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殺人前交換の殺人

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 というように考えたりすると、そこに、
「さらに余計な考えが生まれてくることになり、マジックというのは、その余計な考えを最初から、排除することから始まるものだ」
 と言えるのではないだろうか。
 こんな辻褄合わせが、歪んだ感覚を生み出し、それがデジャブとして生まれてくるとするのであれば、大人になることで理解したはずのことでも、
「子供の頃に感じたことだったように思えてならない」
 と言えるのではないだろうか。
 ただ、子供の頃に感じた思いが、
「大人になっても忘れられないだろう」
 という思いだけは本当だった。
 まるで、トラウマとして残ったような衝撃的な記憶が、時々思い出される中で、思い出すうちに、
「まるでデジャブのようだ」
 と感じるようになる。
 ただ、初めてではなく、明らかに友達がけがをして、その時の血の臭いや、その現場の珍しさから、条件反射であるかのように、
「血を見たら、あの屋敷を思い出す」
 あるいは、
「あのような屋敷を見かければ、あの時の血の匂いがよみがえってくる」
 という感覚がこみあげてくるように思えてならないのだった。
 そんな思いを感じていると、それから少しして起こった殺人事件に、自分が絡んでいると言われ、
「急に自分が信じられない」
 という感覚に陥ってきたのだが、その証拠がどこから来るのか、分からないといってもいいだろう。
 その殺人事件は、あるマンションのエントランスで起こったことのようだ。深夜の出来事だったようで、最初に発見したのは、新聞配達の人だったようで、そのマンションでは、新聞配達、郵便配達の人だけは、オートロックの集合ポストのあるところだけ通れるような番号を知っていることになっていた。
 オートロックのマンションごとにやり方は違うだろう。
 例えば、
「オートロックを外さなくても、表から、郵便や新聞を放り込めるような、ただ入れるだけのポストを用意することで、一切警備に関係なく、投函できるというところもあるようだ」
 ということであるが、実際には、そういうわけにもいかないということで、時々問題があるのだった。
 というのも、
「郵便を取る側、つまり、実際のポストを使用する人にとっては、ちゃんと名前を書いておくのだが、反対側はおろそかになってしまう」
 だから、表からでは、誰の郵便物なのかが難しい場合があり、
「誤配」
 という問題が、時々あるようだった。
 それがなければ、防犯という意味では、完璧なことなのだが、誤配の問題があることから、マンションによっては、
「郵便、新聞配達の人には、集合ポストエリアまでだけの侵入を許す」
 という考えに立っているマンションも増えてきたようだ。
 それだけ、
「誤配」
 という問題は大きなことであり、今のように、
「個人情報保護」
 と呼ばれることが問題になってきているのであるから、当然のことながら、オートロックとの兼ね合いから、少しは、妥協するということも視野に入れなければいけないということになるのだった。
 それが分かってきて、問題のマンションでも、
「郵便と、新聞に関しては、共通で特定となる番号を教える」
 ということになったのだった。
 最近では、オートロックのマンションの需要が増えているという。
 なぜなら、自由にエントランスに入ることができれば、そこを住処のようにして、ホームレスが入ってくるからである。
 そこで段ボール住宅で過ごしながら、残飯のようなものを食べては、片付けもしない連中が増えて困っているという。
 特に、最近では、室内でタバコが吸えないので、ホームレスでなくとも、深夜など、マンションのエントランスに入り込み、好き勝手にタバコを吸って、吸い殻をそのまま、そのあたりに捨てる輩も多いだろう。
 そもそもタバコの問題は、3年近く前に、
「受動喫煙禁止」
 というような法律ができて、基本的には、
「室内で吸ってはいけない」
 ということになった。
 学校、病院、駅構内などの公共の施設では吸ってはいけないということはもちろんのこと、
「会社の事務所」、
「居酒屋」
「パチンコ屋」
 などと、喫煙者が我が者顔で吸っていた場所も禁止になるのだ。
 そもそも、学校や病院で吸えていたというのも、とんでもない話で、ほとんどモラルのある人は吸わなかった。
 というよりも、
「こんなに、どんどん吸える場所がなくなっていったのだったら。もう、タバコなんかやめちまえ」
 ということで、吸わなくなった人も多いことだろう。
「そのうちに、どこであっても吸えなくなるんだ」
 と思うと、そう思えて不自然ではない。
 特に、街中にある喫煙所は、
「世界的パンデミック」
 になる前は、喫煙所には、煙が籠るくらい、所せましと皆吸っていたではないか。
 駅のホームの喫煙所はひどいもので。朝のラッシュ時などは、
「喫煙所に入り切れない人が、表で堂々と吸っている」
 というような光景を何度見たことであろうか。
 それを駅員は注意しようともしない。
 自分たちが、
「タバコは喫煙所で吸ってください」
 といって、喫煙所を設けておきながら、それを守らない人を、注意勧告できないのであれば。
「最初から、喫煙ブースなど作らずに、すべて禁煙のままにしておけばいいんだ」
 と思う禁煙者は多いことだろう。
 ひどいのは、パチンコ屋や飲み屋などである。
 台の前でタバコを平気でふかしている人がいれば、自分の台が芳しくなかったりすると、その腹いせに、タバコの煙をわざと、まわりに蔓延させるかのような行動に出ようとするバカもいる。
 皆があからさまに嫌な顔をすると、
「なんだよ。ここではタバコは吸っていいんだぞ」
 といって、自分の権利を主張するのだ。
 他の場所で言えば、ただのバカでしかないのだが、パチンコ屋であれば、いくらバカな言い分であっても、
「間違ったことを言っているわけではない」
 ということで、どうしようもないといってもいいだろう。
 それを思うと、
「果たして、何が正しいというのか?」
 と考えさせられるものだ。
 確かに、タバコというものは、今の時代では、
「罪悪」
 といってもいい。
 しかし、昭和の時代までは、
「副流煙の問題で、タバコを吸っている人間よりも、まわりにいる煙を吸わされている人間の健康の方が危うい」
 という研究結果が出たことで、
「禁煙」
「嫌煙権」
 という問題がクローズアップされ、やっと今になって、
「タバコの罪」
 というものを、全世界の人間が認識するようになってきたのだった。
 昭和の頃などは、
「タバコは、心の日曜日」
 などという標語があり、それが、野球場の広告としてベンチの上に書かれていたのを思い出す。
「そういえば、昭和の頃って、タバコは、国営だったんだよな?」
 ということを思い出すのだった。
 敦子は、そんな時代などは知らないが、話には聞いたことがあった。
「JR,NTT、日本たばこは、昭和の終わりまで、三公社と呼ばれていた国営だったんだよ」
 ということであった。
「というと?」
 と聞くと、
「昔は、国鉄、電電公社。専売公社」
 といって、国が経営している、
作品名:殺人前交換の殺人 作家名:森本晃次