悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)
■3月4日(11日目):三陸 ⇒ 陸前高田(岩手県)
【この日の概要】 旅の折り返しの初日、道の駅「三陸」を出発して、リアス線の「三陸駅」でディーゼルカーの写真を撮り、「恋し浜駅」でホタテ貝の絵馬に驚き、「大船渡市街」の震災の復興状況に感心した。「碁石海岸(ごいしかいがん)」の海食崖の幾つもの絶景を眺め、道の駅「高田松原」の津波伝承館を見た後、あの「奇跡の一本松」を見た。
【この日のポイント】 「碁石海岸」の海食崖の絶景は「すばらしい」の一言に尽きる。いつまでも眺めていたい風景だった。
【本文】 6時に起床。昨夜は10時半に寝てしまったので、十分過ぎる睡眠時間だ。今朝も晴れていて気持ちがいいが、ちょっと寒い。
ホットコーヒーを飲みながら朝食の準備を進め、缶詰のさんまの蒲焼を挟んだ食パンを食べた。ホットサンドメーカーがあるならば、卵焼きの上にさんまの蒲焼を載せて、焼いて・・・、こんがりと焼けたホットな味を想像すると、この旅の最中に購入したくなった。
お世話になった道の駅を後にして、坂道を下ると海が見え始めた。その先の「三陸町観光センター」が駅舎になっている三陸鉄道リアス線の三陸駅に立ち寄った。
駅舎から線路下の通路を潜って、階段を上ってホームに出ると、朝の静かな「越喜来(おきらい)湾」を見渡すことができた。ちょうど入線してきたディーゼルカーの写真を撮った。オリジナルデザインの車両だ。
今は、地方鉄道のかなり車両が美少女アニメのラッピングデザインを採用しているが、私はオリジナルデザインの方が好みだ。ラッピングで鉄道路線を盛り上げたい気持ちは分かるが、走る車両を落ち着いた気持ちで見ることができないからだ。朝ドラの「あまちゃん」のオープニングで走るディーゼルカーのデザイン、あれがオリジナルで、リアス線らしくていい。
その後は、観光センターの年配の女性との会話になった。興味を持った内容は、ここから東京までの所要時間の内、ここから新幹線に乗る仙台までの時間の方が長いとのこと。リアス線のディーゼルカーはのんびり走る車両だ。
また来ますねと言って、ハンドルを右に切って、南下を開始した。
その直ぐ先の高台に、越喜来湾を一望できる「未音埼(みねざき)湾展望台」があり、「ジル」を停めた。湾の入口は少しすぼまっているようで、そのことが津波の高さにどう影響したのか・・・、そんなことを思いながら、越喜来湾の写真を撮った。
次は、県道から外れて、無人駅の「恋し浜駅」に立ち寄った。
道路から鉄製のかなり長い階段を上るとホームに出た。右を見ても、左を見ても、トンネルだ。
ホームには小さな待合室があった。その中には、願い事が書かれたホタテの貝殻の絵馬が、数多く吊るされており、“恋の成就を祈る”聖地なのだろう。
以前は「小石浜駅」だったが、地元で直販されているホタテのブランドの「恋し浜」にちなんで、駅名を「恋し浜駅」に変更したとのこと。
セカンドライフの私にはあまり関係のない場所のようだが、今の日本の少子化問題を考えると、大いに期待したい場所だ。ロマンチックさが殆どないこの思考に、歳を取った自分を感じた。
長い階段を下ると、「ジル」の向こうに、テレビ番組で取り上げられた「恋し浜ホタテデッキ」が見えた。長い階段を上るときは気が付かなかったのは、開店していなかったためだろう。
デッキには入ることができたので、ベンチに座り、左右の山の奥に見える越喜来湾を眺め、いつ食べたか覚えていないホタテの味を思い出しながら、セルフタイマーで自撮り写真を撮った。
そこからは山間を走り、トンネルを抜けると綾里湾(りょうりわん)が見えた。
東日本大震災の津波では、局所的に40.1mの遡上高が観測され、過去に日本で記録された中では最大の津波とのことだ。なお、綾里湾の最奥の白浜地区では、過去の津波の教訓が生かされ、最も遡上した津波だったにも拘わらず、家屋の浸水や人的被害はなかったそうだ。
再び山間を走り抜けると、大船渡湾が一気に広がった。
突然、海側には7〜8mはありそうな高さの防潮堤が見え始め、近づくと、圧倒されそうな高さだった。
防潮堤の開いている場所から海側に出た。そこはまだ何も建っていない広いスペースで、将来は、港湾施設や貨物の保管場所になるのだろう。
そこからは大船渡湾を隔てた対岸の大船渡の街並みが見えた。北に目を向けると、巨大な生き物のような太平洋セメントの工場が立ち並んでいた。
その工場群の横を走り、盛川(さかりがわ)を渡って、盛駅(さかりえき)に立ち寄ると、二つの駅舎があった。
小さな駅舎はリアス線のもので、ここから久慈までつながるリアス線の起点だ。一方の大きな駅舎はJRだが、東日本大震災の被害が大きく、線路の復活を断念して、専用の舗装道路を整備して、そこをBRT(Bus Rapid Transit)が走っている。所々は公道を走るようだ。淋しいやら、最善策やら分からないが、たとえば、JRに入社して、バスの運転手になる社員は残念なのだろう。
ホームに入って見渡すと、リアス線には2台のディーゼルカーが並んでいた。
盛駅周辺の店は閉まっていて、歩いている人が見当たらない寂しい街並みだった。南側に向かうと、津波の被災地が復興した新しいエリアが出現し、賑わっていた。
そこに、コインランドリーの看板を見掛けたので、駐車場に入った。洗濯物が溜まっていて、あと何日間の旅になるのか分からないので、このあたりで、洗濯しておくのが無難だと考えた。
洗濯中は、新しい商業エリアを歩いた。ホームセンター、スーパー、飲食店等が軒を連ねていて、その先に「大船渡市防災観光センター」があったので入ってみた。
そこには、ボランティア風の年上の男性がいたので、これから行く予定の「穴通磯(あなとおしいそ)」について尋ねたところ、迫力のある風景だと教えてくれた。その後は、震災や津波の話になり、彼は実際に津波を見ており、以前のチリ地震の際の津波も知っていたが、全くそんなレベルでなく、この世の終わりのような感じがしたとのことだった。
その後は、センターの2Fにある伝承館で、この大船渡に押し寄せる津波、その後の様子、そして復興に向けた活動がパネルになっていて、それらを見て回った。その時、先ほどの男性が話してくれた“目の前で家が流される光景”の写真もあり、目が潤んだ。
この後、センターの山側にあるBRTの大船渡駅を見て回り、コインランドリーに戻ると、乾燥が終わっていた。温かな洗濯物を取り出して、店内で畳んで、「ジル」の棚に納めた。これで少なくとも5間日は、洗濯は不要だ。
この旅で見た「大船渡湾の津波対策」は、湾口防波堤、湾をぐるりと囲む防潮堤、それに学校や民家の高台移転だったが、全てを見てはいないが、まだ工事は続いているようだ。完璧に仕上がって欲しいと思いながら、大船渡の南側の末崎半島(まっさきはんとう)に向かった。
半島の中央の東側は碁石海岸(ごいしかいがん)と呼ばれる風光明媚な観光地だ。その景勝地のひとつの「穴通磯(あなとおしいそ)」があり、その駐車場に「ジル」を停めた。