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殺人前交換の殺人

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 マスゴミも、別にそこだけを問題にしているわけではなく、実は。
「一度感染した人は、軽症であっても、その後遺症に、長い間苦しめられる」
 という報道もしているのに、そこは気にしないのだ。
 だからと言って、
「マスゴミが悪くない」
 などということはない。
 切り取りされるような報道をしているのも悪いのだ。
「若者は重症化しない」
 という言葉だけが、独り歩きをするということは、皆が皆そこだけを強調しているということで、そう思わせるような報道を、どこのマスゴミもやっているということだ。
 これでは、信じてもらえないのも、当たり前のことである。
 しょせん、マスゴミも商売でやっているのであって、報道という企業理念も、利益がなければ、貫けるわけもなく、
「利益重視」
 という観点から、どうしても、印象に残る報道を前面に出すのは仕方のないことなのかも知れないが、国民の生命を危機にさらすのであれば、
「その罪は、果てしなく重い」
 と言われても仕方のないことであろう。
 そんな利益と、理念の狭間で、結果国民を間違った方にミスリードするのであれば、今回のパンデミックが、
「人災の要素がある」
 というのであれば、その責任の大部分は、マスゴミにあるであろう。
 それだけ、人心を煽るということが、大きな罪になるのかということを、大東亜戦争前からの歴史を真摯にとらえて、いい加減学習してもいいのではないだろうか?
 もっとも、一番悪いのは、そんなマスゴミに感化されたか、マスゴミのように、
「切り取って、自分勝手に判断する」
 ということである。
 マスゴミの場合は、ある程度取材などを重ねて、
「分かったうえでの行動」
 ということなので、本当は、確信犯という意味でもその罪は深いのだが、国民の中の一部の不心得者は、
「ちゃんと勉強もせず、ない知識で勝手に切り取るのであるから、その罪の重さのひどさは、一目瞭然だ」
 といってもいいだろう。
 そんな世の中になってしまい、蔓延は、何度も、
「感染爆発という波」
 を繰り返しながら、日本という国は、落としどころがうまくいかず。いまだに感染爆発を繰り返すという情けない国になっていたのだ。
 他の国などでは、政府が主導し、大統領や首相の権力で、何らかの形で、国民を導き、患者が減り、経済復興に向かっているというのに、この国は、そこまでのリーダーシップを発揮できるリーダーがいないのだ。
 いるとすれば、
「国民をないがしろにして、自分の支持率のことだけを考え、国税を、他国に垂れ流しているような無能なソーリだけである」
 と言えるだろう。
 本来であれば、
「今は、パンデミックや異常気象、さらには、物価上昇によって苦しんでいる人が国内にはたくさんいる」
 というものだ。
 その人たちを無視して、自分の海外での人気取りというだけのために、血税をばら撒くということは、
「国民を完全に無視して、舐めている」
 と思われても仕方がないだろう。
 そのことにやっと最近は国民も気づいたのか、最近になって、やっと支持率が下降線を描き、最近になって、
「不支持が支持を上回った」
 というところまで来ていたのだ。
 それでも、この期に及んで、そんなソーリの不人気の理由を、いろいろな情勢と結びつけて、
「気の毒な面もある」
 などといって、擁護の姿勢を見せている、バカなコメンテイターもいたりする。
 そもそも、最近の、
「昼のワイドショー」
 というのは、どうなっているというのか、出てくるのは、
「芸人ばかり」
 という状況ではないか?
 しかも、真摯に振る舞っているMCだって、よく見れば、芸人に他ならない。
 いくら、真摯にコメントしていたとしても、ちゃんと自分たちで取材をして持ってきた情報に基づいているわけではない。
 マスゴミや、大学の先生などであえば、取材もできるだろうが、いくら、情報番組に出ているからといって、放送局が企画したわけでもない取材を、芸人個人でできるはずもないというわけだ。
 視聴率アップを見込んでの芸人を扱っているということなのか、それとも、他に理由があるのか分からないが、少なくとも、自分が取材してきたわけでもない資料を基に、コメントされても、何らその信憑性について賛同する人がどれだけいるのだろう。
 それこそ、
「ただの風邪だ」
 という、極論と言ってもいい少数派でしかも、根拠のないコメントを信じてしまう、
「今回の一番の戦犯の一つといえる、一部の若年層と変わらないではないか」
 ということになるのではないだろうか。
 今の時代は、どうしても、少しは落ち着いてきたとはいえ、まだまだ市民生活を営んでいくうえで、パンデミックを無視することのできない世の中なので、大多数の人たちは、まだ、マスクを着用し、手洗いうがいを励行するという時代であった。
 そもそも、本来の姿が、それなのかも知れない。
「今までがあまりにも不衛生で、この姿が、これからの人類の本当の姿ではないだろうか?」
 というコメンテイターがいるが、それは間違いではないと思えるのだ。
 もし、今回のパンデミックが終息に近づいたとしても、その裏で、
「次期、パンデミック予備軍」
 と呼ばれる、伝染病が待機しているかも知れない。
 今の蔓延が収まったと同時に、今度はそっちが、台頭してくる。
 つまりは、
「今の世の中において、取りつく島のないほどに、さらには、想像以上に慌ただしく、世の中が動いて行っているということになるのだろう」
 ということである。
 そんな世の中になったことで、どうしても、
「おうち時間」
 というものが増えてきて、人込みを避けるためということで、どんどん変わってくるものもあった。
 まずは、
「道路が込み始めた」
 ということである。
 今までは、都心部の会社に通うのに、
「自家用車よりも、公共交通機関」
 ということであった。
 元々、自家用車で通勤しないのは、
「道がラッシュで混んでしまい、いつ着くか分からないということと、さらには、やっと着いても、駐車場の問題である。ガソリン代と、駐車場の値段とでは、会社から支給される交通費では賄えない」
 などという理由で、
「車を利用するよりも、定時に着く、公共交通機関がいい」
 ということで、少々の満員電車でも、何とか頑張って通勤していた。
 しかし、パンデミックが発生してからは、状況が一変した。
 まずは、
「ソーシャルディスタンス」
 つまりは、まず、
「満員電車など、もってのほか」
 ということになる。
 さらに、通勤するとしても、
「時差出勤」
 ということを国も求めているので、ある意味普段であれば、
「遅刻」
 という事態になったとしても、
「ソーシャルディスタンスのために、自家用車で通勤してきた」
 と言えば、遅刻も許されるということになるのであった。
 そう思えば、今までの満員電車などが、車通勤する人が増えたことで解消されるのはいいことなのかも知れない。
 ただ、一つ大きな問題として、
「地球温暖化」
 という観点からは、大いに後退しているということであり、そのあたりの問題を、政府は、
「分かっていない」
 のか、それとも、
作品名:殺人前交換の殺人 作家名:森本晃次