一人勝ち
女の子からモテるということもないし、そもそも、女の子から見られるということもない。
それは、まわりから見れば、
「気持ち悪い」
と思われる何かがあったのではないかと考えられた。
特に兄の勉はそうだった。
実際にウワサとして、
「山中君のお兄さんの方は、いつも何を考えているか分からないところがありそうで、気持ち悪いわ」
と言っているように、聞こえるのであった。
だが、実際には、
「兄貴よりも、俺の方が、何を考えているのか分からないよな」
と、幸隆は思っていた。
女性に対して、
「朴念仁」
のようになってしまったのは、あくまでも、
「俺は自分に自信がないので、自分に自信のない人間を好きになってくれる女なんかいるわけがない」
と感じたからだった。
「本当は自分に自信をもたなければいけない」
と言われて育ってきたのに、実際には、自分に自信を持つことができない自分に、憤りを感じていた。
下手をすると、
「このまま死んでしまいたい」
というような、ネガティブに考えることもあり、実際に、リストカットを試みたこともあった。
そもそも、自分に自信がないと思っている人間に、自殺などできるはずもなく、それ以上、自殺を考えることもなかった。
要するに、
「死ぬ勇気なんて、そう何度も持てるものではない」
という考えに至ったからだった。
そのわりに、女性の中には、
「何度も失敗したリストカットのためらい傷が手首に残っている」
という女性がたくさんいると聞く。
「よくそんなに死ぬ勇気を持てるものだな」
と思ったが、
「あれは、くせのようになっているんじゃないか?」
という意見であった。
「死ぬ行為をすることで、少しでもまわりから注目を受けたいという考えから来ているんじゃないかと思うんだ」
と高校時代の友達が言っていたのだが、
「どういうことだい?」
と聞きたくなったのも当たり前のことだった。
幸隆には、相手が考えていることの先を読む力が備わっていた。だから、彼が自分で言っていることが、矛盾に満ちているというころを分かって、わざと言っているということである。
「いやね。君も分かっているんじゃないかと思うんだけど、結局、本人が途中で気づくんだよ。リストカットをしても、注目なんか浴びることはできないんだってね」
という。
「それは、一種のオオカミ少年的な考えからなのかい?」
と聞くと、
「ああ、そうだよ。オオカミが来たといって毎回のように触れ回っても、一度も来ることがなければ、人間というのは、もうその人のいうことは信用しなくなるんだよ。その間に本当のオオカミがやってきて、皆食い殺されるのだとすれば、教訓は二つだよね? でも、一つだといってもいい」
というと、
「その通りさ。あまり言い続けると誰も信用してくれないということ、つまり、主人公側の教訓、そして、今度は油断をしていると、本当にオオカミがやってきて、自分たちは食い殺されるという、まわりの人の教訓だね。つまりは、オオカミ少年の話というのは、どちらの立場も不幸にしかならない。最悪な結果しかもたらさないということになるんじゃないのかな?」
というのだった。
「なるほど、確かにその通りだ」
と、幸隆は納得した。
この教訓は、どちらも、
「これから、参謀としての将来が待っている」
という幸隆には、必要な教訓であることに間違いない。
それは、今回の、
「世界駅なパンデミック」
にも、言えることであった。
どこかが、病原体となって流行り出した伝染病であったが、その話は、最初、
「またか、どうせすぐに収まる」
と思っていたことだろう。
十年くらい前に流行った、
「新型インフルエンザ」
と言われるものも、実際に日本で流行することはなかった。
確かに、
「流行り出すと危ない」
ということで、会社などでは、
「事務所に入る時は、マスクは必須。手洗いうがいをして、手のアルコール消毒を行う。そして、毎日検温を行って、会社に報告する」
ということが、過去にもあった。
その時は、数か月でやめてしまったのを覚えている。何人か患者が認められはしたが、流行というところまではいかなかったのだ。
もちろん、皆が、マスク、手洗い、アルコールを励行したから、流行しなかったのかも知れないが、少なくとも日本では大丈夫だった。
海外では、結構ひどかったようで、
「そもそも、マスクなどの習慣のない国が多いのだからしょうがない」
と言われたが、それも少しおかしなことであった。
「日本人だって、日ごろから、マスクをする習慣なんかない」
というものである。
冬になると、インフルエンザの流行から身を守るために、マスクをしている人は多い。学生など、インフルエンザの時期に、受験を控えていたりなどすると、せっかく成績がよくても、試験を受けられなければ、どうしようもない。予防接種を受けて、さらに、マスクなどで自分を守る努力をしないと、せっかく勉強しても、土俵にすら上がることができないのであれば、どうしようもない。
だから、学生は神経質になるのだ。
そもそも、学校が、注意喚起をしているのかも知れない。
「せっかく勉強しても、試験が受けられないで浪人ということになると、これほど悔しい思いはないだろう?」
成績が悪いのであれば、諦めもつくが、
「受ければ、合格間違いなし」
と言われていても、病気だったら仕方がない。
しかも、相手はインフルエンザである。無理していけば、それこそ皆に移してしまうことになり、大惨事を招くことになる。
下手をすると、
「インフルエンザだということを分かっていながら試験を受けに来たということになれば、いくら成績はパスしていても、不合格にされてしまう。これが大流行して社会問題になると、下手をすると、刑事事件に発展しかねない」
と言えるだろう。
警察に逮捕されるまでは行かなくても、もう社会的な信用や立場はなくなってしまう。
「病原菌をまき散らしい来た」
ということで、その人の人生は、そこで大きく変わってしまうことになるだろう。
今回の、
「世界的なパンデミック」
は、本当に全世界で流行した。
日本でも逃れられないものとなったのだが、それも、政府が最初の時に、
「水際対策をしっかりしておけば」
最初の第一波はなかったかも知れない。
とはいえ、鎖国状態のように誰も日本に入ってこないわけではない。鎖国の時であっても、貿易のために入ってくる人はいたのだ。
過去の伝染病も確かに、鎖国の時代に、コレラが流行ったりしている。出島を中心に流行したのだろう。結局、水際対策を完璧にはできないのだが、少なくとも、
「大流行を食い止める」
ということはできるかも知れない。
兄である勉の性格が変わったのはいつのことだったか?
そう、大学に入ってからだろうか? 高校生の頃までは、いつもネガティブに考えていた。
特に受験を控えた三年生の頃は、ノイローゼ一歩手前という感じで、見るからに顔色は悪く、本当に、
「何を考えているのか分からない」
という言葉が一番ぴったりだった。