二人二役
「市長を辞めて、アナウンサーに戻りたいと思うようになったのは、副総理から、国政は君には早いと言われる前だったのか後だったのか、俺にもよくわからないな」
と、平松自身はよくわかっていないようだった。
だが、この夢を見るようになってから、
「アナウンサーに戻るのも怖い」
と思うようになり、
「戻るも地獄、進むも地獄だ」
と考えるようになっていたのだった。
アナウンサーというものをどのように思っているのか、正直、本人でないと分からない。
「いや、本人にも分かっていないのかも知れない」
と思った。
「アナウンサーから市長になって、十数年。今市長を辞めて、いきなりアナウンサーに戻ったとしてやっていけるのであろうか?」
アナウンサーというものが、どれほど厳しいものなのかということを、分かっていたからこそ、
「アナウンサーが務まったのだから、市長だってできるだろう」
と思い。立候補もしたのだし、今も市長を続けているのだ」
ということであった。
市長の仕事と、アナウンサーでは天と地との差があることだろう。
いhら松は分かっていたつもりだったが、今ふと我に返ると、
「アナウンサーってどんな仕事だったっけ?」
と、十数年の時間は、あっという間だったと思っているわりに、急に考えると、まったく想像がつかない感覚になっていた。
市長をしている在任期間を思い出すと、確かにいろいろなことがあり、しかも自分は分刻みのスケジュールで、
「俺は時間に操られているのではないか?」
と思うようになっていた。
そのあやつられる時間も、気が付いてみれば、
「アッという間だったのか、それとも、それなりの長さがあったと思うのか?」
ということで、市長在任を自分がどう感じているのかが分かる気がした。
「本当にあっという間だったと思うのであれば、そんなに、市長の仕事を大変だったと思わないだろう。これからも続けていくのが当たり前であり、辞めるなどという発想が生まれるはずもない」
と思うようになるであろうし、逆に、
「市長になった頃のことを思い出そうとすると、アナウンサーをしていた頃のことが最近のように思えるというようなおかしな感覚になるかのようだ」
と考えている時というのは、
「本当は、市長に未練などなく、それでもしがみついているのは、戻るべき場所である、アナウンサーとしての、自分の席がどこにもないのではないか?」
という思いである。
それが先ほどの夢に代表されるようなことで、要するに、アナウンサー業界の方からというもの、
「お前のような市長を経験したやつに、戻ってこられても迷惑だ」
と言われているような気がした。
それは、
「平松だから」
ということなのか、それとも、
「アナウンサーというものすべてにおいて」
ということなのか、平松は分かりかねていた。
しかし、夢がその答えだったのだとすれば、うあはり後者ということになるのだろう。
そう思うと、
「確かに俺がアナウンサーをしている時、市長が出てきて何かを言うたびに、
「何言い訳ばかりしてるんだ」
と、市長は、
「言い訳をするために存在している」
と感じていたことを完全に忘れてしまっていたのだ。
それがいつ記憶からなくなったのかは、正確には分からないが、少なくとも、市長という肩書がついて、最初の登庁の時から感じたことだったに違いない。
これまでの、
「責める側から責められる側」
に移ってしまったということは、自分がその両極端を経験したということであり、あの頃はまだ市長という仕事の何たるかを分かっていなかったので、不安だらけだったが、どちらも知っていて、過去の仕事に戻る時でさえ、不安を押し殺すことはできないのであった。
つまり、市長というものが、一種の憧れであり、いくらアナウンサーをしていても、毛嫌いをしていたことを思うと、不思議な感覚だった。しかしそれも、
「市長があの人だったから」
と思うと、
「俺は、そんなブサイクなことはしない」
と思ったのだ。
ただ、相手は元からの政治家。こっちのように、世論から推されて出てきた、
「ただのタレント議員」
に何ができるというのだろう?
そこも、不安の要素としては、非常に厳しいものだった。
そもそも、市長選を戦っている時だって、
「市長というものが、どんなものなのか分からない」
ということで、頭を悩ませていたのだった。
市長は、懐疑が終わって警察から、
「死体が発見された」
ということを、会議の出席者に話そうかどうか迷った。
発見された場所が、たった今まで復元について話をしていた、N城址公園内だということは、大いなる問題だったからだ。
しかし、今のところ、警察から電話がかかってきただけのことで、詳しいことは分かっていない。いずれ、発表することになるだろうが、それは警察主導でお発表であり、こちらは、あくまでも、事情を聴かれる程度のことだろう。
そういう意味では、ここで話を大きくすることは忍びないといってもいいだろう。
そこで、会議が終わってから、すぐに電話を受けたこともあって、すぐに白骨発見現場である、N城址公園に市長は向かった。
秘書には、もちろん、事態を説明し、
「とりあえず、いってみる」
と告げて、秘書も、
「話を聞かれるのもいいでしょうね」
ということだったので、秘書と二人で、そそくさと出かけていった。
最近では、パンデミックも少し落ち着いてきたので、毎日の状況を決まった時間に話すというような日課はなくなっていたので、それも幸いなことだったのだ。
N城址公園というのは、意外と大きな公園だった。一級河川となっている側が両側にあり、後ろが海になっていることで、天然の要害として、うまくできた城だった。
しかも、濠となっている川に向かって、船着き場を整備することで、水路交通を利用した、物資輸送にも長けた城だったこともあって、
「日本でも有数の水城」
という触れ込みでもあったのだ。
天守がないのは寂しい限りだと地元の人は言っているようで、復元論が過熱した時期はあったようだが、それはかなり前のことで、市長がまだアナウンサーになる前の、相当昔のことだったようだ。
今回の、
「天守復興の要望」
とは、ある意味まったく関係のないものであったようだ。
そうはいっても、彼らが昔の、
「天守復興運動」
知らないわけではないだろう。
だが、そもそも、こちらの城も重要文化財として指定はされているが、実際に最盛期を迎えた時の城は、まぎれもなくF城だったのだ。
つまりは、
「F城が最優先であり、N城はその次」
というのが、世間的にも、市民の大多数の意見もそっちであっただろう。
しかも、F城天守の復興に対しては、
「資料に乏しい」
ということを理由として、再建は見送るということに市議会で決定したではないか。
それなのに、F城を差し置いて、N城天守の再建というのは、無理であるということは分かっていることであったのだ。
そんな状況において、今は静かに、F城も、N城も、それぞれに、
「城址公園」
として市民の安らぎの場になっている。
それなのに、