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二人二役

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 が蔓延し、さらに、幕府の力が完全に衰退したことから、隣国に攻め入って、領土を拡大するということがまかり通るようになってきた。
 つまり、
「群雄割拠の戦国時代の到来」
 と言えるのではないだろうか?
 戦国の世は次第に全国に増えていき、それまでの守護大名が、
「戦国大名」
 と呼ばれるようになり、
「いつ、自分の国が脅かされるか分からない」
 という時代に入ってきた。
 そのため、横行したのが、お互いの領土不可侵という条約であったり、その条約を確固たるものにするために、
「人質を出す」
 ということであったり、それぞれの領国との間での、政略結婚であったりが存在するのだった。
 戦国武将として、今では、絶大な人気がある、
「真田幸村」
 という武将も、若い頃は、ずっと人質生活だったのだ。
 上杉家の人質になり、さらには、豊臣家の人質として、大坂城で過ごしたりと、戦国大名としての力と名声は、父親である。真田昌行にあったのだ。
 父親は、あの家康を震え上がらせたのだ。
 関ヶ原の合戦において、西軍についたことで、二人を高野山の九度山に流すことに成功したが、その後の、
「大坂の陣」
 が勃発するに際して、
「真田が、九度山を脱出した」
 ということを聞いて、家康は思わず、
「親父の方か?」
 と叫んだという。
 家臣たちは、一瞬、
「何を言っているのだろう?」
 と思ったことだろう。
 なぜなら、父親の方は、その頃すでに亡くなっていたのだった。
 それだけ、まだ家康は父親の方を恐れていて、幸村など眼中になかったということであろうか?
 いや。実際には戦になれば、
「冬の陣」
 においては、最強の出城と言われた、
「真田丸」
 に苦しめられることになり、さらには、その後の夏に陣においては、
「自害を覚悟した」
 と言われるほどの恐ろしい目に遭っていた。
 後年、家康が、
「わしは、死ぬほど怖いと感じたことが、今までに三度ある」
 と言い出した。
「一度目は、武田信玄との戦いにおける、あの三方ヶ原の戦で、二度目は、信長公が本能寺で討たれた時、堺にいたわしが、領国の三河に戻る途中の、伊賀越えをした時、そして、今回の、真田による本陣急襲であった」
 というのだ。
 そんな幸村であったが、最期には、
「日の本一のつわもの」
 と言われたのだが、人生のほとんどが人質と流人生活だったというのに、最期にはそこまで言われるということは、
「人生の地理際が潔く、最期の最期で、花を咲かせた」
 というのが、日本人の胸を打つことになるのであろう。
 また、もう一つの後継ぎ問題としては、
「幸村の最期」
 から時代は遡ることになるのだが、人物が、
「豊臣秀吉」
 というところが、皮肉だといってもいいだろう。
 秀吉は、長男の鶴松に、幼少時代に死なれたことと、それ以降、男の子ができないどころか、子供を授かることすらなかったことで、自分の甥を養子にして、跡取りとして、関白職を譲った。
 まさに、義政の時と同じではないか。
「秀吉は義政のことを知らなかったのだろうか?」
 そもそも、百姓出身の秀吉なので、基本的な教育は受けていない可能性がある。
 天下人となったうえで初めて、基本的な、
「帝王学」
 の勉強はしたかも知れないが、
「どこまで深堀したか?」
 ということは分からないだろう。
 秀吉もまったく同じことをしたために、
「秀次事件」
「朝鮮出兵」
「千利休の切腹事件」
 などという血なまぐさかったり、後々、豊臣政権に禍根を残すような問題が起こったりしたのだった。
 もっとも、豊臣家の滅亡は、家康の野望というものの強さを考えれば、石田三成の台頭がなくても、起こっていたことだろう。
 誰かが石田三成の役をやったかも知れないし、家康に逆らう人物は誰もおらず、結局、そのまま大坂の陣に突入する結果になったというだけのことなのかも知れない。
 さて、歴史問題を思わず考えてしまったが、それは、市長が、変な夢でうなされたからだったのを思い出した。
「何であんな夢を見てしまったというのだろう?」
 と市長は考えたが、
「やはり、私はアナウンサーに戻りたいのだろうか?」
 と思ったが、世間はそうはさせてくれない。
 いつまでも、自分が市長として、問題がない時は、ピエロとして、あるいは広告塔のようにマスゴミの前に出て、本来であれば、今回のパンデミックのような、
「責められる立場」
 にあったとしても、
「俺はこのまま、市長として、矢面に立たなければいけないんだろうか?」
 と思っていた。
 自分は、パンデミックの時であっても、
「矢面に立っている」
 と思っていた。
 しかし、世間はそうは見ていない。
 SNSなどを見ていると、
「平松市長は、都合が悪くなると、世間の前に顔を出さず、彦籠ってしまい、すぐに逃げ出す」
 というようなことを言われていたのだ。
 それを分かっているので、
「世間は、どうして、そんなに誰かをターゲットにして苛めることを楽しむような人が多いのだろう?」
 と思うのだ。
「だったら、俺だって、好きなようにしてもいいじゃないか?」
 と思うこともあるかも知れない。
 その思いが、贈収賄に絡むような悪いことをする時、自分の良心を正当化しようとする理由付けにしているのかも知れない。
「政治家なんて。しょせんは、わいろを貰ったり、それくらいのことは誰だってやっているんだ」
 ということであり、その時必ず、自分を正当化する意志を持っていないといけないということで、
「偉くなれば、それを感じることが普通にできる人間でないと、政治家は務まらない」
 ということであろう。

                 平松市長

 平松市長が実際に市長になれたのは、
「F県出身の国会議員」
 の推薦があったからだった。
 その人は地元に力があるだけではなく、何と言っても、
「元首相」
 であり、今の、
「副総理」
 であった。
 ただ、ソーリの時代には、与党としての党を地に落とし、次の衆院選挙で、ついにずっと守ってきた政府の座を、野党に明け渡すという無様なことをしたのだった。
 もちろん、この男だけの責任ではないのだろうが、十分に責任を負わされるだけのソーリだったことに違いはない。
 今でも、
「副総理」
 という立場ではあるが、これは名ばかりのもので、実際には、それまでの政権では、財務大臣も兼任していたが、その座を奪われ、名ばかりの、
「副総理」
 に収まっているのだった。
 副総理と言っても、何かをするわけではない。正直、
「早く引退してくれないか?」
 と思っている人がほとんどではないだろうか?
 平松市長が、中央の国政に出ようと思ったことがあったようだが、その時、応援してくれている副総理に相談すると、
「いや、君はまだ若いし、政治家としての経験がまだまだ不足している、中央に出てくると、苦労するのは君自身だよ」
 ということで、今のところは、市長を頑張るしかないようだった。
 平松が、
作品名:二人二役 作家名:森本晃次