一人勝ち
「世界的なパンデミック」
においては、さすがに、東日本大震災の時の、野党政府のように、国民に対して、
「逆ギレ」
などという、とんでもない政治家が出てはきていないが、相変わらずの政策のまずさで、国民は、嫌気が刺している。
一番の問題は、最初の水際対策の失敗で、政府が信用できないと思ってしまったことは政府には痛手だっただろう。しいていえば、
「それでも、野党よりはマシだ」
ということから、何とか政府が生き残っているというだけで、
「首の皮一枚」
という状況に違いはない。
つまり、国民もそうだが、政府も、
「平和ボケ」
しているのだ。
このパンデミックで、人がどんどん死んでいったり、患者が増えすぎて、
「医療崩壊を起こした」
と言っているのに、ほとんどの人はそこまで危機感を持っていない。
どちらかというと、
「経済を回して、自由に生活ができるようになる方が優先だ」
と言っているのだ。
救急車を呼んだら、少なくとも病院まで最短で行ってくれて、最高の医療体制で見てくれるので、
「もし助からなかったとすれば、それは、ある程度仕方のないことだ」
ということが言われるに違いない。
しかし、救急車が来てくれても、受け入れ病院が見つからないのだ。
つまり、救急車の中で、患者が苦しみながら死んでいくのを、できるだけのことをしても、助けることができず、見ているだけなのだ。
家族にすればたまったものではない。
「少しでも、患者が少なかったら」
あるいは、
「患者が増えても、それをまかなえるだけの医療体制を政府が拡充していてくれていれば」
と思うのは当然である。
しかし、上限には限界というものがある、
「いくら拡充しても、この増え続けている患者がここまで異常になるとは想定していなかった」
と政府はいうであろう。
「だったら、患者を増やさないようにするのが、政府の仕事なんじゃないか?」
と被害者側は思うだろう。
つまりこれは、
「政府の政策への怠慢が起こした人災だ」
と言いたいのも無理はないに違いない。
そもそも、患者がどんどん死んでいっているというのに、国民は、
「やれ、旅行だ」
「やれ、祭りだ」
といって浮かれている。
政府とすれば、
「そろそろ経済を回さないと、そっちで行き詰って、自殺者が増えてしまえば、本末転倒だ」
とでも言いたいのだろう。
しかも、こともあろうに、せっかく今まで水際対策をしっかりしていたのに、渡航制限を緩和し、外人どもを受け入れるというのだから、
「何を考えているんだ」
ということである。
まさか、
「流行り出したら、また制限を掛ければいい」
などという甘い考えでいるのではないだろうか?
そんなことだから、パンデミック対策で、支持率を下げるのだ。
最近では何を考えてか、その支持率をアップさせようということからなのか、行動制限をなくして、
「マスクも表では義務付けをしない」
などということを言い出した。
国民もバカだから、
「ああ、政府のお墨付きができた」
ということで、マスクを外して歩いているバカな連中が増えたのだった。
だが、政府とすれば、
「どうせ国民は政府が何をいおうともいうことなんか聞かないんだ」
ということで、支持率アップを目指すのだ。
いうことを聞かないという根拠としては、
「ワクチン接種率」
にあるのではないだろうか?
政府がワクチンを、
「摂取してください」
と言っているのに、若い連中がほとんど摂取しない。
もちろん、マスゴミによる、摂取に対してのいろいろな批判があることで、国民が煽られているというもおある。
そもそも、マスゴミというのは、事実ではなくても、
「売れる記事」
であれば、いくらでもでっち上げるという、ある意味一番、ポリシーのない業界ではないか。
戦争前には国民を戦争に煽り、軍に抑圧されると、ウソの記事を書く。社説などで、過激なことを書くと、それを信じる国民もいる。
そもそも、学者のお偉い先生が社説を書いていて、国民のほとんどが、学者が書いている社説を理解できるかどうか分からない状況においてそれでも書くのだから、それは、
「まったくのムダ」
というべきか、
「本来の目的とはかけ離れた結果をもたらすことになる」
ということを考えさせられるということなのだろう。
マスゴミというのは、本当に、
「マスメディアというものを大義名分としたゴミでしかない。だから、マスゴミなんだ」
と言われても仕方がないだろう。
「一体、マスゴミというのは、我々国民を、どこの地獄に連れて行こうとしているのだろうか?」
と言っても過言ではないだろう。
今までに起こった、人間による事件のほとんどは、
「マスゴミに扇動された」
あるいは、
「洗脳された」
と言ってもいいのではないだろうか?
とにかく、今も昔も変わらず、
「悪は悪」
として君臨するものもあれば、
「今の世の中だから存在するものもある」
というものも存在しているのだった。
今のこんな時代において、先々代がいくつかの時代を乗り越えて、今の会社を作ったことで、山中家は、富豪の地位に登りつけた。
すでに父である先々代は、この世にはおらず、山赤平八郎も、社長の座を息子の勉に譲り、会長となって、まだ会社の実権を握っていた。
表向きは社長がすべてを取り仕切っていることになっているので、社長には、参謀をつけるようにしていた。
名前を小平修平といい、修平は、専務に就任していた。元々、自分が社長をしていた頃から、
「有望だ」
ということで、若いうちから、
「異例の出世」
をさせ、一時期、他の会社に出向させて、そこで経営手腕を学ばせるような、
「荒療治」
も行った。
その時にも、先代が自分につけてくれた教育係を彼の参謀として、一緒に出向先に出向かせ、一から、
「参謀学」
を学ばせたのだった。
そういう意味では、今回の小平は、
「参謀の参謀」
と言ったところであろうか?
しかも、小平がどれだけ優秀だったのかということは、自分を教育してくれたことでも分かった。
しかし、本当は、
「社長の片腕」
としての手腕を持ち合わせていたので、参謀の育成に、どれほどふさわしいのは未知数だった。
しかし、実際に、他に適任者がいるわけではない。
「しいていえば」
ということで白羽の矢が立ったのは、小平しかいないではないか。
ちなみに年齢としては、会長である平八郎は、58歳。長男の勉は36歳になる。そして、小平は、52歳であった。
ということは、社長になるために日夜帝王学を勉強していた頃の平八郎が、今の勉くらいの年の時は、まだ20代だったのだ。
平八郎も心の中で、
「将来社長となるこの俺が、まだ20代の若造にいろいろ教えられなければいけないだなんて」
と、プライドが許さないという気持ちになっていた。
しかし、実際に教わっていくと、彼の教え方。考え方は、それまで自分が必要としてきたことや、考えていたことを超越していた。
「俺にはとても思いつかない」
ということを思っていたのだ。