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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)

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■3月3日(10日目):登米 ⇒ 三陸(岩手県大船渡市)


【この日の概要】 復興の工事中だった「大谷海岸」に立ち寄った後は、「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」を訪れ、その先の「潮吹岩」のある「岩井崎」を歩いた。「港町ブルース」を口ずさみながら到着したのは「気仙沼」。停泊中の漁船の大きさに驚いた。気仙沼の正面の「大島」には、復興のシンボル事業として架けられた橋で渡り、最高峰の「亀山」の頂上からの360度広がる最高の景色を堪能した。その後は、三陸沿岸道路を走り、道の駅「さんりく」にたどり着いた。

【この日のポイント】 被災した「気仙沼向洋高校」の校舎は震災遺構になっており、その見学の最後に、食い入るように見たのは「黒い水」、NHKの番組のビデオだった。知らず知らずの内に自然を汚し、その結果、人の身に害を及ぼす存在になっていた物質が、津波の被害を大きくし、その後も人に害を及ぼすことになっていたことを初めて知った。

【本文】 5時過ぎにトイレに行きたくなり、目が覚めた。その後は布団の中でうつらうつら。道の駅の隣にある登米市東和総合支所の朝の放送が6時に流れたのをきっかけに起床した。
 私の住んでいる地域では7時なのだが、ここは1時間も早いのは何故かと思いながら、「ジル」の外に出ると、寒かった。「ジル」の中は3℃だったが、駐車場の水溜りは薄い氷が張っていた。
 道の駅の駐車場に入って来た人がいたので、太平洋の沿岸部までのR346で凍結している区間や部分の有無を伺ったところ、念のため、少し時間が経ってからの出発が無難とのアドバイスを頂いた。
 今日は晴れているので、たとえ凍結が有っても次第に溶けるだろうと思いながら、駐車場内の大きなマップを見ながら、この周辺やこれから先のルートを頭に入れた。

 朝食は肉まん・ピザまん・コーヒー(ドリップ)・玉子焼き、ロードマップを見ながら、ゆっくりと食べた。そういえば、ネット検索で知った登米市の郷土料理「はっと汁」を出来れば今日、どこかで食べたいと思っていたが、道の駅の開館時間は9時。
 今朝も、いつもながらの“道の駅が閉店してから到着&開店する前の出発”になってしまいそうで、「はっと汁」を食べるチャンスがないのではと思いながら、R346で沿岸部を目指した。

 低い山間の道には気になるような路面凍結は無く、ホッとしながらも注意は怠らず走っていると、いきなり「岩手県」の標識が目に入った。一瞬驚き、路肩のスペースに「ジル」を停めて、ロードマップで確認したところ約1kmほどだが、岩手県の南部には、盲腸のように宮城県側に飛び出た部分があり、そこを横切る様で、少々大袈裟だが、人生初の「岩手県入り」になった。
 これで全都道府県を制覇したことになるのだが、心して岩手県に入った訳でなく、気付いたら入っていたというのは“なんともはや”って感じだ。
 そうなると面白いことに、太平洋の沿岸部を更に北上し、岩手県にしっかりと入りたくなった。
 改めて、健康で時間がたっぷりとある今だからこそ、できる自由な旅、それもキャンピングカーという手段を持っていて、今の自分自身が置かれた状況を120%活かさなくてはと、そんな欲が出てしまった。

 沿岸部に出て、再びR45に合流。太平洋が見えないと思いながら走っていると、道の駅「大谷(おおや)海岸」の看板があり、そこに立ち寄った。仮店舗での営業だったが、この道の駅は、新設の防潮堤とR45の嵩上げを一体的に整備するため、移転工事が進んでいる。リニューアルオープンは間もなくだろう。
 以前の道の駅は、JR気仙沼線の大谷海岸駅を併設していたとのことだが、今は、線路を敷設せず、BRT(Bus Rapid Transitの略で、バスによる輸送システム)の暫定的な大谷海岸駅があり、嵩上げ工事が完了する頃は、最終的な駅になるようだ。そして、防潮堤から海岸への階段状の法面もまだ工事中で、美しい砂浜は見渡せないが、工事が完了した後には、元の砂浜が姿を見せることだろう。

 更に北上を続けた。
 「岩井崎の潮吹岩」の看板に目が留まり、右折して入っていった。岩井崎とは、気仙沼湾の入口の岬だ。その手前に「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」があったので、立ち寄ることにした。
 被災した気仙沼向洋高校の校舎がそのまま震災遺構になっており、その横に伝承館があった。
 入館してからは先ず映像シアターに入り、気仙沼の震災時および直後の映像を見た。
 この旅で、実際の復興状況や遺構を見てきた今、その時の人が取った思いや行動は、自然に対する畏怖とそれに対して何もできないというやるせない気持ちだったのだろうと思えた。
 映像シアターの後は、津波で被災した校舎を見て回った。破壊された教室、流されてきた自動車が転がっている3階の教室、4階の床から25cmまで津波が到達した痕跡を見た。後で、外から、その到達地点を見たのだが、信じられない高さだった。北校舎の屋上に出ると、南校舎を襲う津波の写真があり、その場で、その状況を想像すると背筋が凍てしまった。

 全てを見終わった後、伝承館の人から、もし良かったら特別展として放映している「黒い水(NHKの番組)」を勧められ、見始めると、放映内容に吸い込まれ、確か40分くらいだったと思うが、最後まで見てしまった。
 この「黒い水」の正体は海中のヘドロ、重油、重金属で、通常の海水より10%も重い水で、衝撃レベルが2倍にもなる。また粘性も出てくるため、黒い水の中では歩きにくくなり、倒れてしまう。
 そして、死者の多くは溺死と考えられていたが、4マイクロメーターほどの細かな粒子が呼吸器官に入り、それが詰まっての窒息死も死因のひとつだったという。
 さらに、その細かな粒子は肺胞までたどり着くと、肺炎を引き起こすため、震災後、それを含む粉塵を吸ったことでも肺炎になる人も出た。この番組を見たことで色々なことを知ることができた。
 以上、2時間以上も掛けて、この遺構・伝承館を見学していた。

 津波が到達した高さに驚き、初めて知った「黒い水」の正体に愕然としながら伝承館を後に、少し先の岬の「岩井崎」に向かった。
 「ジル」を停めて先ず、看板の「岩井埼園地」のマップをデジカメで撮り、それを見ながら、潮吹岩が見える展望台に向かった。その途中には、ちょうど龍の姿に見える松の木が立っており、見るポイントを変えたり、高さを変えたりしながら、最も龍の姿に見えるアングルで写真を撮った。
 それには「龍の松」という名前が付けられていて、津波が引いた後に、この1本の松が残っており、その姿はまるで海に向かって津波に立ち向かう龍のような姿だったことから、この名前が付いたという。それにしても偶然の産物か奇跡的なものかは分からないが、地鎮につながることを祈った。

 その少し先の展望台から「潮吹岩」を暫く見ていたが、ほんの少しの潮しか吹かず、その周囲の岩礁の異様な形の方に目が奪われた。そして、「岩井埼灯台」を回ると、「塩づくり体験館」があり、その裏で海水を煮詰めている女性がいたので、岩井崎や塩づくりのことを教えて頂いた。
 駐車場に戻り、「ジル」の中で、残り物の鮒の甘露煮をおかずに、カップ麺という簡単な昼食を取った。