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二人二役

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 と感じると、今までの喧騒としたイメージを抱いていた夕方が、急に寂しさと恐ろしさ、さらには、言い知れぬ不安に包まれていくのを感じたのだった。
 特に、夕方というのは、
「いろいろな意味で、多感な時間帯である」
 というイメージは持っていた。
「西日を感じていると、疲れとダルさを一緒に感じるようになり、脱力感からなのか、ムダな汗のようなものが滲んでくるのを感じる」
 と思っていた。 
 さらに、その西日が終わり、完全に日が暮れるまでというのは、風がピタッととまった時間、つまり。
「夕凪の時間帯」
 だということに気づく。
 夕凪の時間帯というのは、西日の影響が、明らかになくなってきた時間帯で、風が急に止む、そんな時間帯のことをいう。
 そして、その時間、太陽の恩恵をほとんどうけないくせに、若干の明るさが残っていることで、モノクロに見える時間があるのだという。
 そのモノクロになっていることを、人間は悲しいかな意識をしていないのだ。
「目の錯覚だ」
 と感じるのは、無理もないことを意識しようと強引に考えるからなのかも知れないが、そのせいからなのか、
「交通事故多発の時間帯だ」
 というではないか。
 そんな夕方の時間を、別の言い方をすれば、
「逢魔が時」
 と呼ばれるという。
「魔物と一番出会う可能性の高い時間帯だ」
 というわけである。
 真夜中の丑三つ時など、
「草木も眠る丑三つ時」
 ということで、一番出やすいと言われる時間がある。
 確かに、丑三つというのが、
「時計を方角に見立てたその時、午前二時前後だということを考えると、その方角が、北東である」
 ということが分かるのだ。
 北東の方角というのは、
「鬼門の方角」
 と言われ、人間にとって不吉な方角だと言われる。
 だからこそ、丑三つ時は、
「もっとも、幽霊や妖怪に出会う時間だ」
 ということになるのだ。
 ちなみに、妖怪というのは、人間以外の生き物が、怪物、怪しい存在に憑依したりしたものである、幽霊というものは、人間の魂が、この世で彷徨っているさまのことを言っているのであって、そもそも、元の状態が、人間なのか、それ以外かということで分けられるものであった。
 そんな夕方には、交通事故が多発している。
「モノクロに見えていて、そのことをさらに自覚していないからだ」
 ということであり、それだけで説明がつくのだろうが、さらに、そこに、
「逢魔が時」
 という発想を絡めることで、オカルト的な印象を深めることで、
「人間の感情や、不安や恐怖が、超自然的なことによって、左右されるというものではないだろうか?」
 と考えられるのかも知れない。
 そんなことを考えていると、奥さんが、平松アナから、少しずつ感情が離れてくるのを分かるようになってきて、今度は逆に、
「逢魔が時に似合う存在が、平松アナではないだろうか?」
 と感じるようになってきた。
 妖怪変化というわけではないが、今まで自分の気持ちに入り込んできた平松アナが、自分の感情によって、逃げられないようにしていたと自負していた奥さんにとって。立候補を証明したあの人は、
「私の中からすり抜けていくような存在になってしまったのではないだろうか?」
 と感じるようになったのであった。
 奥さんは知らなかったが、
「市長選立候補の表明」
 というものをした時点で、
「私たちのアイドル」
 というイメージを持っていた平松アナが、すり抜けていったことを感じると、
「あぁ、あの人はアイドルでも何でもなかったんだ」
 として、気持ちが離れていくことを感じていたのだった。
 アナウンサーというものを、アイドルと同じものだとして可視することは、主婦の毎日のストレスを解消してくれる存在として、ありがたいことであった。
 しかし、実際に、
「会うことのないだけで、相手からの一方的な発信」
 という状態を、どう感じるかというのが、大きな問題であったのだ。
 もどかしいと思うのか、それとも、
「ここまで、私の気持ちをイラつかせて」
 と思うのか、どちらにしても。ファンに、そう思わせたのだとすれば、アナウンサーの中でも、
「アイドル部門担当だ」
 ということであれば、一応の成果はあったということであろう。
 そもそも、アイドルというものがどういうものなのか、難しいところであった。
 昔のように、
「一人でアイドル」
 というよりも、不特定多数の中のアイドルがたくさんいるのが、今である。
 そもそも、
「選抜制」
 というのも、ある歌番組に、まだ無名の頃に、
「スポットライト」
 というイメージで出演が決まった時、プロデューサーから、
「こんなに大所帯では、放送できませんよ」
 ということで、人数を絞ることになったことで生まれた選抜総選挙などというやり方。
 これは、プロダクション側が最初からもくろんだものではなく、番組との間での問題が、このような形にしたというのは、面白いものであった。
 本人たちにとっては、たまったものではないのだろうが、ファンとして、そして、プロダクション側としては、
「新しい形のアイドル」
 として売り出していくことに成功した。
 本人たちは決して望んでいることではないだろうが、競い合うことで、レベルアップしていくグループになるというのは、
「ケガの功名だった」
 といってもいいのではないだろうか。
 そんなアイドルグループを、テレビでおだてたり、プロモーションの手伝いをするのもアナウンサーの仕事であっただろう。
 しかし、それだけではアナウンサーとしては不十分で、彼ら自身が、まるでアイドルのように振る舞うというのも、局側からすれば、戦略としては面白いものなのかも知れない。
 特に女子アナというのは、アイドル級のかわいらしさがあると、言われてきて、アナウンサーに、まるでアイドルのような愛称をつけて呼んだり、女子アナのおっかけなどが出てくると、もうアイドルも同然である。
 放送局内部には、女子アナのグッズが、局のゆるキャラのグッズと一緒に売られているのは、まさにアイドルであった。
「最近の女子アナは、一定の男性ファンがいないと生き残れない」
 などという話もあり、彼女たちもたまったものでもないかも知れない。
「なんといってもアナウンサーというのは、ただでさえ、狭き門だといえるのではないだろうか?」
 ということを分かっているだけに、
「せっかく、狭き門を潜り抜けてきたのに、その先に待っているのは、アイドル扱い? 私たちは、難しい試験を潜り抜け、大学に入学し、そして、トップクラスの成績で卒業しないと、いくらアイドル級といっても、アナウンサーにはなれないのよ」
 という、アイドルとの明らかな違いを、プライドとして持っていることであろう。
 そういう意味で、アイドルというものを、どうしても、
「少し下」
 という見方をしてしまうのはしょうがないことだろう。
 特に、アイドルが出ているバラエティ番組で見せる、あのバカさ加減には、いい加減、愛想が尽きるというものであった。
「あんなアイドルが出る。バラエティ番組の司会など、やりたくないわ」
 と女子アナは思っていることだろう。
作品名:二人二役 作家名:森本晃次