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一人勝ち

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 本来であれば、専務としての仕事もそんなに暇なわけもないのに、頻繁に顔を出すというのは、勉が、
「幸隆、悪いが、ちょくちょく親父を見に行ってあげてくれないかな? 俺はなかなか行く機会がないからな」
 といって、送り出してくれたのだ。
「でも、兄さんいいのかい? 兄さん一人で大丈夫なのか、心配だよ」
 というと、
「俺だって、これでも立派な社長だと思っているんだ。心配いらない」
 と勉は言ったが、
「本当に立派な社長が、自分から、立派だなどというのもおかしい」
 と思うのだが、それに対しては、次男という立場から、何も言えなかった。
 ただ、兄の考えは分かっているつもりだった。
 というのが、
「親父に誰か、何か吹き込んで、自分の立場が悪くなるのではないかということを恐れているのだ」
 ということであった。
 兄の勉は、猜疑心が強く、あまり人を信用しない方だということは、弟から見ても分かっていた。
 しかし、社長業とすれば、少々極端でも、それくらいの方がいいのかも知れないと思うのだった。
 だからこそ、自分という参謀のような立場の人間がいるのだし、兄も自分のいうことであれば、意見を聞いてくれるというのが分かったからだ。
 兄は、いろいろいいウワサは聞かないが、本当に悪い人間ではないと思っている。そんな兄に対して幸隆は、
「兄を信じてついて行こう。道を踏み外しそうになったら、俺が改めてやればいいだけのことだ」
 と考えていた。
 父親からも、
「お前たち二人は、太陽と月のようなもので、勉が太陽なら、お前は月だ。月は月でちゃんときれいに輝くんだが、それは、太陽の恩恵があってのことだ。そのあたりをキチンとわきまえておかないといけないぞ」
 と言われていた。
 もし、これが、他の家であれば、次男というと、
「逆らいたくなる性格」
 ということもあり、気が強かったり、活発だったりするのだろうが、幸隆に限ってはそんなことはなかった。
 兄の方が、積極的で表い出たがる方なので、
「どっちが兄なのか分からない」
 と、子供の頃から言われていたのだ。
 だが、父親は、
「それでいい」
 と思っていた。
 この方が、
「世襲における二代目としてはふさわしい」
 と思うのだった。

                 朴念仁

 父親が通っている病院は、家からバスで行けるところであった。
 さすがに、お見舞いに、会社の車で送ってもらうということができるわけもなく、次男の幸隆は免許は持っていたが、車の運転を普段することはないので、車を買うこともなかった。
 奥さんも
「あの人がそう言っているのなら、それでいい」
 と言っていた、
 今年、5歳になる娘がいるのだが、娘も、まだ車というものを意識していないようだった。
 幸隆という男は、好きなものに結構偏りがあった。学生時代などの友達は、車やバイク、ファッションなどに興味を示す人間が多く。まあ、それが普通なのだろうが、幸隆はまったく興味を示していなかったのだ。
 だから、学生時代に友達ができても、一人浮いているという感じが強かった。まわりは、避けることはしなかったが、幸隆自身が歩み寄りを見せないので、
「ただ、輪の中にいるだけ」
 という、目立たない存在だった。
 それでも、好きになったことには、三度の飯を食わずとも、熱中するというくらいになっていた。
 そんな幸隆は、自分でも、
「変わり者だ」
 と思っていた。
 というのは、考え方が偏っているところがあったからだ。
 潔癖症なところがあるくせに、あまり自分の部屋の掃除をすることはなかった。
 一つ言えることは、
「自分のお金で買ったものは、徹底的に大事にして、人に触らせることもしないが、買ってもらったものに、それほどの執着もない」
 と言えるだろう。
 だから、車にしても、学生の頃、免許を取った時、親から、
「車を買ってやろう」
 と言われた時、
「いや、いいよ。今は必要ない」
 といって、やんわりと断った。
 本当は、
「いずれ自分の金を出して、買いたいな」
 と思っていたのだったが、親から、
「買ってやろう」
 と言われた瞬間に、冷めた気分になったのだった。
 いわゆる、
「俺が今やろうと思っていた」
 ということを先に言われたり、されたりすると、無性に苛立つ性格だったのだ。
 特に子供の頃など、宿題をやらなかったりすると、
「宿題をしなさい」
 とよく母親から言われたものだった。
 だが本人は、
「今しようと思ったところなのに」
 というのだ。
 親はそれを、
「言い訳はいいから」
 といって、絶対に言い訳だとして疑わない。その考えが嫌だったのだ。
 確かに、完全に忘れていた時もあるが、ほとんどは、
「後からやろう」
 と思っていたのだ。
 確かに、親とすれば、その気持ちは分かるのかも知れない。何と言っても、自分が生んだ子供だからである。
 しかし、親とすれば、
「思ったのなら、その時しないと意味がない」
 と言いたいのだろう。
 いつまでも引き延ばしていれば、そのうちにやったのかしていないのかが分からなくなる。それが、
「困ったことだ」
 と思うのだった。
 それは学校の宿題であれば、それほど大きな問題にならないが、すでに、その頃には、
「将来は社長の保佐」
 という道が用意されているのだ。
 そんな人間が、言い訳がましいことであったり、後回しにしてしまうことで、好機を逸するような人間になってしまうのは、本人だけではなく、会社の未来に響くことであった。
「後継ぎは、長男に」
 ということが決まったのであれば、長男につける参謀としての、次男の役目も重要だといえるだろう。
 ただ、そんな次男であったが、そんなに激しい性格ではないことがありがたかった。
 次第に成長するにつれ、何でもすぐにやるようになったことで、親も一安心であった。
 ただ、それは次男が自分で考えてやっていることではなく、
「これが俺の運命なんだ」
 という諦めの境地からだったに違いない。
 というのも、次男の幸隆から見て。長男である勉は、
「とても、社長の器というわけにはいかないな」
 というような性格だった。
 いかにも次期社長の甘えのようなものがあり、まわりの友達も、
「次期社長」
 といって、兄をおだてているのだった。
 傍目から見ていて、
「こんな兄貴だと、会社の将来が不安だ」
 と考えるようになった。
 もし、兄がもっとしっかりしていれば、
「俺がしっかりしなくても大丈夫だ」
 というくらいに感じて、もっと中途半端な大人になっていたかも知れない。
 確かに、少し偏った性格である次男だったが、彼は、
「兄が会社の運命を危うくする」
 と感じたことで、
「俺は中途半端な立ち振る舞いはできないな」
 と思い、兜の緒を締めるのであった。
 幸隆は、弟として、兄を見ていて、
「兄がどういう性格なんだろうか?」
 と考えることが多くなっていた時期があった、
 あれはいつ頃だったのだろうか?
 今から思えば、思春期の頃だったような気がする。
 思春期の頃、つまりは、中学を卒業するくらいまでは、二人はいわゆる、
「朴念仁」
 であった。
作品名:一人勝ち 作家名:森本晃次