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一人勝ち

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 そんな小平も、実は家族が、一種の参謀華族だった。
 父親も別の会社の専務に収まっていて、会社のナンバーツーになっていた。
 そのことを聞きつけた先代が、修平を引き抜いた形になったのだが、実に正解だった。
 小平家は、山中家よりも、世襲はもっと昔からだった。
 戦後の動乱を社長と切り抜けることで、先々代くらいの人が、参謀となってから、代々世襲が行われているようだった。
 ただ、小平家の考え方として、
「先代の地盤を決して受け継がず、息子は別の会社で参謀となる」
 ということを家訓のようにしていた。
 初代が考えていたのは、
「参謀を世襲で続けていくと、会社に慣れ切ってしまい、下手をして、会社が何か問題を起こし、社長一家に禍を起こさないという理由で、参謀である自分たちが、会社の犠牲になってしまうことはないように」
 というのが理由であった。
 その代の時であれば、それまで散々、参謀に助けてもらっていたことで、それ何かが起こったとしても、
「参謀を裏切ることは、自分たちの滅亡を一三する」
 と考えることで、参謀を守りながら、参謀に、その危機を切り抜けることを考えてもらおうとするだろう。
 しかし、これが世襲となり二代目となると、どうしても、先代と比べられ、世襲であれば、
「しょうがない、自分たちが生き残るためだ」
 ということで、会社に裏切られる可能性が高いということであった。
 そのことを、初代は予見していた。
 特に会社が世襲の会社であることから、先代に対して、
「尊敬はしているが、どうにも納得がいかない」
 という二代目は、意外と多かったりする。
 そのため、二代目は先代がやっていたことを継承しなかったりする場合もあるが、それは、参謀としても同じである。
 ただ、参謀がいなければ、自分一人では何もできない。ただ、そのうちに自分も立派な社長になるだろうから、その時になって、
「先代のやっていたことをことごとく、辞めてしまえば、きっと参謀の男は、社長や会社のいうことに歯向かってくるだろう」
 ということであった。
 そうなってくると、いつでも首を切ることができ、
「先代の遺産」
 というような、
「カビの生えたものを一掃できる」
 と思っているのかも知れない。
 ただ、まだ今は先代も、元気で、最近は、病院に通うことも多く、入院も時々しているようだが、まだまだ元気だという話だ。
 だから、
「先代の目の黒いうちは、何もできない」
 と勉は思っていた。
 平八郎も、初代の父親に対して、少なからずの不満を持っていたことはあった。
 そのことは、参謀である小平も分かっていた。
 しかし、分かっていながら黙っていたのは、
「これくらいならまだマシだ」
 と思ったからだろう。
 確かに、小平という男は、人心掌握術には長けていた。小柄で、腰が低く、どこか昭和の臭いがすることから、平八郎は、敬意を表して、
「サル」
 と呼んでいた。
 これは、小ばかにしたかのように聞こえるが、ここでいう、
「サル」
 というのは、織田信長における、
「木下藤吉郎」
 のことである。
 農民から武士になりたいということで、信長のところにやってきて、信長の目にかなった木下藤吉郎。
 彼は、元々、信長の草履取りだったというが、そこから一気に出世を重ね、浅井家攻略と、浅井家に嫁いでいた、信長の妹の
「お市に方」
 と、その三人娘を助けたことで、大名に取り立てられ、近江の琵琶湖のほとりである長浜に城を建てたところから、武士としての、彼の実績が築かれていくのであった。
 そんな木下藤吉郎と呼ばれていた時代から、信長は、
「サル」
 と呼び、
「武士らしい名前」
 ということで、苗字を、織田軍団の重鎮、丹羽長秀と、柴田勝家から一字ずつもらい、
「羽柴秀吉」
 と名乗るまでに至ったのである。
 そういう意味で平八郎は、自分の参謀となるべく先代が引き抜いてきたこの男、
「小平修平」
 を、敬意をこめて、
「サル」
 と呼ぶのだった。

                 嫡男

 サルと呼ばれた小平は、その力をいかんなく発揮し、今までは先代の参謀から、今度は現在の社長の参謀を務めていた。
 しかし、
「わしも、高齢になってきたことから、次世代に受け継がないと」
 ということで、後継者の選定を行っていた。
 自分にも息子がいるが、ここは、小平家の家訓として、
「親の地盤を受け継がない」
 ということが、成功の秘訣として、他の会社で頑張っているので、期待するわけにはいかない。そこで白羽の矢があったのが、山中家の次男である幸隆だった。
 実は彼は長男よりも優秀であった。
 小平とすれば、
「これが逆だったら」
 と思い、先代に、
「会社の地盤は次男に」
 と言ったのだが、そこに関しては先代は、受け付けなかった。
 先代は、徳川家康を尊敬していた。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」
 という狂歌が残っているが、
「最後まで天下が転がり込んでくるのを待った」
 という意味でのことであろう。
 関ヶ原以後の家康は、徳川家の体制盤石と、
「二度と戦乱の世に戻してはいけない」
 ということを中心に考えていた。
 そして、将軍職を息子の秀忠に譲ってからというもの、駿府城に籠り、江戸の将軍との二極体勢を築いていたのだが、江戸において、
「三代目将軍の跡目争い」
 が勃発していた。
 将軍の正室である、
「お江」
 が、身体が弱く、陰気な長男の竹千代よりも、明るくて、家臣に慕われているように見える国松を将軍につかせようとしているというウワサだったが、実際には、秀忠の方がその意識は強かったという話もある。
 実際に竹千代の乳母となっていたのが、福と呼ばれる女性で、のちに、
「春日局」
 と呼ばれるようになった人物である。
 彼女は、父が明智光秀の片腕と呼ばれた斎藤利三だったことから、苦労をし、徳川家から、将軍秀忠嫡男、竹千代の乳母に任じられた。
 この際、お江との間の確執などいろいろ言われるが、将軍夫妻とすれば、
「次男の国松を将軍に」
 ということで、動いていた。
 そこに危機感を感じた春日局が、駿府にいる大御所である家康の元へ直訴に行き、
「竹千代を後継に確定してほしい」
 と願い出たというのは、有名な話だ。
 その後、江戸に行った家康が、竹千代、国松に面会した時、お菓子を与えるということがあったのだが、その時、何事にも控えめな竹千代よりも、積極性のある国松が先に手を出そうとしたところを家康がいさめたという。
「次男の国松は、まずは一歩下がりなさい。長男である竹千代を立てるのだ」
 といって、春日局の直訴に答えたという話である。
 要するに、
「後継問題は、代々嫡男が継ぐのが当たり前のことで、そうすれば、余計な後継者争いになることはない」
 という考え方であった。
 後継者を決めることで、争いが勃発すれば、何が火種で、徳川の天下が揺らいでしまい、結果、戦国の世に戻らないとも限らないということであろう。
作品名:一人勝ち 作家名:森本晃次