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二人二役

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 マスクを変えて、カメラを持っていなければ普通の一般人である。怪しく見えることもないだろう。
「桜井警部補、多分あの時の男ですよ」
 と言われると、桜井警部補も、そう見えてくるからどうしようもなかった。
「言われてみれば、そうとしか思えないな」
 と言えば、出口刑事は、したり顔で、
「まるで俺が見つけたんだ」
 と言わんばかりになっていた。
 しかし、桜井警部補は、少し怪訝な気持ちになった。
「こんなにいかにもという服装で、怪しそうに見えるのは、まるで、自分が犯人だと言わんばかりであり、却って、疑惑自体に信憑性を感じさせない」
 と、感じさせるのであった。
 だが、桜井警部補が感じたのはそれだけではなかった。
「確かにあの時の火事現場にいた不審者に似てはいるが」
 と感じ、それよりも、
「以前から知っている誰かに似ているような気がするんだよな」
 と考えると、どうしても、火事の現場においてのあの男のことが、気になってくるのだった。
「もう、せっかく他のことで思いついたのに、出口君が余計なことをいうので、思いついたことを忘れてしまいそうになるじゃないか?」
 と思い、苛立ちを感じるのだった。
 桜井警部補には、疑惑となる相手がいて、イメージできているのに思い出せない。
 それが、1年という期間が、男が殺されてからだとすると、その男を一年以上前にしか見たことがないということだ。
「それを、思い出せというのは、結構厳しいことではないだろうか?」
 ということを考えていた。
 一年間というものが、どれほどの期間だったのかということを、桜井警部補は思い出そうとしていた。
「そうか、一年前というと、ある新興宗教団体が絡んだ殺人事件があったあの時か」
 と、いうことを思い出すと、
「思ったより時間が経っているんだな」
 と最初に感じた。
 しかし、それは、思い出そうとすると思い出せたという感覚からなのかも知れない。実施に思い出してみると、
「まるで昨日のことのように思えてくる」
 というものであった。
 人間の錯覚というものは結構大きいような気がする。
 ある時期を思い出そうとすると、小学生の頃よりも中学時代の方が昔のように思えることがあった。
 それは、小学生の頃というのが、
「何も考えないでも生きてこれた時期」
 であり、中学時代というのが、
「思春期を抱えていて、何事も今の最初だったというイメージが残っているからに違い合い」
 ということを感じるからだった。
 そこには、
「思春期」
 という、
「人生においての節目」
 となる時期があって、しかもその思春期が、
「一度、自分の人生をリセットする時だ」
 という感覚を持っているからだった。
 それは、
「乳歯が永久歯に生え変わる段階」
 といってもいいかも知れない。
 歯が生え変わる時があるというのが分かっているので、歯がグラグラしてきても、怖くはない。
 それよりも、
「今が人生のやり直しだ」
 という意識が実はまったくなく、大人になるということが、むしろ、
「怖いことではないか?」
 と思うことで、思春期を必要以上に怖いものだと考えることで、それまでになかった性欲であったり、
「大人になるために越えなければいけない、ハードルのようなものがあったとするのであれば、それは、羞恥なことではないだろうか?」
 と思えるように感じ、
「思春期などなければいい」
 と思うことだろう。
 特に女性の場合は、初潮から始まって、毎月訪れる、
「女の子の日」
 など、なければいいと思っているに違いない。
 中学時代と所学生の頃が、
「逆だったような気がする」
 と考えるのは、小学生の頃が、
「今と似ていたのではないか?」
 と感じるからだ。
 ただ、小学生の頃は、桜井少年とすれば、暗黒の時代であり、本当は思い出したくない時代でもあった。
 というのは、
「勧善懲悪の気持ちはあったんだが、それをひけらかしていたために、まわりから、ひんしゅくを買っていた」
 と思っていた。
 ということは、
「本当の気持ちを正直に表に出すのが苦手だった」
 ということであり、そのために、高学年になってくると、今度は自分が苛められるようになっていたのだ。
 子供心に、
「正義の気持ちを持っているのに、どうして嫌われるんだ?」
 と思うのだが、実際には、
「自分の考えが間違っているのだろうか?」
 と考えたりもした。
 というのは、本当はたぶんであるが、
「勧善懲悪の俺の考え方が正しいんだ」
 という思いを持っている反面、
「自分にできるくらいのことは、他の人にできて当然のことなのだ」
 という両極端な気持ちを持っていたりする。
 正義の気持ちというのは、
「あくまでも、自分が中心である」
 という考えが基本にあるだけに、逆に、
「自分の考えていることが、まわりに認められなければ、自分の正当性や、考え方の信憑性に乏しくなってしまう」
 という考え方になるのだった。
 だから、上から目線で皆を見ている時もあれば、自分が底辺にいて、上を見つめている時がある。
 そして、どちらも、自分のいる場所には自分しかおらず、
「絶えず、上を見上げているか、下を見下ろしている」
 のであった。
「下から見上げる時というのは、その場所まではすぐに手が届くほど、近くに見えるのではないか」
 と思えるのに対し、
「上から見下ろすと、下が遠くに見えて、二階くらいの距離でも目がくらんで、眩暈がしてきそうになる」
 といってもいいだろう。
 上から見下ろす時に怖いと思うのは、見おろすその途中に、別の建物可何かの屋上があった。相手がこっちを見上げているのに、見おろしていると、その人がベランダの端の方に行くのを見ると、恐ろしくなるのだった。
 そう、相手が落っこちそうに見えるのだ。
 相手は、そんなに高くないところにいるのに、上から見ると、
「まるで、宙に浮いているかのように見える」
 というのが、恐怖の原因であった。
 恐怖というのが、錯覚に繋がるのだろうが、相手は怖がってもいないのに、自分だけが、背筋に汗を掻いて、自分の本当の高さよりも、さらに高いところにいるかのような錯覚に陥るのだった。
 そのことを考えると、恐ろしさで足が震え、
「自分が高所恐怖症になった原因は、明らかに、この感覚にあるのだ」
 と思うのだった。
 小学3年生の時、掃除で、窓ガラスの向こうを拭く時があって、皆が自分にやらせるのだが、恐ろしくて足がすくんでいると、中からカギを閉められ、出窓のようなところに取り残されてしまった。
 ものの5分程度だったにも関わらず。
「まるで1時間は閉じ込められた」
 かのようになり、
「唇が紫色に変色している」
 と言われたくらいだった。
 そんなことを思い出していると、その時の恐怖は、まるで昨日のことのように思い出されるのだった。だから、中学時代のことは、普通に時系列の距離であっても、一つであっても、
「まるで昨日のことのよう」
 という思いがあれば、その前後すべてに繋がっていることが、すべて昨日のことだと思うのだ。
 それが、一種の、
「トラウマのようなものだ」
 ということになるのだろう。
作品名:二人二役 作家名:森本晃次