小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

殺人前交換の殺人

INDEX|5ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 しかし、交響曲のように、
「作曲者の個性と、才能が溢れている」
 という思いにさせるものが、本当の音楽だと思っているのも、間違いではない。
 つまり、彼女は、
「私は作曲などという、クリエイティブなことが好きなんだ」
 と感じさせたのだ。
 楽器をやるのも、人の作った曲を演奏するためではなく、自分で曲を作るということに造詣が深かったからだった。
「人が作ったものを演奏するだけで、何が面白いというのだ」
 というくらいに、芸術に対しては、なぜかシビアに考えていた。
 だから、マンガや絵画、さらには小説にしても、人が作ったものを、
「ただ見ている」
 というだけでは我慢ができない。
 ある意味、貪欲だといってもいいのだろうが、そうでもなければ、
「やる意味がない」
 というくらいに感じているのだった。
 今から思えば、
「だからこそ、すぐに諦めていたのかも知れないな」
 と思っていた。
「クリエーターの仲間に入りたい」
 という気持ちは強いくせに、
「私にできるくらいなら、他の誰もができているんじゃないか?」
 というほど、できないことに対して、自虐的になっていた。
 いや、自虐的になることで、
「皆ができていないのだから、私ができないのも当たり前のことだ」
 と思うことで、自分への言い訳の門を広く設定することで、自分を楽な道にいざなおうと考えているのだろう。
 かと思えば、
「あれは、子供の頃の考えで、今は立派(?)な大人になったのだから、考え方もしっかりしているはずで、子供の頃の言い訳は、今を生かすためのものだったのではないだろうか?」
 と感じることで、自分を正当化できるような気がしていたのだった。
 だが、実際に大人になったからといって、すべてが万事うまくいくというわけではない。
 逆に、
「大人になったんだから、子供の頃の言い訳は通用しない」
 と思うことで、プレッシャーがハンパないといえるのではないだろうか?
 だから、
「大人には大人の世界がある」
 ということを言い訳にして、できない時のことを、プレッシャーのせいにすることで、いかに自分ができないことを正当化できるのかと考えてしまうのだろう。
「子供には子供の世界がある」
 と思っていた時は、ずっと上ばかりを見ていた。
 しかし、自分が大人になって、今度は下を見下ろすと、そこにあると思っていた、
「子供の世界」
 がそこにはなかったのだ。
「どこにあるのだろう?」
 と思って見ていると、見えてきたのは、今度も上だったのだ。
「それは、自分が、子供の頃に戻って、大人の自分が下を見ているという感覚を思い出したからで、子供の頃も、ひょっとすると、一瞬だけだったのかも知れないが、上を見ているつもりで。大人になったということを感じた自分になって、下を見ていたのかも知れない」
 と感じるのだった。
「子供と大人の違い、いわゆる境界線というのはどこにあるのだろう?」
 と考えた。
「むしろ、境界線などというものが、本当に存在するものなのだろうか?」
 とも思えたのだ。
 世の中というものと比較して考えると、実に面白いものだといえるだろう。
 特に、
「大人になっても思い出す」
 つまり、
「トラウマ」
 のようなことが思い出されるのだが、あれは、小学生のまだ、一年生か、二年生くらいの頃であったと思う。
 当時、田舎の方に住んでいたことで、まだ、家のまわりには、田んぼが結構残っていた。
 その田んぼの農作業をしている人たちを最初、
「わあ、農家とかやってるんだ」
 としか思っていなかった。
 その頃は、サラリーマンが一番偉くて、
「頭がよくなければなれない職業なんだ」
 などと思っていた。
 しかし、今ではそんなことはないのに、漠然と思っていたのは、自分の父親がサラリーマンだったからだろうか?
「職業に貴賎なし」
 などと言われるが、そんな言葉を知るわけもなく、母親が当時は、まだまわりの人に対して、どちらかというと、ライバル意識を抱いていたところがあったからではないかと想えた。
 だが、学校の友達で、農家の家の友達の家にいけば、まるで御殿のような屋敷だった。
 その屋敷において、何がすごいといって、ちょうど昔ながらの家、いかにも屋敷という雰囲気の家と、さらに、その隣に、さらに、豪邸のような家が建っていたのだ。それだけでもすごいのに、庭がさらに、野球ができるくらいの広さだった。
 もっとも、小学一年生くらいの子供の目線なので、少々の広さであっても、だだっ広く見えるのだろうが、それでも、豪邸が二軒あって、さらに原っぱのように、今であれば、
「無駄に広い」
 と思うような敷地が広がっているのだから、すごいものであろう。
 さらに、その奥には、蔵のようなものあり、その横には、倉庫があった。倉庫にはトラクターや車、しかも高級車のような大きな車が、三台も並んで置かれているのをみると、「想像を絶するほどの、大富豪なのだろう」
 ということは、子供にでも分かることであった。
 その日は、友達三人で、屋敷を使ってのかくれんぼをしようということになった。
 正直、この広い屋敷で、三人のかくれんぼは危険なものだとは思ったが、やはり、その考えは当たったようで、何度かの、かくれんぼの中において、事故が起こったのだ。
 倉庫のようなところが、ある意味一番隠れるにはちょうどいいところで、自分とは違うもう一人の友達が、倉庫の上の階に隠れようとして、倉庫の階段を上がろうとしたのだった。
 その階段は、昔の階段で、かなり急こう配の階段であった。子供に合わせて作ってあるわけではないので、後から思えば、その階段を見た時、
「俺なら、絶対に怖くて昇れないよな」
 という階段であった。
 その階段を昇って隠れようとした友達が、階段から滑ったのだった。
 そこは、元々、農作業用の倉庫である。土や砂というものが、埃として舞っている上に、さらに、階段が木造ということで、ただでさえ滑りやすくなっていた。
 そんな状態でまだ発育も未熟な子供が、きつい階段を昇ろうというのだ。できるはずがないだろう。
 案の定、脚を滑らせて、ひっくり返り、しかも下は砂地になっている。足をすりむいて、苦しそうに唸っているのだ。
 その様子を見た大人ですら、顔を真っ青にしていた。子供の自分たちが近づこうものなら、
「見るな」
 と、横からおじさんのような人の叱責が聞こえる。
 そうなると、完全にビビッてしまったのだった。
「どうすればいいんだ?」
 という若い男性の声が聞こえた。
「バカ、救急車を呼ぶのが先決だろう。お前、呼んでこい」
 といって、若い男性は走らされた。
 その間に、先に母屋に救急セットを取りに行った奥さんが、消毒液などの用意に、実に手際がよかったのだ。
「大丈夫かい?」
 と、友達をねぎらうことも忘れない。
 実に落ち着いているのだった。
 そのおじさんは、この家の当主に当たる人のようで、てきぱき指示をするのは当たり前のことだった。
 まわりの人は、もちろん、逆らえるはずもなく、黙々と動いている。
作品名:殺人前交換の殺人 作家名:森本晃次