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静岡のとみちゃん
静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)

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 この道の駅はオープンして間もないのだろう、その様子を取材しているようなTVカメラを担いだグループがいた。周りの人たちもどことなく、ざわざわしているように見え、駅舎内は多くの客で賑わっていた。
 混雑しているショップには入らず、入口付近の掲示板を見ていたところ、「東日本大震災・原子力災害伝承館」のポスターに目が留まり、その内容を読みながら「伝承」の部分に興味を持ち、インフォメーションコーナーで、そこへの行き方を教わった。
 ついでに、帰還困難区域について少し訊いたところ、道路の横に設置されている放射線量の測定値(マイクロシーベルト/時間)の表示ボードを教えてくれたが、R6を走っている時は気が付かなった。帰還困難区域ならではの“定量管理とその可視化”なのだろう。果たして、この10年間で、どの位の低下をしたのだろうか?

 道の駅からR6を後戻りして、再び「帰還困難区域」に入った。左折して海側に進んだところは除染が終わった土地のようで、その先に新しい立派な建築物が見えた。
 約5ヵ月前に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」は、パンフレットによると、“未曾有の複数災害を経験し復興への途を歩んできた福島の記録と記憶を、防災・減災の教訓として未来へつないでゆくことを目的に建立された”とのことだった。

 その入口から続くロビーは吹き抜けの明るい場所で、津波の被災地の写真や当時の新聞の一面がずらりと展示されていた。それらを見ていると、伝承館の有料エリアの見学時間になった。
 円筒形の試写室では地震・津波・原発事故の大きな映像が映し出され、怖さを覚える迫力だった。その後は試写室の外周の螺旋上のスロープを歩きながら2階に上がった。その壁には地震発生から震災、原発事故の発生とその後の処理や復興までの経過が写真と共に記された年表が載っていた。
 2階のブースでは先ず、地震・津波・原発事故が時系列にたどられており、様々な資料・証言・事故調査の記録から、複合災害の始まりの詳細が説明されていた。そして震災に関する展示物が並べられていた。それらをじっくりと、かなりの時間を掛けながら見て、説明を読んだ(写真撮影は残念ながら禁止されていた)。
 有料エリアの先は、震災前後の地域の空撮写真が壁に掲げられており、その変わり果てた姿は、あまりにも悲惨だった。そして1階に下りて、ロビーに展示されている写真や新聞の一面をもう一度、じっくりと見て回った。
 見学はこれで終わりだが、ここでは、被災者による「語り部講和」が行われている。しかし、時間が合わず、残念ながら拝聴できなかった。

 10年前にバイクで回りながら実際に見た被災地の忘れられない記憶と、この伝承館で見た10年間の時の流れから、10年という歳月が長いのか短いのか分からないが、震災の復興は、物理的にも精神的にも完了していないことが分かった。
 報道番組によると、原発の災害処理にはまだまだ時間が掛かるとのことだった。原発事故は、国として二度と繰り返してはならないはずだが、日本は原発を撤廃しないようだ。ドイツは廃止することが決まったのに、日本はピンチをチャンスに変えられない。
 以上は、表面的な感想かもしれないが、そう言い切るのは簡単だ。しかし実際のところは、原発以外で必要な電力を供給するには、その主力の火力発電は地球温暖化の原因にもなっており、現実的な解決方法を技術開発も含めて、時間と資金を掛けながら、国家として模索してゆくのだろう。これが今の日本の現実だと思っている。頑張れ日本!

 伝承館を出た後、その正面の「双葉町産業交流センター」にも入った。その1Fのショップでは地場品が販売されていた。
 センターの屋上に上がり、伝承館の周囲を眺めた。除染が終わった土地の近くには表土が入った黒い袋が多々並んでいた。避難指示が解除された場所にも、この黒い袋が残っていることを知った。運び先も含めて、その後の処理方法を知らないことに気付い。

 原発事故後の10年をおおよそ理解したが、その分、まだまだ知らないことが多々あることに気付いた。そんなことを思いながら、R6に戻り、北上を続けた。暫く走り、道の駅「南相馬」に到着。今夜の車中泊の場所だ。
 毎回そうだが、道の駅の駐車場内のどこに「ジル」を停めるのがベストなのか、迷いながら探した。たとえば、エンジンを止めない大型トラックから離れて、往来のある道路からも離れ、トイレに近いポイントがベストだ。
 「ジル」の中で夕食を食べた後、隣のスペースに駐車したクルマが暖房のためかエンジンが掛かっており、それが少々気になり始めた。エンジンを止めて欲しいと注意する勇気はなく、それならば「ジル」を別の駐車スペースに移動させようかと思った時に、その車が去って行き、静かな夜を迎えられた。

 道の駅の駐車場内のルール(or マナー)として、「駐車中はエンジンを止めること」と書かれたポスターが貼られている。しかし、トラックのドライバーはそれに気が付かない筈はないと思うのだが、殆ど守られていないのが現状だ。何か理由があるのだろうか。
 車中泊が多くなっている昨今、先ずは、このポスターを乗用車の駐車スペースにも貼って欲しい。
 いずれにしても、ドライバーは駐車する際のマナーを守って欲しいと切に思う。
 マナー違反のドライバーには、誰もが注意するのが普通になればいいのだが・・・、今はまだ、注意するとトラブルになる可能性がありそうで、躊躇してしまう。悩ましい問題だ。

 朝日を浴びながら波間で楽しむサーファーを見ながら今日が始まり、その後は海岸美を堪能し、灯台にも登った。午後は打って変わって、初めて「帰還困難区域」を走り抜け、「東日本大震災・原子力災害伝承館」では津波の恐ろしさを改めて学び、「東日本大震災」直後に、この地に来て、実際に見た被災地を思い出し、かなり精神的な疲れを覚えた。
 震災直後のGWで実際に見た被災地や、今日、伝承館で見た写真や映像には、もがき苦しんで死んでいった人の姿はなく、それを直接見た被災者の方々の気持ちを推し量るのは到底できないと思った。
【本日の走行距離】158km