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殺人前交換の殺人

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「聞こえたお前がおかしいんだ」
 ということが決まっているかのように思えてならないのだった。
「警察というところは、どうしても、決めつけてしまうという、そんな人種に違いないんだろうな」
 と思えてならなかった。
「君はいくつ何だい?」
 と聞かれ、
「40歳前半ですけど」
 というと、
「なるほど、腕時計や、柱時計などが、古い家ではまだ普通にあった頃に育ったという感じかな?」
 といってきた。
 それは明らかに、
「年代差別」
 のように思えた。
 本人はそのつもりはなくとも、そう聞こえるのだった。
 ただ、
「警察というところは、しょせん、そういうところで、空気が読めないのは、犯罪者を相手にしなければいけないということで、しょうがないのかも知れない」
 と、完全に、
「警察あるある」
 という感覚になっていると思うのだった。
 その証拠に、取り調べなど、テレビドラマで見た時は、
「あんなのって、どうせテレビの演出でしかないよな」
 と、取り調べシーンで、容疑者、あるいは、重要参考人に対して、恫喝しているシーンは、
「フィクションであったり、演出なんだろうな」
 と思っていたが、どうも、そうでもないようだ。
 あくまでも人から聞いた話なので、信憑性はなかったが、
「いやいや、警察も白状させようとするのか、結構こっちがグサッとくるような言い方をしてきて、下手をすれば、こちらを挑発してきたりするものだよ」
 といっていたのを思い出した。
 だが、今回の、自分はただの第一発見者だというだけなのに、どうもあの高飛車な態度を見ていると、
「あの時の話は、まんざらウソというわけでもないな」
 と思えてくるのだった。
 実際に、そんなことを考えていると、警察が自分に何を聞きたいのかということを探ってみたくなった。
「まさかとは思うが、疑われたりはしていないよな」
 と感じたりもした。
 正直、いくら、
「第一発見者を疑え」
 とは、昔からミステリーなどの鉄則で言われてはいるが、本当にいきなり第一発見者を怪しいなどと思っているとすれば、それこそ、
「推理小説の読みすぎでは?」
 ということになる。
 昔の、学校の先生など、熱血先生などが多かったのも、
「テレビの熱血青春ドラマの見過ぎではないか」
 と言われていた時代があったではないか。
「熱血先生と呼ばれる人が恰好いい」
 という時代は、今は通用しない。
 先生が生徒を怖がる時代になり、生徒も苛めの問題が出てきても、
「先生は信用できない」
 ということだ。
 子供の頃に熱血先生のドラマを見て、その憧れから、先生になろうとしようとしても、
「もう時代はまったく違ってしまっていて、カルチャーショックどころの話ではない」
 ということになる。
 あれだけ、憧れてずっと勉強して、教師免許を取っても、出てきてみると、まったく違う時代が広がっていた。もっというと、
「自分の知らない時代。いわゆる、パラレルワールドに落ち込んでしまったのではないか?」
 という錯覚に陥ったといってもいいのではないだろうか?
 それを考えると、
「世の中というのは、思い込みで突っ走るのは、恐ろしい」
 と感じるのであった。
 刑事の聞き取りも、昔見た刑事ドラマの熱血性など一切なく、
「ただの役所仕事」
 を、こなしているだけではないか?
 と思うのだった。
 もっとも、最近では、世界的なパンデミックのせいで、どうしても、人流を抑制する政策がとられたり、
「ソーシャルディスタンス」
 などという、聞き慣れない言葉のせいで、行動範囲が抑制されることが多くなった。
 特に深夜の時間帯に人がウロウロすることがなくなり、さすがに最初の、
「緊急事態宣言」
 のように、
「必要最低限の店以外は、基本休業」
 というようなことはなくなったが、
「時短営業」
 を余儀なくされることで、夜の商売は、ほとんど成り立たなくなった。
 夜の8時や、9時に閉店ということであれば、8時や9時から本格的に客が入ってくる、いわゆる、
「水商売」
 などと言われるお店は、
「休業するしかない」
 ということになる。
 水商売関係は、
「開店時間を繰り上げる」
 ということで、その分、客が来てくれるわけではない。
 店によっては、
「夕食をどこかで食べた後の飲み事として利用するのだから、当然、利用時間は、いつもの混んでくる時間からになる」
 ということである。
 さらに、本当に蔓延している時期は、
「緊急事態宣言で人流を抑えても、なかなか感染爆発は抑えられない」
 ということで、医療が追いつかない事態に追い込まれるようになっていった。
「医療崩壊」
 などという言葉が叫ばれ、政府や自治体は、自分たち可愛さから、その言葉は口にしんないが、実際には、医療崩壊が起きていた。
「本来なら、入院を余儀なくされるべき人が、入院できず、ホテルなどで監禁生活、あるいは、自宅での自粛隔離などによって、患者の9割以上が、自宅待機などという、とんでもない状態になっていた」
 と言われるような異常事態であった。
 しかも、
「今回の伝染病は、それまで、軽症でも、いきなり急変することがある」
 と言われるような状態になったりしていた。
 それにより、
「急変したので、救急車を呼ぶ」
 ということで、救急車が来てくれたとしても、今度は、
「受け入れ病院がない」
 ということになる。
 そのため、救急車で応急手当は受けられるが、救急隊員は必死に病院を探すが、どこもない。その結果、
「患者は救急車の中で応急手当をうけながら、亡くなってしまう」
 という悲劇が繰り返されるのであった。
 確かに可哀そうであるが、元々は、
「こんな伝伝染病など怖くない」
 あるいは、
「風邪と一緒だ」
 などといって、伝染病を舐めて、マスクもしなかったり、距離も取らずに大声で叫んだりしているやつらが、病気を広めるのだ。
 しかも、そんな連中というのは、若年者に多く、やつらは、政府の、
「若年層は重症化しにくい」
 という、都合のいいところだけを切り取って、
「じゃあ、別にいいじゃあいか」
 と勝手に考えるのだ。
 しかし、家には、親や、祖母祖父などと言った、高齢者もいる人もいるだろう。それを考えずに、表で観戦してきたものを、家庭内感染させるという、
「これ以上の親不孝はない」
 という行動にでることになるのだ。
 つまりは、
「自分たちさえよければいい」
 ということになる。
 これはワクチンに対しても同じことがいえる。
 政府は、
「ワクチン接種は、共生で会ない」
 と言いながら、
「自分と大切な人を守るために、接種をお願いします」
 といっているのに、一部のワクチン反対論者の、
「副反応があり、後遺症が残る」
 と言われてるが、それにまんまと載せられたというのか、
「自分たちに都合のいい解釈をして、切り取りで解釈をした」
 と言えばいいのか、自分勝手な判断で、
「ワクチン接種をしない」
 という若者が増えているということである。
 これも、マスゴミにおいての、
「若者は重症化しない」
 という報道への切り取りがそういう問題を引き起こしてしまう。
作品名:殺人前交換の殺人 作家名:森本晃次