少年隊群像」があり、そのあたりから見上げる箕輪門(みのわもん)は美しく、登城のスタートポイントなのだろう。
そうなると、天守台跡まで登らない訳にはいかない。しかし、そこまでの案内マップが見当たらず、そこにいた30代くらいの女性に尋ねると、スマホを取り出し、慣れた操作で素早くマップを出して応えてくれた。その彼女も今から行くようで、一緒に登城することになった。彼女は静岡県伊東の出身で、今日は、友人と昼食を取るそうだ。私の旅についての話をしながら天守台跡に向かっている途中、彼女は、その時間になったようで、麓に下って行った。
本丸跡まで登り、その北の角に位置する天守台跡に登った。そこからは雄大な景色が広がっており、正面に安達太良山(あだたらやま)を眺められるも、残念ながら、山頂付近は雲で隠れていた。
近くにいた年配の男性に話し掛けると、毎日ここまで登ってくるとのことで、スマホで、雲のない安達太良山の写真を見せてくれた。
「キャンピングカーの旅」の途中で立ち寄ったことを伝えると彼は、中で寝られるようにしたワゴン車で妻と、山陰や山陽を旅したことがあるとのことで、車中泊旅の経験者との会話は面白かった。
二本松市街を抜けてR4に戻り、旧越後街道の県道からR121に入り、かなりの勾配の坂道を走り、苗代湖に向かった。峠に差し掛かる手前に、雪で上れない事に対する注記喚起の看板があり、降雪時のたいへんさを想像した。路肩には除雪された雪が次第に増え、天気は曇ってきた。
少し不安になった頃、猪苗代湖が見えた。曇天の下、強い風が吹き始め、波頭が立っている湖面は冬の様相だった。その先に、湖岸に面した上戸浜の駐車場があり、ちょうど昼時でもあり、「ジル」を停めて、カップ麺に缶詰、そしてバナナの軽い昼食を取った。
昼食後、道の駅「猪苗代」に向かっている時、湖側に立っていた「天神浜オートキャンプ場」の看板が目に入った。瞬間的に思い出せず、あたりの景観が手伝って、東日本大震災後のGWで、キャンプツーリングの際に泊った湖畔のキャンプ場だったことを思い出した。
その先の信号でUターンして、看板が立っている入口から入ると直ぐに、松林の中の道になった。道の上の枝に注意しながら進み、見えてきたのはキャンプ場の管理小屋で、一気に懐かしさがこみ上げてきた。小屋の前に「ジル」を停めた。
キャンプの受付場所の管理人に10年前の話をしたところ、当時、キャンプは下火の状況で、彼がひとりでやっていた。彼は私のことを思い出せなかったが、お互いに、その頃の話になった。
湖岸まで行ってみた。強い風が吹いており、寒々とした景色が広がっていた。磐梯山は雲に隠れて見えない。10年前、そのあたりに屋根のあるBBQ会場があり、その中でテントを張って、夜中の雨に備えたことを思い出した。
もう一度、管理小屋まで行って、R121の路面の状況を尋ねた。例年この時期は、まだ雪が積もっているとのこと。「ジル」にはチェーンを積んでおらず、且つ4WD仕様でないため、無理な気がしてきた。
「縁がありましたらまた来ますね」と言って、その場を後にした。
道の駅「猪苗代」に到着。新しくて広い道の駅で、駐車している車の数も多かった。
観光案内のコーナーがあり、先ずは会津若松までの下りの道路の路面状況を確認したところ、全く問題ないとの回答だった。次に、R121で日光へ南下する際の路面の状況を訊いたら、標高が高くなり、積雪の多い場所であること、間もなく夕方になり、明朝は気温が下がること、上り下りやカーブが多いので、ノーマルタイヤでは危ないと説明され、彼女の説明に納得し、R4に戻ることに決めた。
会津若松に向かう長い坂道を下りながら思ったのは、自宅には、以前に乗っていたエルグランド用のチェーンがあったので、この旅が終わってから、サイズが合うのかどうか確認して、使えそうならば、秋から春に掛けての旅には、チェーンを積むことに決めた。忘れないように、「旅の準備リスト」に追加しておこう。
もうひとつ思い出したのは、会津若松は、定年退職した勤務先の同僚の出身地だったこと。この旅が終わってから彼に、メールを入れることにした。
会津若松の市街地に入った。先ずは、会津若松城(鶴ヶ城)に行ってみることにした。