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殺人前交換の殺人

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 特に子供がいる場合は、
「家族サービスなので、子供さえ楽しければそれでいい」
 と思うのだ。
 だが、自分の子供が他の子供に話しかけたり、仲良くなってしまうと、相手の親に気を遣わせるというだけではなく、自分たちも、
「関わりない」
 というわけにはいかない。
「うちの子供がお世話になりまして」
 くらいの挨拶があってしかるべきだろう。
 その挨拶すら、億劫に思う大人がたくさんいる。自分が嫌なのだから、相手も嫌なのだおると思うのは強引かも知れないが、無理もないことに違いはないだろう。
「パンデミック」
 のせいで、行動制限が数年間続き、温泉旅行など、最初の年は、まったくといっていいほど、いく人はいなかった。
「例年の一割程度くらいですかね?」
 と、宿の人がインタビューで答えていた。
 それにしても、そんなことは分かり切っていることなのに、わざわざインタビューに出てくるという神経を疑いたくなる。
「その分、たくさんお金がもらえるということなんだろうか?」
 と考えてしまう。
 そうでもなければ、ただでさえ、深刻なことをテレビに出て語るなど、嫌で嫌でしょうがないはずだ。
 本当であれば、
「そんなことをしている暇はない」
 ということで、ここから先、どのように自分の身の振り方を考えるかということが大切なのである。
 今では、すでに子供が小学生となっていた敦子先生は、パンデミックになる前は、家族で毎年のように、家族旅行に来ていた。
 旦那とも共稼ぎなので、毎年、両親が一緒ということはなかったが、必ず、どちらかは付き添って、何とか毎年の旅行というのは続けていけたのだった。
 ただ、子供とすれば、
「お父さんと旅行に来ても面白くない」
 と言っていた。
「どうしてなの?」
 と聞くと、
「お父さんとくると、疲れた疲れたしか言わないし、全然相手もしてくれない。しかも、僕が他の子供と一緒にいると、引き離そうとしてくるんだよ? ひどいだろう?」
 と息子は言った。
 正直、敦子は、そこまで、
「疲れた」
 というのを連発することはないが、子供が他の子と遊んでいたりすると、その様子をあまりいい顔をしてみていない。
 そのことを、子供も分かっているはずなのに、父親をディスるというのは、
「わざと言っているんだろうな」
 と感じさせるに十分だった。
 だが、どうも父親は自分よりも、もっと極端だった。
 母親はどちらかというと、少しヒステリックにいうので、言葉はきついが、無視しようと思えばできなくもない。
 それに比べて父親は、口数が少なく、その分、ズシリと重たい言葉なので、言葉尻がどこかとげがありそうに聞こえるのだった。
 そんな父親と違って母親も、考え方に変わりはなかった。
 男と女の違いこそあれ、ヒステリックになることもあるとはいえ、逆にヒステリックな方が、子供も分かっているようで、
「ああ、お母さん、いつもの発作だ」
 というくらいにしか思っていないことだろう。
 というのも、ヒステリックな状態には、子供の方としても、免疫ができやすいようで、分かりにくい方が、結構大変なのかも知れない。
 そのことは、自分が子供の頃を思い出せばわかることで、敦子は、女の子ではあったが、おてんばなところがあったのだ。
 女の子でも、どこか気が強い子はいるもので、まわりの男の子が慕ってくる方だった。
 小学生の頃、いつも遊んでいた子たちは、学年関係なく、年功序列もなく、皆ため口だった。
 そんな中でも、さすがに最上級生の人は女の子だったのだが、完全にその子が輪の中心になっていたのだ。
 年功序列ではないと言いながら、きっと本人には、
「私が一番のお姉さんなんだ」
 という自覚があったのだろう。
 しっかりとしたリーダーシップを発揮していたのだった。
 そんなお姉さんと一緒にいると、
「慕いたい」
 という気持ちと、
「慕われるって、どんな気持ちなんだろう?」
 という好奇心に近いものがあったのだ。
 それを考えていると、
「私が最上級生になったら、慕われたい」
 という気持ちと、
「私にその素質があるのだろうか?」
 という両面が含まれることに気づいたのだった。
 自分を主人公として見る目と、表から他人事のように見る目とが同じ瞬間、同じ人間の別の目線で存在しているということを考えると、どうすればいいのかを考えてしまうのだった。
 これは、
「自分には音楽の才能はない」
 と考えた時のことだったのを思い出した。
 小学三年生の時に、すでに思っていたのだが、その理由が、
「楽譜などのような難しいことを覚えなければいけない」
 ということが自分にはできないと思ったからだと感じていたが、それは、勘違いだということに気が付いた。
「楽譜を読むよりも、楽器を演奏することが致命的にできないんだ」
 という思いがあったからだった。
 というのも、
「左右で別々のことができないから、楽器はできないのだ」
 と思い込んでいたのだった。
 しかし、それが間違いであるということに気づいたのが、高校を卒業して、教育大に入学してすぐのことだった。
 一年生の、学校の教科が、専門的なものになる前の、一般教養の時というと、比較的スケジュールも楽だったので、そんな時期に、
「車の免許を取得しておこう」
 と思うようになったのだった。
 車の免許を取得した時、最初は、小学生の頃から感じていたことを思い出し、
「そういえば私は、左右で別々のことをするのが苦手だったんだ」
 ということを思い出し。
「ああ、これは致命的なことだわ」
 と思うことで、
「車の免許取得を諦めないといけないのではないか?」
 と感じるようになっていた。
 しかし、実際に時間が経つにつれ、車にどんどん乗ることにつれ、できるようになっていった。
「慣れというのは怖いものだ」
 と思ったが、そのおかげで無事に車の免許を取得することができたのだった。
「そっか、楽器もそうなんだけど、私は結構、諦めが早いのが、玉に瑕というのが、問題なのかも知れないな」
 と感じるのだった。
 だが、さすがに、その頃から、もう一度、
「音楽をやってみたい」
 とは思わなかった。
「これから、先生になるために、いっぱい忙しくなるのだから、いまさら音楽なんてやっているひまはない」
 と思うようになっていた。
 だが、音楽への未練はあったようで、子供が生まれてから、しばらくは忙しかったが、小学生の高学年になってきた頃、
「少し音楽に興味を持ってもいいのかも知れないわ」
 と思うようになっていた。
 音楽といっても、正直、賑やかなものは嫌いだった。
 といっても、交響曲のようなものは好きで、
「クラシック全般」
 がお気に入りだったのだ。
 ただ、他の音楽のジャンルはあまり好きになれず、
「流行りの曲」
 というのは、流れてくれば耳に入るという程度で、自分から意識して聴こうという気持ちにはならなかったのだ。
「静かなクラシックと、賑やかなクラシックとどっちが好き?」
 と聞かれると、答えに迷ってしまうのだった。
 例えば、一つの楽器に特化したような、静かなクラシックも、玄人っぽくて好きだった。
作品名:殺人前交換の殺人 作家名:森本晃次