悠々日和キャンピングカーの旅:⑨東北太平洋岸(茨城~岩手)
エレベーターが上昇するに連れ、フェリーターミナル全体が見えてくる。展望台に到着した瞬間、地上55mとは思えない高度からの大パノラマが目の前に広がっていた。素晴らしい展望だ。
先ずは景色をじっくりと見渡した。昨夜泊った海浜公園の駐車場、その海側のサンビーチ、手前のマリーナ、そしてフェリーターミナルの駐車場を埋め尽くすトレーラー、挙げればきりはないが、大洗の素晴らしい景色に満足した。
そしてもう一度、展望階を歩き回りながら、シャッターを押し続けた。その時に気付いたのは、展望階のベンチに座り、景色を見ずに、スマホを見続ける人が数人、何か間違っているような気がした。そうなると、また彼らを見てしまうのだが、いつまでもスマホを覗いていた。
私は10年前にパラモーター(モーターパラグライダー)を始めて、つい先日、1000回目のフライトを達成した。風を読み、地形を読み、自己判断でテイクオフの可否判断ができるスキルを持っている。この展望階からの景色から、サンビーチは快適にフライトができる海岸であり、いつか実現したいと思った。戻ってきたい場所だ。
展望階の直下の2Fには「ガルパン喫茶Panzer Vor(パンツァー・フォー)」があった。ここは、ガルパンファンが巡礼する聖地なのだろう。まだ営業時間ではなかったが、中に入らせて頂き、店内の写真を撮った。
ガルパンのアニメ放送を毎週見ていた私も、ガルパンのファンのひとりなのだろうが、どちらかと言えば、アニメのキャラクターが対象ではなく、彼女らが乗る戦車やその走行シーンに興味を持っている。
株式会社タカラトミーの「WORLD TANK MUSEUM(ワールド タンク ミュージアム)」という食玩をご存じだろうか。約1/144スケールの塗装済みかなり精緻な戦車の完成モデルがひとつ入っていて、試しにひとつ買ったところ、気に入ってしまった。自宅には、30台ほどの戦車が並んでいる。私の密かなコレクションだ。
マリンタワーの次は「大洗磯前神社」に向かった。海岸に近い岩礁に降臨した神々を祀る神社だ。
その高さ15.6mのかなり大きな「一の鳥居」を正面から見たくて、海沿いのメイン通りから路地に入り、少し走ると、鳥居の前に出た。ちょうど赤信号で停止したので、フロントガラス越に写真を撮った。
一の鳥居を潜り、大洗山の坂道を上り、神社の駐車場に「ジル」を停めた。大型バイクが何台も停まっていたので、ライダーにもご利益がある神社なのかもしれない。
境内を歩くと直ぐに本殿の前に出た。旅の安全を祈願し振り返ると、海側に下る階段の手前に建つ小さな鳥居越しに、海と空が広がっていた。そこを下ると、かなり大きな「二の鳥居」があり、道を渡ったその先の海の中の岩礁の上に「神磯の鳥居」が建っていた。
防波堤から見える岩礁の「神磯の鳥居」に打ち寄せる波の情景は絵画にもなりそうな美しい景色のため、多くの観光客が写真を撮っていた。今日の海は穏やかだが、荒れた日は降臨した神々は、さぞたいへんなのではと要らぬおせっかいを焼きながら、再び階段を上り本殿の前に戻った。
駐車場からこちらに向かって来る家族連れや男女のペアを見ると、やはり、ひとり旅は寂しくなる。それを紛らわせるのではなく、“楽しむ旅”に切り替えたいのだが・・・、旅を続けながら、それを探してみよう。
大洗からR51で、茨城県の県庁所在地の水戸に向かった。その途中で見たのは、ガルパンのキャラクターがラッピングされていた鹿島臨海鉄道の電車だった。
水戸と言えば、徳川御三家の水戸徳川家を思い出す。その第九代藩主斉昭(なりあき)、そして御三卿の一橋家を相続した七男慶喜(よしのぶ)は第十五代将軍で、つい最近まで放送されていた大河ドラマ「青天を衝け」の主要な登場人物だった。更に時を遡れば、黄門さんの水戸光圀公。その水戸を、私は初めて訪れた。
「水戸城址」や「弘道館」もあるが、やはり、斉昭が民のために作った「偕楽園」、日本三名園のひとつで、そこに向かうことにした。
市役所の前をかすめ、千波湖(せんばこ)の南岸を抜け、偕楽園の駐車場にたどり着いた。やけに多くのクルマが駐車しており、人通りも多い。その人の流れに付いて行き、JR常磐線を跨ぐ梅桜橋を渡り、吐玉泉(とぎょくせん)入口から偕楽園に入った。
孟宗竹林を抜けた先の広大な梅林はほぼ満開の状況で、さすが「梅の偕楽園」、ちょうど、その時期に訪れたのはラッキーだった。梅林のあちらこちらを散策し、幾つもの種類の梅の花を見て回った。
その先の見晴広場からは千波湖が見え、近景に梅、遠景に湖の構図が素晴らしく、多くの人がスマホやデジカメのシャッター切っていた。
好文亭(こうぶんてい)を見ながら吐玉泉入口に向かって下ると、高さ1mほどの白色の卵型のアートが幾つも、薄暗い木々の中に置かれていた。もし白い卵から何かが孵化しようものならば、一大事だ。そんなことを思いながら下っていった。
下り終えた所には大きな大理石でできた井筒があり、こんこんと清水が湧き出ていて、これが吐玉泉だ。この湧水は眼病に良いとのことで、すくった水で目を拭いた。これからは健康年齢の維持に心掛けたいと、セカンドライフをスタートさせた身なので、切にそう思った。
偕楽園を後に、那珂川の河口にある那珂湊漁港に向かった。
旨い魚でも買って昼食を、と考えていたが、キャンピングカーは乗用車より大きいためか、「おさかな市場」の海側の駐車場には入れず、少し離れた漁港の岸壁に駐車した。
そこから見えるおさかな市場はかなりの人混みの様で、「三密」が気になり行かず。「ジル」に積み込んでいたカップ麺と鰯と鮒の甘露煮で昼食を済ませた。
その後は海沿いの県道を北上した。
カーブを曲がると突然、目の前に大型船が現れた。それは海岸から近い場所を南下する自動車運搬船だった。次に、大型フェリーが目の前を通り過ぎ、北上して行った。海岸近くを進むため、船の速さが分かり、かなりの速度に驚いた。
ここは平磯海岸、海岸線が海にせり出していて、沖合は一気に深くなるのだろう。
この磯が続く海岸について少し調べたところ、白亜紀の地層が出現している「平磯海岸ジオサイト」だった。
通過した大型船の後を眺めていると、陸に近い場所で、大きくうねった荒波の中で、何やら飛ぶように動いているものがあった。それはカイトサーフィンで、高いうねりに乗った時はサーファーが見えるが、その後は、サーファーが消えてしまう。私の中では、心配と安堵が繰り返し起きた。
この平磯海岸の北側に広がる砂浜は阿字ヶ浦海水浴場、平磯海岸の「磯」から「砂浜」へ、突然に切り替わる様が印象的で、忘れられない風景になった。
この旅が終わって、気付いたことがあった。“「ジル」から下りて、ちょっと見る景色は止まって見え、立ち止まってじっくりと眺める景色は動いて見える”ことだ。